一昨年逝去した米国推理小説界の巨匠スー・グラフトン(Sue Grafton 1940~2017)のアルファベットシリーズの”Y”である。生前、氏は最後の”Z”まで書き終えると公言していた。”Z”まで書き終えているとも。

 死後、約束通りというか、「Z is for Zeroが発売された。だが、数カ月後、販売停止となったのである。遺族から「同書はゴーストライターによるものなので、故人の業績を尊重してスー・グラフトン作ではない同書の販売を停止する」とされた。ほぼ、同時期、MWA(米国推理作家協会)がスー・グラフトン賞を新たに設けると発表した。

 ボクは本書を買い逃してしまった。米国大物作家のKindle最新刊は発売後半年~1年後に安くなる(通常価格になる)。通常価格になってから購入するのを常としているので、”Z”はなくなっていたのである。そして、スー・グラフトンのアルファベットシリーズを読み終えていた事になってしまったのである。複雑な思いである。

 

 1982年「アリバイのA」で始まった本シリーズは2017年「昨日のY」で終わった。本書では1989年が現在であり、初巻では32歳だったキンジー・ミルホーンは39歳になっている。キンジーの外の世界では35年が経過したがキンジーは7才年を重ねたという事である。重要な脇役を勤める家主のヘンリはーは82歳から89歳になってしまったが益々盛んである。グラフトンがキンジーに年を重ねさせない理由の一つにヘンリーがあるように思われる。

 本書では、携帯電話・スマホ、パソコンを駆使するという場面は当然ながら出て来ない。同時代小説として開始し、歴史小説になっていったようで面白い。

 

 ほぼ同時期に始まったサラ・パレッキーのシリーズでは、50歳を過ぎたVI・ウォーショースキーがアクションやラブライフに励んでいる。ほぼ同時代を背景としてきたパレッキーは、70歳を過ぎたVIを描きたいと言っているそうなので、これはこれで楽しみである。

 ちなみに、第1回のスー・グラフトン賞はパレッキーが受賞している。

 

 「アリバイのA」から始まったアルファベットシリーズは回を追うごとに変化している。最初は明らかに”女”探偵が主役のハードボイルドだったと思う(ロス・マクドナルドに敬意を表して、ロスマクが使っていた仮想都市サンタ・テレサを舞台としたことからも窺われる)。実在の事件を背景に取り入れて内容上の変化を求めた事もあった。途中からハードボイルドのキンジーの一人称一視点は維持しながらも、3人称多視点・客観を取り入れていく。売れる推理小説の流れに合わせてサスペンススリラーの傾向を強めて行ったように思える。

 ボクは初期のハードボイルド色が強い作品が好みで、後半は技巧に過ぎるような気がする。ボクはスー・グラフトンは「推理小説の職人」だと思っている。

 

 アルファベットシリーズは、スー・グラフトンの変容の歴史でもある。英米推理小説への理解を深めながら読むと、都度、新たな発見がある。

 

 最終巻となった本書は、テスト用紙の盗み出しから始まったハイスクールの生徒たちの人生の暗転を描いている。当時仲間だった男が、10年後少年矯正施設から出所してきたのを契機に更に彼らの人生が変わっていく。

 同時に前作で登場した連続女子殺人鬼のサイコパス、ネッド・ローから狙われるサスペンスドラマが同時並行で語られる。また、キンジーを頼ってサンタ・テレサに出てきた美人の従妹アンナの妊娠がサブストーリーとなっている。

 

 米国推理小説の巨匠に・・・・・合掌

 

<作品概要>

1979年の出来事(スローン殺人事件)

 

 サンタテレサの高級住宅地ホートン・ラバインにあるクリムピング・アカデミーは富裕な家庭の子女が通う私立名門ハイスクールである。

 イリノイ州から越してきたアイリスは同校に転入した。お高い校風に馴染めないアイリスは孤独だったが、上級生で評判のいい「良い子」ポピーと親しくなった。ポピーは学業成績は不振で、幼稚園以来の友人で秀才のスローンが個人指導していたが、ドラッグやアルコールを親しむアイリスと付き合うようになって進学すら危うくなってきた。

 

 教務主任からポピーへの悪影響を譴責されたアイリスは職員室にあるテスト用紙を盗み出してポピーと彼女の交際相手トロイに渡した。トロイは秀才だったが奨学金で通っておりトップランクの成績でなければ退学せざるを得ない状況にあった。

 

 テスト用紙の盗難は学校の知るところとなった。オースティンは学校に告げ口したのはスローンだと主張して彼女を村八分にするよう生徒たちに呼びかけた。オースティンは両親とも弁護士で、勝つ事が正義と言う家風のなかで育ち、権勢欲の強い男の子で、逆らえる生徒はいなかった。スローンはオースティンと交際していたが彼の執拗さに息が詰まり、冷却期間を置きましょうと言ったばかりだった。プライドの高い彼は傷ついた。

