今日、神様から降ってきた言葉。



『疑うことなかれ。

  心の眼で見よ』



神社へ行って参拝する時、

神様はそこに居る、って思って参拝してますか。

見えないから神様っていないんじゃないかな?

って疑いながら参拝してませんか。



神様は居らっしゃいます。



神様にも心はあります。

人間と同じように心はあります。



自分に置き換えてみてください。

自分のことを好きで慕ってきてくれる人と、

自分のことを疑いながら近づいてくる人。

どちらの人のことを可愛いと思いますか?



疑いの目を向ける人と、

慕ってくれる人だったら、

慕ってくれる人ですよね。



神様も同じです。



神様なんていないんじゃないか?

って疑いながらも、

初詣だから行っとくか、とか

パワースポットって言われてるし行っとくか

と近づいてくる人。


神様大好きー!

神様あのねあのね、

今日こんなことあってね、

この前はこんなことがあったんです!

っていろんな話をしてくれる人。


どちらのほうが可愛いって、

当然、神様大好きー!

って来てくれる人のほうが好きです。



自身のことを疑いながら来る人の前には

姿も現したくないでしょう。


その代わり、

自身のことを好き、

って信じて言ってきてくれる人には

可愛いやつだな、ちょっと力貸してやろうかな。

そういう気持ちになるものです。



神様は見えないから相手しなくていい、

じゃないんです。



そこに居らっしゃるが如く振る舞う。

こちらから見えてなくても、

存在を感じなくても。

居らっしゃるかのように振る舞うことが大切です。





高野山の空海さん。

毎日毎日お食事を運ばれています。

朝と昼と。


そして、伊勢の神宮でも。

毎日毎日、朝と夕にお食事が運ばれます。


その食事は下げる時、

カラになってるか、って言ったら、

差し上げたその時のまま、

盛られてると思います。


それでも、当番制ではあっても、

それぞれお坊さん、神職さんが

そこに居るかの如く振る舞います。


お坊さんや神職さんの中には、

視えてて、そこにいるんだ、

って人もいるかもしれません。


空海さんの場合、

まだ生きていらっしゃるということなので、

お姿も生前のまま

座っていらっしゃるかもしれません。


高野山のお坊さんも、神宮の神職も、

カラの御膳を下げることはありません。


それでも、

神様や空海さんはそこにいらっしゃる

として仕える。


疑うってことは、

その人達の仕事を疑うことにもなります。

神社で神様を疑うのは、

神職の仕事を否定することでもあります。


視えていない神職もいます。

それでも、神様がいらっしゃるが如く振る舞い、

ご奉仕させていただいています。


なんて言ったらいいのか…。


疑ったら、そこに居なくなってしまうんです。


空海さんはとっくに死んでるじゃん!

神様なんて視えないからいないじゃん!

そう言ってしまったら、

お食事も神饌も意味のないものになってしまう。


でも、そこには確かにいらっしゃる。

信じる心はご神威となる。

信じれば信じるほど、神様の力はあがる。

そのことは信じていただきたいと思います。




ちょうどこの話を書こうとしたタイミングで

親友のぽんちゃんも、

ライトの似たような話を書いていました。

そちらも読んでみてください。