縁とは不思議なもの。

そう感じたことはありませんか?

ぽんちゃんも今日のブログで書いていましたが、

不思議な縁がたくさんあります。



ぽんちゃんブログ



不思議ですが、

どれも偶然なんかではなく

必然的なもの。

おもしろいな、って思います。



ぽんちゃんがブログに書いた縁は

ご先祖様や神様から

『災害に注意しなさいよ』

と警告するための縁。



私はそれ以外の縁について

今日は書いていこうと思います。



親ガチャ


時折「親ガチャに失敗した」

なんて言葉を聞きますが、

親を選ぶのは子供のほうです。



産まれる前に、

今生での自分が学ぼうと決めたことを

学べる相手を選びます。

なので、家族仲が不仲だったりするのは

よくあることだったりします。



家族間の中で、

何かしらの学びを得なければならない時。

家族仲が良かったら学べないこともある。

親兄弟とうまくいかない。

これって学びのためには

普通のことなんです。



前世からの縁で親子だったり、

兄弟となることもあります。



学びであるならば、

どんなに辛いことがあっても

我慢してそばにいなければいけないのか。

そんなことはありません。



学びとは、

自分一人だけが学ぶのではなく、

相手も学ぶもの。



例えば、

子供の頃、

父親からDVを受けていたとします。

本来なら、その父親は、

『子供を愛して、暴力を振るわないこと』

それが今生の課題となると思うのですが、

業である課題を乗り越えていません。



それに対して子供は、

父親が乗り越えられないのをわかっていて、

『縁を切る』ということが

今生の課題であることもあるのです。



一度は縁を切っても、

弱った親が謝って頼ってきて面倒を見る。

『赦し』を課題としていることもあります。



どんな課題を持って生まれてきているかは、

人それぞれなので私にはわかりません。

ですが、家族の縁というのは、

大概にして人生の課題であることが多いです。



親がお金持ちで、

何もしなくても楽な暮らしができる。

「親ガチャ成功!最高!」

ではないのです。

その子供の課題が

『自立すること』かもしれません。



人は簡単に乗り越えられない場所で

人生という名の修行をするのです。



課題があるから、

業があるから家族になる。

自ら生まれてくる前に、

どこに生まれてくるか決めてくる。

それがどんなにひどい家庭であっても、

自分からその場所を選んできているのです。



子供の頃辛い目にあったけれど、

人に優しくなれた。

逆に、何不自由なく育ってきたけれど、

人の気持ちがわからないまま育った。



前者と後者なら、

どちらで生まれ、

成長したいですか?



もちろん、

何不自由なく育っても人の気持ちがわかる。

思いやりを持った人に育つのが

一番いいとはおもいますが、

どんな人生であれ、

自分で選んで生まれてきた道です。

人のせい、親のせいにするのではなく、

自分で乗り越えていくことを考えてください。



それは、親だけでなく、

身近にいる人との間でも言えること。

夫婦だったり、子供だったり。

友達や仕事の縁。

それぞれの縁に課題があることがあります。



この人好きじゃないなぁ。

そう思う相手であっても、

反面教師で学ぶべきことがある。

そういうこともあります。

すべての出逢いに意味はあるので、

どんなに嫌な相手でも、

「学ばせてくれてありがとう」

そう思うといいかもしれません。