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僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)
990円
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S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine, 1888年10月15日 - 1939年4月11日)は、アメリカ合衆国の評論家・推理作家。本名はウィラード・ハンティントン・ライト (Willard Huntington Wright)。評論は本名で発表しているものが多い。
ヴァージニア生まれで、カリフォルニアのカレッジに行き、ハーバード大学で民俗学、民族学を修めた。カリフォルニアで編集・評論の仕事をしていたが1920年代から匿名で探偵小説を書き始め名探偵ファイロ・ヴァンスを生み出した。英国が「探偵小説の黄金時代」の時、米国で探偵小説の世界を切り開いた作家として著名である。
書評や美術評論を書いており、パリやミュンヘンでも学んだことがあるらしく作品は衒学的である。マイナーな歴史的人物、古典の作家や作品も出てくる。学術論文であるかのように各章には作者自らの手になる脚注が付されている。
だが、プロットには影響はないので心配には及ばない(興味がなければ無視すればよいだけ)。
探偵小説評論も書いており、なかでも「ヴァン・ダインの20則」は有名。
本書はファイロ・ヴァンス長編探偵小説12作の内4作目で、1929年に発表されておりシリーズ中の評価が高い。
マザーグース殺人事件と評されることがあるように、英米人にはよく知られた童歌を背景とした「見立て殺人」である。英語では、伝承されて来た童歌を「マザー・グース」とし、その他のものも含めた童歌を「ナーサリー・ライム」と言うようである。本書では、最初の歌だけはナーサリー・ライムと言っており、その他はマザーグースと書いているが、同義かもしれない。聖書と同様で、英米人には耳に馴染んでいても異人にはピンとこない世界である。
歌の「見立て殺人」はアガサ・クリスティ(「そして誰もいなくなった」1939年発表)や横溝正史(「悪魔の手毬歌」1957年発表)が有名であり、本書にインスパイアされたものだと言う。
本書の日本語版は戦後1950年刊行され、以降7名の翻訳者が発表している。本作品の日本語版刊行が遅れたのは、大日本帝国の非常時、推理小説の発表が抑圧された為のようだ。第1作「ベンソン殺人事件」(1926年刊)など第3作目までは1930年頃までに日本語版が出されている。現在では推理小説の古典として入手が容易である。
英語版は著作権が切れており、青空文庫で入手できる。
<作品概要>
ファイロ・ヴァンスはマンハッタンの屋敷に住む文学、美術、歴史、クラシックなどに通じた趣味人である。オックスフォード出身の貴族趣味のダンディだが、夫人はいない。家事は執事のカレーが使用人と共に取り仕切っている。
私(ヴァン・ダイン)は、学生時代からの彼の友人で、父の法律事務所に勤めていたが弁護士稼業と相性が悪く、ヴァンスだけの法律顧問、財産管理人、代理人になった。小さなホテルを住まいとしているが、大概はヴァンス邸に入りびたりで彼と行動を共にしており、犯罪捜査の記録係を務める結果となった。
ジョン・F・X・マーカムはニューヨーク州検事で、最初の事件でヴァンスと知り合った。見事に事件を解決したことから信頼するようになり、手に余る事件が発生すればヴァンスに相談するのが常である。今や敏腕検事の名を恣にしているが、マーカムもヴァンスの貢献だと承知している。捜査には、想像力には欠けるが頑健で手堅い市警殺人課のヒース警部を伴う事が多い。
ヴァンスはギリシャの文人の著作の翻訳に取り掛かっていたが壁にぶつかっていた。マーカムから、彼の大学時代の恩師の屋敷で殺人事件が発生したので、同行して欲しいと言う連絡が入った。最近では捜査が最も熱中できる趣味である。
アッパー・ウェスト・サイドのディラード邸のアーチェリー練習場で、矢が突き刺さったジョゼフ・C・ロビンの死体が発見された。彼はアーチェリーに熱心な娘ベル・ディラードの知人で有名な選手だった。彼が屋敷を訪ねた時、ベルは外出しており、スパーリングがいた。スパーリングはジョゼフの好敵手であり、ベルを争っていた。
英国から来たジョゼフはコクレーン・ロビンだが、コック・ロビンと言われていた。父祖がドイツ移民のスパーリングは独語での原義はスパロー(スズメ)である。童歌の「スズメがコック・ロビンを殺した」に符合していた。
'The Death and Burial of Cock Robin'
“Who killed Cock Robin?
‘I,’ said the sparrow,
‘With my bow and arrow.
I killed Cock Robin.’”
