リンダ・フェアスタイン(1947~)は米国の推理作家。マンハッタン地検性犯罪課課長アレックス・クーパーをメインキャラとするシリーズで大作家となった。彼女自身が1976年から25年以上マンハッタン地検性犯罪担当のボスを勤めていたので作品のリアルさには定評がある。
 彼女は検察官時代に作品を発表し、ネロウルフ賞を受賞した4作目The Dead Houseを刊行した後、専業作家に転じた。アレックス・クーパーシリーズは、2019年刊行のBlood Oathまで20作品が発表されている。

 本書は1999年発売の3作目。マンハッタン地検時代の作品である。実際の事件ではないだろうが、アレックスが担当している事件や性犯罪事情がエピソードとしてふんだんに盛り込まれて、20世紀末ニューヨーク性犯罪事情ともなっている。

 なお、原題のCold Hitは、遺留品のDNAがデータベースのDNAと一致して身元が判明するという警察内のスラングだとの事。

 本書も強姦犯の捜査物語だが、背景としているのはマンハッタンの美術品取引の世界である。作中の美術商やリッチな絵画コレクターは、当然ながらフィクションだが、登場するボストン・ガードナー美術館窃盗事件やナチスのエカテリーナ宮殿「琥珀の間」略奪は実話である。「琥珀の間」の復元は2003年なので本書では語られていない。リッチなコレクターが集まるニューヨークは、美術館、美術商の都でもある。絵画愛好家は、ミステリとしてだけではなく更に楽しく読めるだろう。

 フェアスタインとパトリシア・コーンウェルは親友だという。コーンウェルの方が9才若いが、デビューは6年早く、作家としてはコーンウェルの方が先輩である。コーンウェルは2000年に発表した「審問」The Last Precinctをフェアスタインに捧げており、作中にフェアスタインをモデルとした性犯罪担当の検察官を登場させている。フェアスタインが現職で検察官をしながら本書に取組んでいた頃である。

 40才の時に結婚した28歳年長の前夫には2011年に先立たれた。5年前、バージニア法科大学時代の学友と再婚し、マーサ・ヴィニャードに住んでいる。第1作目の「誤殺」の舞台となったマサチュセッツ州に属するロングアイランドの先にある島である。サマーハウスの島で、引退したリッチな人達が多く暮らしているという。

 そのリンダ・フェアスタインが大変なことになっている。昨年、米国推理作家協会はリンダ・フェアスタインを巨匠(グランド・マスター)賞候補として指名したが、フェアスタインへのバッシングが広がり取り消さざるをえない情況になった。

 事の起こりはフェアスタインが検察官時代に担当した事件である。1989年ニューヨーク、セントラルパークでジョギング中の女性の暴行、レイプ事件が発生した。マンハッタンは大変な騒ぎとなり、ニューヨーク市警は14-16歳の5名の青少年を逮捕、フェアスタインは検察官として告発、有罪となっていた。後に、マティアス・レイスという婦女暴行常習犯で服役中の男が本件の犯行を自白した(宗教的良心に目覚めて)。

 5人の青少年(セントラル・パーク・ファイブ)は、自白は警察の強要によるものだと無罪を訴えていたが、レイスの告白により2002年再審無罪となった。昨年、NetFlixが彼らの不幸な人生を描いたテレビドラマを公開、全米で冤罪への怒りが渦巻いた。
 フェアスタインは彼らの尋問をした訳ではないが、見守る立場にあった。5人の怒りはフェアスタインにも向けられ、彼女は公職(多くは慈善団体)から退く事を公表した。今年6月、出版社は彼女との契約破棄を発表した。
 5人は、当時、「死刑を復活して、死を!」と新聞意見広告を出したニューヨークの不動産王トランプも非難し、謝罪を求めている。現大統領トランプは無視しているとのこと。

 米国では作家に訴訟は付き物で、作家に寄生する裕福な弁護士も多いという(コーンウェルの「証拠死体」にも出てくる)。作家になる前の本職で致命傷を負う事は珍しい。

 リアルに事件を語る事が出来る推理作家の第一人者である。本職時代の傷で作家生活が閉ざされるというような事はあってはならない。もう73のババアだろうなどとは、善良な推理小説ファンならば、けして思ってはいけないのである。

<ストーリー>
 アレックス・クーパーはマンハッタン地検性犯罪捜査課課長である。ニューヨーク検察庁が女性児童への犯罪を告発するため、特別にマンハッタン地検(職員は600人程度)に設けたグループを率いている。

