教授に聞く、シリアの現状。 | イタリアでモロッコごはん

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イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

子供達の遅〜い新学期の幕開けと共に

私の大学も始まった。
 
 
入学したものの
2言語選択の義務を忠実に守り
全てを同時進行で進めた結果
どれもマスター出来ない破綻の結末を迎えた私。
 
 
そもそも勉強に集中出来る時間が少ないのだから
今年はフランス語に集中することにした。
 
 
毎週各教授は2時間程面会時間を設けている。
勉強していて解らなかった箇所を
個人的に質問したい人は、この時間に並ぶ。
 
 
私がよくお喋りに行っていた日本の教授は
彼専用の研究室が与えられていて
ソファーやコーヒーメーカーなど
来客用のしつらえも備わっていた。
 
 
フィレンツェ大学の教授達に
そんな部屋は与えられないらしく
各教科の教授達が集う職員室みたいな部屋と
学生との面会用の小部屋は、まるで小さな警察の取調室のようだ。
 
 
 
 
 
 
久しぶりのご挨拶にアラビア語の教授の部屋をノックした。
お元気そうで何より!
 
ただ、夏休み前よりとても痩せている!
 
教授、どうされました?
随分痩せられたみたいですけど........
シリアに帰られていたんですか?
 
 
そうなの。
嫌な事ばかりあってね、思い出したくない事ばかり。
6キロも痩せたわよ。
 
 
 
彼女は夏休み直前に挨拶に行った時
シリアの甥っ子が仕事中に捕まって
何者かに連れ去れられた、と言っていた。
 
ただ仕事をしていただけで
特に何の理由もないのに。
 
 
 
 
彼の奥さんには、夫がどこにいるのか知らされなかった。
奥さんは何ヶ月も、夫が生きているのかさえも解らず泣き続けた。
 
 
 
こうして数ヶ月経ったある日
夫が死んだという情報が入ってきて
奥さんは絶望の底に突き落とされた。
 
 
 
 
 
 
 
その数日後、
夫は、とある刑務所に入れられたらしい
という情報が入ってきて
奥さんは、ありとあらゆる刑務所に問い合わせた。
 
 
 
 
すると、ある刑務所で
彼女の夫が生きているという情報を得て
親族一堂、喜びで飛び上がった!
 
 
すぐさま夫と面会するために
その刑務所に訪れると
そこには、変わり果てた姿の夫が待っていた。
 
 
窪んだ目、疲れ果てた顔、
彼の髭はお腹のあたりまで伸びていたが
確かに彼女の夫が目の前にいた。
 
 
二人共何故ここにいるのか
全く理由が解らなかったが
早く家に返してやってくれ、と
刑務所の人間に相談すると
 
 
解放には100万円程の現金が必要だ
 
 
との事だった。
 
戦争の後、こういう理不尽な拉致が横行しているそうだ。
 
 
戦争で国はメチャクチャにされて
誰もお金など持っていないのに
彼らにとって100万円は、天文学的数字だった。
 
 
教授も人にあげる100万円は、持ち合わせていなかった。
なので、あらゆる人に応援を要請して
1年後、何とか100万円を用意して
教授はシリアで交渉に望んだ。
 
 
 
それなのに、まだこの件は裁判中で
甥っ子を刑務所から解放してやる事も出来ずに
フィレンツェに帰ってきたとのこと。
 
 
ただ、生きている事が重要なんだ
 
と言っていた。
 
 
 
 
私は、聞いているだけで
何キロか痩せてしまいそうな心持ちだった。
 
 
 
この教授はいつも飴をバッグに忍ばせていて
授業中、難しい質問に答えられた学生に
ご褒美に1個、飴をくれる。
 
 
私は授業中に飴を貰えた事は一度もなく
この取調べ室のような小部屋に
お勉強の質問を抱えてきた事はなく(爆)
 
私が義姉との関係で、辛くてどうしようもない時
よくここで話を聞いてもらっていた。
 
 
そして私は戦争で母国を破茶滅茶にされた教授の
抱えきれない程の嘆きの、ほんの一部をここで聞き
 
ここから外に出る時は
私の抱えている問題なんて
空気中の見えない埃のように
ちっぽけなモノだったんだな.......
と思い知らされて脱力したまま帰路を辿るのだった。
 
 
 
 
今回も然り。
 
教授に、また来ます、と挨拶をすると
 
あぁ、あなたに飴をあげるわ。
 
と言われて、私はとても嬉しく思った。
彼女から授業中に飴をゲットする事は
劣等生の私には非常に難しかったから。
 
 
 
 
 
 
シリアの飴だった。
チョコのフィリングだったけれど
スパイスコーヒー味で
アラブ諸国のノスタルジー感満載だった。