ディラード邸の当主ハートランドはコロンビア大学数学科教授を退職した数学の泰斗である。兄亡き後、姪で15才のベルを引き取り娘同様に可愛がって育てており、25才になっていた。彼女はアーチェリーに熱中しており、屋敷の横の路地をアーチェリー練習場としていた。私有地の路地にはディラード邸の玄関に続く塀の戸口から入れるようになっており、屋敷のアーチェリー室には出入りできるドアがあった。
ディラード邸にはコロンビア大学で数学を教えているシガード・アーネッソンがいた。彼は幼い時、ノルウェイから米国に移民したが、8才にして父母を亡くした。マーカムの大学時代の同級生である。数学の天才でありハートランドが見込んで養子にしたのだった。
天才数学者らしく、韜晦で狷介、無神経とも思われる男だった。
ディラード邸は数学者、アーチェリー愛好者のサロンとなっており客の出入りは多く、執事のパイン、娘で料理人のビードルが家事を取り仕切っていた。
ディラード邸の裏はドラッカー邸の裏と接していた。ドラッカー邸の横の路地はディラード邸横の路地と一直線になっており、ドラッカー邸の玄関側の塀の戸口からも出入りが出来るようになっていた。路地は200フィートあり、アーチェリー公式試合の練習をするには十分だった。路地の屋敷に面していない側は高い塀で、塀の向こうは高層アパートの裏手になっていた。高層アパートの向こうは道路を挟んで川沿いの大きな公園だった。
ドラッカー邸で、母親と住んでいるアドルフ・ドラッカーは太っているが脊髄に障害のある科学者で、熱心な物理数学者だった。新規な量子理論に取組んでおり、頻繁に裏のディラード家に来ていた。母レデイ・メイはオーストリアでオペラのプリマだったが、生れたばかりのアドルフを落とし傷つけた事から歌手をやめ米国に来てアドルフに尽くすのを人生としていた。2階のレデイ・メイの部屋の出窓からはアーチェリーの練習場を見渡せた。
ディラード家の家族とも親しく、とりわけベルはメイドがいなくても屋敷に入れるよう裏戸の鍵を預かっており頻繁に年老いたレデイ・メイを訪ねていた。
ディラード邸前の75丁目の通りを挟んだ向かいにはジョン・パーディの屋敷があった。シガードやドラッカーとほぼ同年代のパーディは趣味人で科学や数学に熱中していたが、主な関心はチェスだった。マンハッタンチェス倶楽部の会員でチェスの後援をしていた。パーディ定跡を考案したチェス界の有名人でもあった。
パーディも頻繁にディラード邸に出入りしていた。数学論議が主だが、チェスに興じる事もあった。
マーカム検事、市警のヒース警部、ヴァンス、私はディラード邸に行き現場を見て、ディラード教授はじめ関係者に事情を聞いた。
郵便受けに「コック・ロビンをスズメが殺した」の歌を書いたメモが入っていた。差出人は僧正(ビショップ)だった。マスコミにも送られていた。事件は大げさに報じられる事になる。
メモを書いたタイプライターや用紙を探したが見付けられなかった。
執事の証言ではジョゼフはスパーリングと口論していたという。ドラッカーがアーチェリー室を通った時二人を見かけていた。スパーリングが屋敷を出た直後、ベルが戻っていた。
ヒースは、部下を自宅に向かわせ、旅支度をしていたスパーリングを見付けて署に連行した。
スパーリングは犯行を否認したが、ベルが戻っていたと聞き犯行を認めた。
ヴァンスは面白くない。「それでは、あまりに童歌の通りだ」
現場を見ていると思われたレディ・メイはなにも知らないと言う。なにかを隠しているようだった。
公園でコロンビア大学の学生ジョン・E・スプリッグがピストルで頂頭を撃たれて死んでいるのが見つかった。彼は朝の散歩を習慣としていた。
彼はシガードの生徒だった。ディラード邸にも出入りしており、先日もドラッカーやパーディも一緒に議論したばかりだった。
ヴァンスが予期していた通り新聞に僧正の名前で童歌が送られていた。
‘Mother-Goose’-小さな男が昔いた
“‘There was a little man,
And he had a little gun,
And his bullets were made of lead, lead, lead;
He shot Johnny Sprig(ジョニー・スプリッグ)
Through the middle of his wig,
And knocked it right off of his head, head, head.’”