 アッパーウェストサイドのハドソン川岸に女性の死体が打ち上げられた。頭に傷があり、梯子に縛り付けられている。着衣は付けているが下着はなく、治安の悪いアッパーウェストサイドに発生している連続強姦魔の犯罪だとも思われた。

 ニューヨーク市警特殊犯罪課でアレックスとの連絡役をしているマーサー・ウォーレスに、分署のマイク・チャップマンから応援依頼があり、マーサーと一緒にいたアレックスも現場に駆け付けた。マーサーとマイクは、分署の同じ職場で仕事をしていた事があり親しかった。
 
 新聞記事を見てメイドから電話があり、女性はローウェル・キャクストンⅢの妻デニーだと判明した。アレックス、マーサー、マイクの3人は、パリの自宅から戻ったばかりのローウェルに話を聞いた。

 ローウェルは著名な絵画コレクター、キャクストン家の三代目である。祖父が鉄鋼で財を成し、パリで踊り子と結婚、芸術家の後援をしていた。父母もまたパリとニューヨークを往復しながら、戦時中はアーチストのアメリカへの逃避を助けるなど芸術家の後援者だった。キャクストン家には無名時代のアーチストから贈られた絵画、後援の為買い集めた無尽蔵の絵画があり、その実態は計り知れなかった。ローウェルは美術館やコレクターに求められて分譲する事はあったが絵画商ではなく、絵画愛好家だった。入札や競売でめぼしいものは落札し続けていたので、コレクションは増えるばかりだった。
 三人目の妻デニ―と結婚し、彼女が絵画取引に熱心なので、マディソン・アベニューと57丁目の角の画廊街の中心にあるフラー・ビルを買い取り、8階に「キャクストン画廊」を開き、上階を住居とした。一人目の妻は出産時死亡し、イタリア人だった二人目の妻はレーシングボートの事故で亡くなった。娘が三人いたが、欧州で結婚して暮らしており、デニーより年上で家族は疎遠だった。デニ―は中西部の農家の出身で、勘が良く野心的だった。ローウェルは方言を直し、作法を教え、デニ―はニューヨーク上流社会で泳いでいた。
 デニ―は商売熱心で、ブライアン・ドートリーをパートナーとしチェルシーに「キャクストン画廊Ⅱ」を開いた。ドートリーはコカイン常用者で、いかがわしい男である。ローウェルは、一年前からデニ―と離婚手続きを進めていた。二人はフラー・ビルを住居としているが住居は大きく、実態は別居していた。ローウェルは住居の各部屋に並んでいる「本物」の絵画を見せてくれた。美術館の絵画の大多数は贋作だという。美術商が顧客に売った絵画の90%は、顧客が売る時には買値を上回る事はないのだとも。

 デニ―の死体を運んだらしいバンが乗り捨てられているのが発見された。後部のシートには血痕が付着していた。画廊の従業員オマー・シェフィールドの車だった。刑務所から出所したばかりの46歳の男だ。マイクはシェフィールドを探した。貨車に轢かれてた死体で見つかった。検屍の結果、薬物を大量に摂取していると分かった。殺人であり、轢かれなくても死んでいたのだ。

 連邦検察庁の友人キム・マクファデンから連絡があった。彼女は絵画商業界の談合、価格操作事件に取組んでいた。絵画商が談合して入札、競売に参加し、落札後仲間内で融通しているという噂があり、ローウェル、デニ―は被疑者だった。アレックスがキャクストン家を調べていると聞いて、令状を取って捜査押収したキャクストンの資料を利用するよう申し出てくれた。

 アレックス達は、シェフィールド死亡現場の近くにある「キャクストン画廊Ⅱ」に行き、デニ―のパートナー、ドートリーと話した。画廊の入っているビルは鉄道会社から線路の空中権を買って再開発されたので、3階には線路が通っていた。
 ドートリーは少女強姦致死事件の犯人と目されたが、司法取引で罪を免れた過去があった。表には立てない彼にはデニ―が必要だった。
 彼は、シェフィールドは、デニ―がローウェルを殺させるために雇ったのだと言った。

