ダシール・ハメット(1894~1961)、云わずと知れたハードボイルドの始祖と目されるアメリカの作家である。私立探偵が活躍する推理小説は多いが私立探偵(ピンカートン探偵社社員)出身の推理小説作家はダシール・ハメットくらいではなかろうか。

 

 本書の作者序文(1934年)でハメットは「サム・スペードにはモデルはいないが、多くの探偵たちがかくありたいと思った男」だと言っている。現実の探偵(当時)も理想にしていたというのは興味深い。サム・スペードはハードボイルド私立探偵の原型となっている。サム・スペードのような偏屈で皮肉屋で男女関係に緩い探偵が登場すればハードボイルドだと言ってもいい程である。現在アメリカの現実の探偵の情報に触れる機会は殆どない。ハメットの時代のように推理小説が現実の反映だとすれば、女性のハードボイルド私立探偵があふれていてもおかしくはないのだが信じられない。

 

 ハメットは推理小説の革新者であり、しかも数奇な運命を辿っている。作家としては40歳の頃に実質的に終わっており、華やかな中年時代の後、不遇な晩年を過ごしたこともあって研究書、伝記が異例に多い。下手に批評がましいことを書けば書くほどボロが出る作家の一人である。

 

 本書は1930年発表。日本語版は多くの翻訳者が取り組んでいるが、決定版は小鷹信光(1936~2015)訳であろう。ハードボイルド評論家としても随一であり、というか他にはハードボイルド評論家はいないのではないかと思わせる程である(本格推理小説評論家は多いが)。小鷹訳「マルタの鷹」には最後に訳者の「解説」が付されている。「訳者後書き」ではない。まさに解説に値する論評である。

 

 ストーリーはともかく、時代背景(大恐慌前のアメリカ金ピカ時代)を頭の片隅に置きながら登場人物の性格や思考を味わうと誠に興味深い。

 

 推理小説を話題にするならば欠かせない一冊である。徳川家康を知らなくて江戸時代を語られても困る。

 

 

<ストーリー>

 サム・スペードの探偵事務所に若い女が訪れて「妹と駆け落ちした男フロイド・サーズビーの所在を突きとめて欲しい」と依頼して気前よく2百ドル置いて行った。

 

 サムのパートナーで女好きのマイルズ・アーチャーが早速、調査を請け負った。その夜、マイルズは尾行中、ウェズリー・リボルバーで撃たれ死んだ。刑事のトムとダンディはサムを尋問し、サムは依頼者は明らかにしなかったが、フロイドを尾行していたと告げた。その時、フロイドの射殺された死体が発見された。

 

 サムはマイルズの妻アイヴァと不倫の仲で、アイヴァはサムが愛するあまり邪魔なマイルズを始末してくれたのだと思う。サムはアイヴォにうんざりしていたのだが。

 

 サムが若い女のホテルに行くと、女の本名はブリジッド・オショーネシーで、依頼した時の話は嘘で、フロイドは香港で知り合い守ってくれていたのだという。サムに5百ドルで保護を頼む。サムは事情がよく分からないまま承諾する。サムを尾行している若い男がいた。

 

 レバノン人ジョエル・カイロが事務所に来訪して、銃を突き付けて部屋を探そうとした。銃を取り上げて話を聞くと「黒い鳥の彫像を探してくれ、5千ドル出す」と言う。

 

 サム宅にブリジッドが突然来て、約束していたカイロも来訪し、鉢合わせになった。二人は因縁の仲らしく、激しい喧嘩が始まる。その時、刑事トムとダンディが来て、喧嘩は誤魔化したもののサムの暴力を恐れてカイロは警察と共に帰り、サムはブリジッドと一夜を共にする。

 

 キャスパー・ガットマンと名乗る男から会いたいと電話があり、サムはアレグザンドリアホテルのスイートに行く。サムを尾行していた若い男ウィルマ―が同席し、ガットマンと話した。彼は「黒い鳥」の所在を知りたがったが、それが何かを明かそうとはしなかった。

 

 サムは探偵事務所の秘書エフィ・ピリンに頼んでブリジッドを彼女の自宅に匿ってもらう事にしたが、ブリジッドはタクシーで行く途中、新聞を読んだ後、消えてしまう。

 

 ウィルマ―が迎えに来てガットマンのスイートに行き、「黒い鳥」の由来を聞く。

 「十字軍として、富を集積していたサラセンを縦横に略奪したイスラエルの騎士団はスレイマン一世に追われた。後にロードス騎士団と呼ばれることになる、この騎士団はスペイン王からマルタ島など3島を賜り、お礼として毎年鳥を送ることになった。宝石をちりばめた黄金の鷹である。輸送中、海賊に奪われ行方知れずだったが1911年パリでハーリラオスと言う古物家がエナメルを塗られ埃の塊になっているのを発見した。だが、彼は1年後殺され、マルタの鷹は奪われた。17年後コンスタンチノーブルでロシアの将軍ケミドフが持っていると判った」のだと。

 

 ガットマンはケミドフから買い取ろうとした。手放さないのでカイロやブリジッドを使って盗ませたのだが、ブリジッドはマルタの鷹を持って逃げた。ガットマンはサムに探してくれれば5万ドル出すと申し出る。

 

 サムはカイロの部屋に侵入して家探しし、切り抜かれた新聞から、カイロやブリジッドが見たのは船の到着情報で香港からのラ・パロマ号入港の知らせだと知る。ブリジッドは船長に会いに行ったのだ。

 

 サムの探偵事務所に撃たれた大男が駆け込んできて倒れた。男はラ・パロマ号の船長ジャコビでマルタの鷹の包みを持っていた。サムは包みを小荷物預り所に預け、半券は私書箱に送っておいた。

 

 自宅の戻るとブリジッドが入り口前に隠れていた。家に入れると宅内にはガットマン、ウィルマ―、カイロが潜んで、サムとブリジッドを待ち受けていた。

 ガットマンは1万ドルで鷹を渡せと迫り、サムはウィルマ―を殺人の罪で警察に売るのならと話しをつける。抵抗するウィルマ―は叩き潰される。

 

 翌朝、サムは秘書エフィに電話して、マルタの鷹を取りに行ってもらう。鉛で作った偽物だった。騒ぎの間にウィルマ―は逃げた。ガットマンとカイロはコンスタンチノーブルに戻ると言って出て行った。

 

 サムはブリジットに迫り、邪魔なフロイドを遠ざけるため、マイルズ殺しの殺人犯として逮捕させようとして、彼女がマイルズを殺したと自白させる。香港で知り合った船長ジャコビを引き入れマルタの鷹を手中にしようとしたが、ガットマン達が現れたのでサムの事務所に持っていかせようとしたのだと。だが、ウィルマ―が戻って来て、撃たれた。

 

 サムは、通じ合う所のある刑事トムに連絡し、「愛してくれてはいなかったの?」と呟くブリジッドを渡し、ガットマン達を追わせる。ガットマンはウィルマ―に殺されていた。