数年前から定期的に行っている神田明神。

今年はまだ行けていないのですが、

そろそろ行かなきゃかな?と思っています。



神田明神には、平将門さんが祀られています。

怨霊となった将門さんを鎮めるために神として祀った…

ということなのですが、

将門さんは本当に怨霊になったのでしょうか。



将門さんは、平安時代に関東の民たちを守った人です。

そんな人が、自分の大切な民を苦しめるような怨霊に変化するでしょうか。

亡くなった後には、先に亡くなった逢いたい人に逢いに行ってると思います。




将門さんの首塚に行って、頭痛が治った人もいます。

怨霊になっていたら、そんなことは起こらないはずです。

首塚を移築しようとすると事故が起こったそうですが、それが怨霊の仕業とは言えないと思っています。



普通に考えて…首塚はお墓です。

お墓を荒らされたら嫌に決まっています。



怨霊だから祟られた…ではなく、

将門さんは怨霊だと思い込まれているから、

祟られるようなことが起こるのです。



将門さんは怨霊ではありません。

素直に慕って行くと、そこには優しい顔の将門さんがいます。



怨霊はそもそも生きている人の恐れの気持ちが作り上げたもの。

怨霊など存在しないのです。



それは菅原道真さんにも同じことが言えます。

道真さんのことは機会があればまた書きたいと思いますが、道真さんも怨霊になどなっていません。

すべて人の恐れの気持ちが作り上げたものなのです。



私は平将門さんのことは大好きですし、

神田明神には、神社内にカフェもあり、神様のパワーを感じながらのんびり過ごすことができるので、お気に入りの場所の一つです。