 アレックスにデニ―の友人でマリリンだと名乗る女から接触があり、アレックスは滞在していたホテルで話を聞いた。
 英国に買い付けに行ったローウェルをデニ―が仕事が予定より早く終わったので追いかけて行き、ホテルで浮気中のローウェルを見付けたのが離婚のキッカケ。現在デニ―は建築家ブレストン・マトックス、骨董商フランク・レンリーという二人のデート相手がいる。ローウェルはナチスが略奪した「琥珀の間」を隠しており、秘密を知った妻は外には出せないのでデニ―も殺そうとしている。ガードナー美術館盗難事件で消えた絵画を隠し持てるのは、各国に絵画倉庫を持っているローウェルくらいだろう。
 マリリンはデニ―の裏話、絵画界の内幕を語り続けた。自身も絵画コレクターであり、ドートリーからも買っていると。デニ―とドートリーの関係を聞くアレックスに絵画修復師マーコ・ヴァレッリに聞けと言った。
 デニ―はシェフィールド名の口座に振り込まなければ殺すという匿名の脅迫状を何通も受け取っていたと。脅迫状に書かれているデニ―の生活描写がリアルなので、見張られていると脅えて金を支払っていた。マリリンはデニ―から預かっていた脅迫状のコピーをアレックスに渡した。
 マリリンはローウェルの2番目の妻の先夫との娘マリーナ・セッテだった。マリーナの母は夫と彼女を捨ててローウェルの元に走ったのだった。父はアメリカに渡り、自動車部品製造業で成功した。豊かな遺産で絵画を集めていた彼女は、ローウェルの遺産にも権利があると信じていた。

 アレックス達は、マリーナの話の確認のためローウェルに会いに行った。「琥珀の間」やガードナー美術館事件の話は鼻で笑われた。脅迫状は、デリーを殺そうと企んでいる証拠として離婚協議で出されたので知っていた。ローウェルの弁護士が調べ、シェフィールドが刑務所の図書館で、離婚事件の訴状などを掲載している法律雑誌を参照して書いたものだと分かっていた。シェフィールドはデニ―以外にも脅迫状を書いていた。

 友人マーコ・ヴァレッリのお悔やみに行くと追い返された。

 慌ててたマイクが調べるとヴァレッリは医者は心不全の死亡診断書を出しており、検屍することなく葬儀の段取りになっていた。アレックス達は急いでミセスヴァレッリに会った。キャクストンやドートリーとの付き合いを聞くと、デニ―は疫病神だと言っていたという。マイクは棺に納まったヴァレッリを調べた。頭部に目立たない小口径銃弾の射入痕があった。

 ドートリーの画廊「キャクストン画廊Ⅱ」で、フランク・レンリーに出会った。フロリダ出身だが北部に来て骨董商を始め、デニ―と組んで仕事をしていた。深い仲になったのは、デニ―がローウェルと別居した後だと言う。
 
 捜査が進まない連続強姦事件、デニ―事件に新聞は焦れていた。ある新聞が、「性犯罪捜査課課長アレックス・クーパー、犯人の目星がついたと語る」という記事を掲載し、アレックスは苦しい立場に追い込まれた。目星などついていないし、検察官が個人的見解を述べるのはご法度である。

 マイクがマリーナからという電話を受け、アレックスと大事な話があるのでフォカス画廊で会いたいとの事だった。アレックスはマーサーと行った。
 早く着いたのでギャラリーで待っていた。玄関から男が入り発砲した。マーサーは応射した。男は受付の女性は射殺していた。男を追ったマーサーは撃たれた。男は逃げたが、撃たれて傷を負っていた。マーサーは瀕死の重傷で緊急病棟に運び込まれた。

 デニ―の死体から発見された精液がコールドヒット(DNAの照合一致)した。デニ―を強姦したのはシェフィールドではなく、アントン・ベイリーという男だった。贓物保有罪で短期間服役し、8カ月前に出所したばかりだった。だが、フロリダで連続強姦で20年間服役していた。
 交通違反で車を止められトランクからマサチュセッツ・ミード美術館から盗まれた絵が出てきたのだった。司法取引に応じず仲間や窃盗を自白しなかったので盗難品を持っていたとして有罪になったのだ。刑務所では、シェフィールドと同室だった。 
 
 ヴァレッリの元で学んでいたドン・キャノンが休暇から戻り事情聴取に応じた。ヴァレッリはレンブラントの「夜警」を修復したチームの一員からスタートして、絵画の修復、鑑定の第一人者だった。ヴァレッリは弟子は取らなかったので、ドンは押しかけていた。ヴァレッリと働いた実績はどこの美術学校の卒業証書より威力がある。
 デニ―を可愛がっていたが、デニーが鑑定に持ち込んだ絵画が原因で疎遠になったという。デニ―が持ち込んだのはガードナー美術館から盗まれたヴェルメールで、ヴァレッリは際どい絵画には手を出さない。デニ―はヴァレッリと仲直りしようと「ローウェルからもらった」と琥珀を持ってきたという。ヴァレッリは突き返した。出所は「琥珀の間」のようだと言った。
 アレックスとマイクは裏を取りたいが、ミセスヴァレッリはイタリアに行っており、話を聞けない。
  
