なんか
いろいろ
思い出しながら
『マークの独り言』
僕は小さいころから、同じ場所にずっといたことがない。
親が旅好きでいろんなところを転々と引っ越しながら、楽しんでいたみたいだ。
南フランスのマルセイユと言う港町で生まれ、ちょっとしたら、ルノー4Lと言う渋い車の広いトランクに、ハンモックを吊るし、そこに僕を寝かせ、地中海を旅してたらしい(笑)
コルシカ島、イタリア、ギリシャ、マルタ島などをプラプラとね。
日本語しか喋れない母ちゃん大変だったみたいだが、それはそれで楽しんでいたみたいだ。
お金なんて全くない家族を支えていたのは父ちゃんの趣味、漫画や写真、音楽でその日その日の日銭を稼いでいたみたい。
地中海の小さな学校の集合写真を撮ったり、ポストカードに漫画を描いて売ったり、夜は地元のバンドのサポートを得意なハーモニカで盛り上げたり。
それでガソリン代を稼ぎ、野宿しながらの気楽だがなかなかハードな旅。
大変だったはず、だがそんな話をたまに夕飯時にする親は、本当に楽しそうだ!
思い出が素敵すぎるんだねきっと。
ギリシャの浜辺を、地元の子供達とはしゃぎまくる赤ちゃんの僕を追いかけながら、ヨーグルトを食べさせようとしていた母ちゃんや、ちっこい僕を真っ青な地中海に放り込み、歩くより前に泳ぐのを覚えたんだぞっと呟く父ちゃん(笑)僕は覚えてないが、最高な思い出が2人の体に染み込んでいる。
日本に来てからは、湘南で3回引っ越し、それぞれの家で過ごした思い出もやはり大きい。
僕の誕生日に小さな庭で父ちゃんが一頭の豚を肉屋で買ってきて、朝から焼きはじめる。1日中その豚を酒で炙り、みんなが来る頃、アルコールの酒蒸気を吸い込みすぎて僕も父もトイレで酔っ払って寝てた思い出(笑)
捨て犬や、捨て猫を保護して家はいつも大騒ぎの賑やかさだったり。
音楽好きの父ちゃんがかけるレコードもボブマーレーから研ナオコまで、幅広かった。
東京に移っても、下町を転々としたなぁ。
南千住の蔵暮らしから、門前仲町、富岡八幡さまの周りをこれまた3回ぐらい引っ越した(笑)祭りや縁日、最高な思い出だ。
8歳の時、父ちゃんが飛行機のチケットをくれて、1人でフランス行ってこいってのには驚いた。
モスクワ経由マルセイユ行き。
当時はまだゴリゴリのソ連邦。
そんな国に子供が1人で1泊!
怖かったなぁ…
言葉通じないし。
税関で軍人さんがパスポートみて、写真と違うとか言い出して…
別部屋連れてかれて、4時間ぐらいほっておかれて、違う軍人さんに、おまえここでなにやってんだ!って怒られて、放り出されて、やっとこのおもいで、空港のホテル見つけて、でっかい白人と相部屋で…夕食たべに食堂行ったら、これまたでっかいキュウリにキャビア…8歳には意味わかんなくて、部屋戻って寝たら、夜中、白人がベロベロに酔って戻ってきて、トイレでなんか壊してて…恐ろしくて片隅で固まってたなぁ(笑)翌朝トイレ見たら血だらけで、ダッシュで逃げ出して、必死のおもいで飛行機見つけて、マルセイユまで飛んでったよ!機内食とスチュワーデスさんが素晴らしすぎたのは一生忘れないだろうな(笑)
中学ぐらいには、今住んでる八ヶ岳に土地を買い、学校が終わる金曜に出発して、テントに暮らし、コツコツと家を建て、月曜の朝学校に戻る。疲れすぎて学校ではもちろん寝てて、よく怒られてたなぁ(笑)
団体行動やチームプレイが大嫌いで、そんな場ではいつもいじめられたり、孤立してた。かまわずマイペースに家出とかもしてたなぁ(笑)
お寺だけに泊まりながら、自転車で四国一周。準備段階の地図とは違って、山だらけ!!!早朝出て、夜中ついて(笑)観光なんてゼロ!そのうえ朝は和尚さんに起こされ座禅(笑)四国はすごかったの一言よ!
他にも北東ヨーロッパ、インド、南米!話し出したらきりがない(笑)
そんな、ノマドのような暮らしの少年期、やはり大人になっても、冒険、スリル、挑戦好きになってしまうよね。
昔誰かに聞いたんだけど、死んだらさ、目の前にいろんな神様が座ってんだって。
モハメッドさんやジーザスさん、お釈迦様からゼウスさん、いろいろよ。
で、1つだけ言われるらしい。
『君の人生を聞かせてほしい』と
話す事いっぱいあってよかった(笑)
これからも一分一秒を大切に、マイペースにチャレンジしまくってこっと!
やっぱ、決まった人生より冒険だよな〜大変だけどさ、怖いけどさ、でもさやっぱ旅だよな〜☆
うんうん(笑)
『もういいから、散歩連れてけ!』
by DJ君