「奈良は古墳なんて珍しくないから

行ったこともない。

古墳なんてなんで行きたいの?」



ぽんちゃんとパパさんにぶつぶつ言われながらも、

「行きたいもんは行きたい!」

と行ってきました、箸墓古墳。





小さな森…笑い泣き



いや、まあ、そうなんですが…。

卑弥呼の墓だとか、

大物主大神の奥さんの墓だとか、

ロマンの詰まった場所なわけじゃないですか。

歴史好き、オオモノヌシ様好きの私としては

行ってみたかったわけです。



ライトにまで

『お墓だよ。なんで行きたいの?』

と聞かれましたガーン



だーかーらー!

卑弥呼の墓だとか

大物主大神の奥さんのお墓だとか…

(以下略…)



魏志倭人伝に出てくる卑弥呼だと言われていますが、

本当にあの歴史上の卑弥呼なのかなぁ?

なんとなく違う気はしています。

違う日の巫女なんじゃないかという気はしますが、

こればっかりはわからないですね。



卑弥呼は、日の巫女だから

日の巫女→日巫女→卑弥呼

と呼ばれたんだと思います。

卑弥呼の卑の字って卑しいという意味。

その字を大切な女王に使うわけないんですよね。

日巫女だから、ひみこと聞いて、

魏国が当て字として付けたんじゃないかな。

調べてもない勝手な憶測ですが。





箸墓古墳は、

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の

墓と言われています。



倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、

第7代孝霊天皇の皇女。

巫女であり、

崇神天皇の時代に、

オオモノヌシ神が百襲姫に神懸かり、

敬い祀るように告げた。

崇神天皇は、オオモノヌシの子孫と言われる

大田田根子を大神神社の祭主としたところ、

国内の災害が鎮まったと言われています。




わかりづらいですが、

石碑にも、

『倭迹迹日百襲姫命大市墓』の文字。

この百襲姫が、

大物主大神の妻の1人とされています。



大物主大神を神降ろしするのに、

大物主大神と契約を交わし、

夫婦となった…とか、

そういう感じなのかなー、と。

これまた推測。



行ったところで、

何も感じなかったのですが、

思わぬところで、

ここに寄ったのも意味があったとの考えに

行き着くのでした。



それはもう少し後の話。