 デニ―の恋人と言われるブレストン・マトックスの建築事務所に行った。彼はデニ―との結婚を望んでいたが、彼女から待てと言われていたのだと言う。一緒にヴァレッリの仕事場にも行っていた。ヴェルメールの絵はあり得ないと否定し、琥珀はマリーナから貰ったものだという。出所はローウェルの方が価値が増す。

 レンリーがアレックスのオフィスに駆け込んできた。突然「キャクストン画廊」が閉店しようとしていると。デニ―と組んで入手した絵も持ち出される。検察に画廊の絵画を捜索押収させようというのがレンリーの思惑だった。レンリーはパリでマリーナと深い仲になりデニ―とは疎遠になっていたので絵画はそのままになっていたと。ドートリーの画廊にもデニ―と組んだ絵を預けていると言う。

 アレックスとマイクは「キャクストン画廊」に行った。トレーラーは待機していたがローウェルはいなくて事情がわからない。

 本部からマイクに連絡があり、ニュージャージーの医院にベイラーらしき男が来ていると。医院は銃傷患者を警察に通報する義務がある。マイクは医院に急行した。

 アレックスはドートリーに事情を聞こうと、パトカーで「キャクストン画廊Ⅱ」に向かった。画廊にはレンリーがいた。
 その時、マイクから電話が入った。「ベイリーに間違いない」と。アレックスとマイクの会話でベイリーが逮捕されたと悟ったレンリーは「もう一日あれば逃げられるのに」と、アレックスに銃を突きつけた。アレックスを盾にしてパトカーで空港に逃げる積りだった。
 
 レンリーはフロリダでベイラーと不良仲間だった。社交家のレイリーがリッチな家族と交際して邸内を偵察、ベイラーが窃盗を働いていた。強姦癖のあるベイラーは連続強姦で逮捕収監されたが、レイラ―は盗品を持って北部に行き骨董商として成功した。出所したベイラーも北部に行き、ガードナー美術館窃盗グループと知り合い、彼等とミード美術館から絵を盗み出したが口は割らなかった。彼らはレンブラントやヴェルメールの始末に困りベイラーに相談した。ベイラーはレンリーに処分を持ちかけた。レンリーは盗品の絵を預かり、ベニーに話して絵を預けた。ベニーはローウェルにプレゼントする積りだった。ローウェルなら永遠に絵を隠して一人で楽しむだろう。だが、ローウェルの不倫を見付け離婚する事になった。デニ―はローウェルを脅そうとシェフィールドを雇った。シェフィールドは脅迫犯だが粗暴犯ではない。彼はベイリーを引き込んだ。
 絵は行き場を失い、持っているのは危険になった。二人は、絵は美術館に返還して懸賞金5百万ドルを山分けする事にした。
 マリーナと浮気し、ベニーに嫌われたレンリーにベニーとの未来はなくなった。彼は懸賞金を独り占めし国外に逃走しようとして、ベニーに預けていた絵を奪うようベイリーに依頼した。ベイリーは、バンで運んで来る事になっていたベニーを襲ったが絵はなかった。怒ったベイリーはデニ―を殺害、強姦してしまった。事情を知っているシェフィールドも殺した。レンリーは盗人に頼んだ積りで、強姦魔に頼んでしまった事を悔やんだ。ヴェルメールに気付いたヴァレッリも殺した。新聞記事で、アレックスに犯人だと露見したと錯覚して、彼女を襲いマーサーを撃った。

 アレックスは隙を見てバッグに入っていた唯一の武器カミソリでレンリーの腕を切りつけた。銃を落としたレンリーは追いかけて来た。アレックスは、恐怖を抑えながらビルの3階を走っている線路を逃げた。追ってきたレンリーは線路から下の混雑した道路に落ちて死んだ。

 アレックスは恋人のTVキャスター、ジェークとやっと会えてディナーに行った。マイクも一緒になり祝杯をあげた。マーサーも数カ月で退院できる。
 ガードナー美術館から盗まれた絵は発見されず、レイリーも死んだので真偽は謎のままとなった。
 FBIは公取法違反で画商の在庫絵画押収に動いた。ローウェルは「キャクストン画廊」を閉め、画廊とフラー・ビルの住居にあった絵画を移した。パリやイタリアにある自宅やスイス銀行の貸金庫、中西部にある廃棄された冷戦時代の退避壕に移したと噂されたが確かな事はわからない。