アーチェリー室にベルの2丁のピストルが保管されていたが、小口径の方のピストルが消えていた。凶器であることは、ほぼ間違いない。
シガードは愛弟子スプリッグを認めており、親がジョンなどという馬鹿げた名前をつけたばかりに命を落としたと言った。
物騒な事件が続き、レディ・メイは自室に鍵をかけていた。夜間、賊が侵入したが夫人の部屋には入れず帰って行った。ドアに、チェスのビショップ(僧正)の駒が置かれていた。夫人の口封じを狙った警告だった。ヒースは夫人を保護するためドラッカー邸裏に刑事を配置した。ディラード邸の表にも刑事を配置して出入りを見張らせていた。
ドラッカー邸の鍵を持っているベルは、鍵の入ったバッグを持ってシガードと芝居観劇にいっていた。ノルウェイ生まれのシガードはイプセンが好みで、音楽ならグリーグだった。
ディラード邸にドラッカーとパーディが来ていたが、チェスの話になりパーディは気分を害して先に帰った。彼はチェスのスター選手と勝負し、ドラッカーの予想通り敗退したのだった。
パーディの定跡は一時勢いがあったが顧みられなくなっていた。ビショップを使えば破られることが判明したのだ。パーディにはビショップは鬼門だった。
教授は、公園を回って戻る足の悪いドラッカーと出かけた。公園で散歩に行っていたパーディと出会った。
翌日、公園の高いところにある通路から転落して死んでいるドラッカーが発見された。新聞に僧正名でマザーグースの歌ハンプティダンプティが送られていた。
‘Humpty Dumpty’
Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall;
All the king’s horses and all the king’s men
Cannot put Humpty Dumpty together again.
落ちた、太ったドラッカーを元通りにする事は出来なかった。
屋敷では、ドラッカーの部屋でレディ・メイがショック死していた。裏で待機していた刑事はドラッカーの部屋の明かりが点いたのは彼が戻ったからだと思い警戒しなかったのだ。だが、賊が侵入してドラッカーの部屋に誘い出してショックを与えたようだった。
ヒースはパーディを疑った。ベルに思いをかけていたようなのでロビン殺しの説明もつく。チェスで弱点を見抜かれたばかりでなく、数学者としても、新量子力学論を完成させようとしているドラッカーには及ばない。
アーチェリー室でパーディが死んでいるのが発見された。ピストルで頭を撃ち机に伏していた。机にはトランプで家が建てられていた。自殺としか見えなかった。
ヴァンスが机に触れると家は崩れ落ちた。ヴァンスは、誰かがパーディを殺してからカードで家を作ったのだろうと推理したが黙っていた。
事件を公開しての自殺と見做し、ヒースやマーカムは事件は一件落着したと思っていた。スパーリングを釈放した。
ディラード教授から呼ばれて事件は解決したと信じていいのかと聞かれた。彼は釈然としないと匂わせた。シガードの冷たさが話題となり、彼の好きな芝居のパンフレットを渡された。
イプセンの戯曲「王を窺う者たち」で配役欄に、ニコラス・アーネッソンーオスロの修道士とあった。オスロの修道士は極悪非道な殺人者である。ディラードはシガード・アーネッソンが犯人と示唆しているようだった。
公園で5歳の女の子マデレーン・マフェットが失踪した。公園で子供と遊ぶのが好きなドラッカーが可愛がっていた子だった。早く探さなければ命が危うい。
一連の事件だと見て、ヴァンス達はディラード邸にいった。使用人しかいなかったのでマーカムの止めるのも振り切って、ヴァンスは屋敷内を捜索することにした。ヒースは率先して、マーカムは渋々従った。
屋敷内の誰も長年行ったことがないと言う部屋にタイプライターを見付けた。
マザーグースの「かわいそうなマフェット」が2行だけ書かれていた。
‘Mother-Goose’-“Poor little Miss Muffet,”
Little Miss Muffet
Sat on a tuffet(草叢)
僧正の署名までは書かれていなかったが一連のメモを作成したタイプライターに間違いなかった。見付けたのが、1日早かったのだ。
主を亡くしたドラッカー家に行き、使用人のグレーテに話して屋敷内を捜索した。長年使用していない部屋にマフェットが息も絶え絶えに倒れていた。すぐに医者に運んだ。
ディーラド邸に戻ると教授が帰っており、ヴァンスはシガードの仕業のようだと説明して、彼の帰りを待った。ポートワインを飲みながら今後を協議した。自殺による最終的解決を教授は否定しなかった。
シガードが戻り、ヴァンスは話し始め、教授は彼にもポートワインを出した。ヴァンスは何故か書斎に飾っていた骨董品を話題にした。骨董品には目がない。
ポートワインを飲んだ教授が死んだ。ヒ素が入っていた。
生き甲斐だったベルをシガードが連れ去ろうとしている。ドラッカーは新量子理論を発表しようとしているが教授にはついていけない。数学理論をリードしているのはシガードだった。教授は虚しさに取りつかれていた。結局のところ、自殺による最終的解決をしたのだった。
ヒースは誤魔化されない。ヴァンスに「グラスを取り替えましたね」と言った。ヴァンスは、骨董品をみんなが見ている隙に教授とシガードのグラスを取り替えたのだった。マーカムは聞かないふりをした。
数学者たちの事件は終わった。
半年後、シガードはベルと結婚してオスロに引っ越した。数年後、ヴァンスはシガードがノーベル賞を受賞したというニュースを見かけた。