 

 村八分に慣れたスローンにベイヤード・モントゴメリーが、「オースティンが監督したポルノビデオを手に入れれば取引材料にして村八分をやめさせられる。ビデオはフリッツが持っている」と教えてくれた。

 

 スローンはマッカベ家に行き、フリッツの部屋に入った。母親ローレン・マッカベの方針で友人は出入り自由だった。ローレンはいたが、フリッツは不在で、スローンは母親の目を盗んでビデオを持ち出した。

 

 ビデオはオースティンが「ポルノグラフィー」監督として登場し、フリッツとトロイが酔って正体不明となったアイリスに猥褻の限りを尽くすものだった。撮影しているのはベイヤードらしかった。表沙汰になれば間違いなく未成年者強姦罪の証拠となる。

 

 スローンはオースティンと談判、休戦だということになった。オースティンは予定していた父親の山荘での終業パーティにスローンを誘った。ビデオも持ってきてと。

 

 参加者も帰り始め、オースティンはビデオを取り返そうとした。事態を予想していたスローンはビデオを持って行かず、歩いて帰り始めた。オースティンはトロイのトラックで後を追わせて捕まえ、近くのキャンプ場イエローウッドに連れて行った。フリッツに父親の寝室にあった銃を持たせていた。

 

 闇の中、大柄で体力のあるスローンは逃げ出した。フリッツは銃を振り回しながら発射した。スローンは顔面に銃弾を受け死んでいた。取り壊し工事中だったキャンプ場に埋めた。オースティンは4人でスローンと同乗して街中で降ろし、そこで別れたという事にした。

 

 捜査が始まり、ベイヤードは検事と取引、自白して免責となった。フリッツは口が軽いのですべてを話したが実行犯なので8年の刑となった。トロイは一緒にいただけだったが5年の刑となり、3年弱で釈放された。オースティンは裁判に現われず、逃走犯として指名手配された。

 

 テスト用紙盗難を告げ口したのはスローンではない。テスト用紙盗難事件で、トロイと友人の信頼が無いとされたスローンはトップランクから落ちた。トップランクの座を安泰にしたのはオースティンだった。

 

1989年(現在)

 

 ローレン・マッカベからキンジー・ミルホーンに調査依頼があり、市内のマッカベ家に行った。ホートン・デバインの屋敷は息子フリッツの弁護士費用に充てるため売り払ったという。だが、会計士の夫ホリスは、ベイヤードの父で投資家の大富豪、故ティッグ・マクドナルドの業務を請け負い巨富を築いており、今でも裕福だった。

 

 マッカベ家にビデオが送りつけられ、「2万5千ドル出さなければ検事に渡す」と書かれていた。ビデオではフリッツとトロイが少女を強姦していた。

 フリッツは少年矯正施設を出所したばかりである。検事に渡れば、更に長い刑期を勤める事になる。

 

 ホリスは金は出さない事にしていた。一度出せば、限りなく強請られることになる。ビデオが来たきりで、脅迫者からの連絡もない。ローレンは困り果てていた。

 

 ローレンは、当時、フリッツの部屋にあったビデオを見ていた。スローンが持ち去ったと思っていた。その後、誰の手に渡ったかは分からない。スローンの部屋は、事件後、離婚し、娘の悲劇を社会に訴え続けている母マーガレットが封印していた。

 

 フリッツは、あのビデオは冗談で”タダのどんちゃん騒ぎ”だったと言う。誰も気にしていなかったと。

 

 キンジーは関係者に会いに行く。

 アイリスはリサイクル衣服店に勤めていた。ジョーイと結婚予定だという。事件の後、退学になって地元の公立ハイスクールに通うようになり、彼に出会ったのだと。ジョーイはスローンの義弟だった。

 スローンの母マーガレットは建設会社を経営しているパウロと結婚したが、彼には前妻との息子が二人いた。二人はマーガレットの連れ子スローンを慕った。スローンの死後、マーガレットはパウロと別れたが、二人はマーガレットと暮らした。今は、ジョーイは父の建設会社を手伝っている。

 

 トロイは妻ケリーの兄が経営している自動車修理工場で働いていた。受刑者が働ける場所は多くはない。幼子が二人いて、客の評判もいい。

 

 ベイヤードは父が残した屋敷に遺産で暮らしていた。筋肉質の美男子で執事のジョアンと父の未亡人メイシ―と住んでいた。メイシ―は若く美人で、キンジーはベイヤードの愛人だと察した。

 

 その他、マーガレットやポピー、当時の友人達と話した。出所後、フリッツは彼らの家に入り浸っていた。脅迫の話をし、2万5千ドル払おうとしない父母の不平を言っていた。だが、彼等にフリッツの評判は悪かった。口が軽く、いい加減で不誠実な迷惑な人。フリッツを信じているのは母だけだった。

