すずの4日後に母が・・ | 軽井沢で美穂の時つむぎ

すずの4日後に母が・・


母が6/25日月曜日に亡くなりました。
自宅の自分のベッドで就寝した続きで目覚めませんでした。
86歳でした。

写真は5年前、81歳の時のものです。
お正月に妹がスマモで撮ったものです。
背景を消した以外の修正は全くしていません。
恐るべき80代、あやかりたいです。

父が78で亡くなってから、何か趣味になるものをと、本人からの要望があり、週に何度も、パソコンと携帯電話の使い方を数ヶ月かけて私が教えました。
女子大時代に英文タイプをやっていたので、ローマ字変換を難なくこなしました。
マウスの使い方はソリティアで教えました。
携帯メールもパソコンメールも出来るようになり、検索魔にもなりました。
メル友も増えました。
訃報を知らせる為に母の携帯をみると、沢山のメル友の方々との楽しいやり取りがうかがえました。

壽鏡院妙麗日桂大姉

とても母らしい戒名をつけていただきました。
麗しく美しく、鏡に映しだされる母の姿はその美貌だけでなく、少女のようなあどけなさと乙女のように純心で清らかな心もでした。
『いつまでもセーラー服の似合う80過ぎたおばーちゃん』と敬愛を込めて言って笑ったものです。

先月中頃から具合が悪くなり、元看護師の義妹と妹が祖父から受け継ぐ開業医の弟のもと、在宅で看ていました。
それでも先週の金曜日にはキャンピングカーを買って軽井沢に行こう、などと母は言っていたそうです。

知らせを受けましたが私は療養中のすずの事があり、軽井沢を動けず何も出来ませんでした。

すずの死後4日目でした。
身軽になってしまった私は、お骨になったすずを連れて一時東京に戻り、母の元へと予定をたてていた矢先でした。

立て続けに大事な存在をなくしました。

それでも明日は訪れる。
未来を受け止めなくては・・

最後のお別れにいらした方々の足下一面に咲く色とりどりのガーベラはいかにも母らしく、斎場全てがお花畑のようでした。
父や母の両親、母の姉のもとに迷子にならずにいけるだろうなぁ・・・

25日その日のうちに東京入り出来たのはすずのおかげ、29日通夜、30日葬儀で、やっと、すずの待つ東京の家に居ます。

暑さで気が紛れる気がします。