 

 犯人はオースティンと言う者が多かった。悪だくみでは彼の右に出る者はいない。人を操るのが巧みで善悪の見境がない。トロイは5百ドル盗んだ弱みを握られて云われるままに動くしかなかったと言った。

 

 マーガレットはスローンの部屋を片付ける事にした。手伝ったジョーイはスローンが隠していたビデオを見付けアイリスに見せた。アイリスは、ビデオは冗談だと言っていたが、本心では許せなかった。トロイは真剣にアイリスに許しを請うた。罪悪感のカケラもないフリッツは許せない。

 ビデオをマッカベ家に送ってみたものの金を受け取れば犯罪になるし、捕まる恐れもある。

 ジョーイは、オースティンの犯罪とみせかけて留守電に車で交差点に金を持ってくるよう伝言を残した。アイリスは街でオースティンを見かけたと言い始めた。金を受け取る積りはなく、アイリスとジョーイの仕業と知られることなく脅迫を終わらせたかった。

 

 留守電を聞いたフリッツは母の書斎に入り、小切手を偽造、現金を用意した。友人達に一緒に行ってくれるよう頼んだが、応じてくれる者はいなかったようだった。

 

 フリッツが行方不明になった。キンジーは行方を捜し、フリッツがシュラフを友人から借り、死体の隠し場所はイエローウッドが最高と言っていたと聞いていたので取り壊された元キャンプ場に行った。シュラフが捨てられていた。元キャンプ場の上に禿鷹がおり、汚水槽から異臭がした。マンホールを開けるとフリッツの死体があった。

 現場検証を行っていた警察は、その下から死蝋化したオースティンの死体を発見した。

 

 ベイヤードの屋敷に行ったキンジーは3人が屋敷を後にしようとしている事に気付いた。

メイシ―はロスに引っ越し、ベイヤードとジョアンは近くのリゾートにゴルフに出かけるという。メイシ―は「スローンの父親は誰か知っているの?」とキンジーに謎をかけた。

 

 マーガレットは若い頃、ティッグの事務所で秘書をしており彼の子を産んだ。ベイヤードはスローンの異母兄弟だった。ティッグは遺書を書き換える積りでベイヤードにも真実を告げていたが、スローンが亡くなったので実現しなかったのだ。

 

 キンジーは、スローンやオースティン殺害にベイヤードの影を感じたが確信は持てない。飛行場に知人を送りに行ったキンジーはベイヤードとジョアンの姿を見かけた。スーツケースは多くゴルフではない。ベイヤードの愛人はメイシ―ではなくジョアンだったのだ。

 行先を調べるとモロッコだ。米国とは犯罪人引渡協定がない。友人の刑事フィリップに電話し至急取り押さえるよう依頼した。

 

 ティッグは同性愛を毛嫌いしていた。知られれば遺産も取り消され追い出される。オースティンは同性愛をネタにベイヤードを支配していた。

 スローンを撃った銃はベイヤードが預かっていた。その銃でオースティンを撃ったのだった。フリッツはオースティンは死んでいると広言し、ベイヤードは弱みを握られていたとも。どこまで本当に知っていたかは分からないがフリッツは危険だった。ベイヤードはフリッツに頼まれて金の受け渡しを手伝い、誰も現れないのでイエローウッドに誘って撃ち殺したのだった。

 

 キンジーに付きまとい、探偵事務所の床下に住み込んで電話を盗聴、元妻の住所を知り重傷を負わせたネッド・ローは、ヘンリーに借りているキンジーのスタジオ(駐車場に建てられた簡素な住まい)に現われた。殺されそうになったが、ホームレスのパール(前作で知人となった無礼だが気のいい女)が来て助け出した。二人で立ち向かい、重量級のパールが警察が来るまでネッドの上に乗っていたので息が出来なくて死んだ。

 

 以前の作品(”W”)で互いに存在を知った従妹アンナはキンジーを頼ってサンタテレサに出てきた。キンジーは追い返したいのだが、気のいい家主のヘンリーは面倒見がよく、アンナを客室に滞在させていた。4軒先のモナ宅の一室を借りる事が出来、今ではモナ宅から仕事先のネイル美容室に通っている。刑事ヨナと付き合って、誤って妊娠してしまったと言う。刑事ヨナは腐れ縁の妻カミーラに振り回されており、一時キンジーともデートしていた。カミーラはキンジーが妊娠したと思い大騒動になったのである。

 アンナは中絶するか、産んで育てるか、里子に出すか決めかねている。ヨナはカミーラとの絶縁を考え始めた。過去、何回も別の男の元に走って別居したカミーラである。

 結論は次回作待ちである。