![]() |
大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)
1,037円
Amazon |
ハードボイルドと言えばレイモンド・チャンドラー(1888~1959)である。祖とされるのはダシール・ハメットで、広めたのはロス・マクドナルドとも言われ、ハードボイルドに貢献した作家は数多いるが中心に据えられるのはチャンドラーである事に異論はなかろう。米国では著作権が切れているため英語原文なら青空文庫で読めるのも有難い。
本書は最初のフィリップ・マーロウ長編作で1939年に発表され、好評を得て以降のフィリップ・マーロウものの契機となった作品である。主人公は斜に構えた私立探偵、一人称一視点、簡潔な描写といったハードボイルドのプロトタイプである。主人公は法や常識と云った社会の制約に囚われない固有の性格をもった人である。世間からは皮肉な、ひねくれた扱いにくい人である。だから、私立探偵であることに必然性がある。警察小説ならばノワールやはみだし刑事ものにならざるを得なくなる。ハードボイルドがノワールに陥らず共感をよぶのは人間の異端への渇望に触れるからであろう。「荒野の用心棒」の世界である。
一人称一視点は、ハードボイルド以前の推理(探偵)小説を作家が物語の語り部として叙述する手法、コナン・ドイル、エラリー・クイーンのように作家ではなく主人公以外(ワトスン)の視点で叙述する手法とは大きな違いがある。物語のなかの情報は全て主人公の得ている情報であり、主人公の心の動きや推理は(作家の解釈ではなく)真実として構成されなければならない。感情移入しやすい手法でもある。
ハメットもチャンドラーも盛んになり始めたハリウッドに関わっている。映画の持つダイナミズムを移入したようにも見える。
ハードボイルドの文体論が云われるが、いわゆる文学から離れ始めたのは明白である(チャンドラーを始めとして、本格的な文学の教育を受けた作家も多いのだが)。ただ、この時代、簡潔な事実描写、会話で物語を構成するヘミングウェイが受けており、ハードボイルド文体も時代の落とし子だとも言えるのではなかろうか。
「大いなる眠り」はハリウッドの、死に行く大富豪と出来の悪い二人の娘にまつわる物語である。ある事件を捜査すると言ったミステリーではなく、重層化された事件をマーロウが体当たりで解いていく。
ハードボイルド、チャンドラーにアプローチしようとするなら必読の一冊である。チャンドラー抜きにして現在のミステリーは語れない。
<ストーリー>
フィリップ・マーロウ、33歳。検察官事務所にいたが、不服従だと首になり私立探偵をしている。
検察官事務所で上司だったオールズ捜査官からの紹介で、ガイ・スタンウッド将軍のお屋敷を訪ねた。スタンウッド家は広大な敷地から石油が出て有り余る富を築いていた。老将軍は余命いくばくもなく車椅子とベッドで過ごしていた。若い娘たち、姉ビビアンと妹カルメンは奔放で知られていた。
老将軍はマーロウに、好ましく親しんでいたビビアンの夫ラスティ・レーガンが別れも告げず行方知れずになった事、カルメンが関係した男ジョー・ブラディに5千ドル払って手を切らせたことなど家庭内の事情を語る。だが。マーロウに依頼したのは本屋のガイガーという男からのカルメンの署名付き賭博借用書を添えた千ドル払えという脅迫の処理だった。
老将軍のプライドの問題であり、マーロウは1日25ドルの約束で引き受けた。老将軍はレーガン探しは依頼しなかったが、関りを心配している素振りを見せた。
マーロウは表通りにあるガイガーの本屋(裏稼業はエロ本)と自宅を突き止める。自宅を見張っていたマーロウは銃声と誰かが逃げる足音を聞く。押し入ると、ガイガーは殺されて倒れており、カルメンが裸でソファーに意識なく横たわっていた。ヌードの撮影中だったのだ。マーロウはカメラの原版を見つけることは出来なかった。スタンウッド家にカメラの原版を買えという脅迫文が届いた。ガイガーの自宅に戻ると死体は消えていた。
本屋に行ったマーロウは在庫品が運び出されているのを見て尾行した。持ち込まれたアパートを突き止める。ジョー・ブラディのアパートで、脅迫文を送り主だった。
捜査官オールズから電話があり駆け付けると、スタンウッド家の運転手オーウェン・テーラーが桟橋から車ごと飛び込んで死んでいた。テーラーはカルメンと深い関係だった過去があった。自殺のように見えた。
ガイガーの自宅に行くと、彼の死体はベッドに丁重に寝かされていた。家主だという暗黒街の主エディー・マースが来て、スタンウッド家、レーガン探しに手を出すなと脅される。
ジョーのアパートにマーロウが話をつけに乗り込むと本屋の女店員アグネスが一緒にいた。そこにカルメンが銃を持って現れた。マーロウは彼女を帰らせた。次に男が来た。ジョーがドア口で対応していたが、男はジョーを射殺して逃げた。男はガイガーの本屋の若い店員キャロルで、ガイガーを殺したのはジョーだと思って復讐したのだった(実は運転手テーラーだった)。
事件は解決し、スタンウッド家から、5百ドル送られてきた。
エディー・マースの闇賭博場を訪れたマーロウは、ルーレット狂いのビビアンが大勝負に出て狂騒しているのに出くわす。 最後にはエディーと大勝負して勝つが、帰りに暗闇でエディーの手下に奪われそうになる。後をつけていたマーロウが救うが、エディーと親しいビビアンの出来レースのようだった。ビビアンは失踪している夫レーガンに無関心を示し、マーロウを誘うが、マーロウは断る。自宅アパートに戻るとカルメンが裸でベッドで寝ており、マーロウは相手にしなかった。拒否されたカルメンは異常な敵意を示した。
マーロウにレーガンの所在情報を買ってくれと、レーガンやアグネスの知人ハリーが接触してきた。ハリーが立ち寄った事務所にマーロウが忍び込むと、ハリーは男と話していた。男はハリーを毒殺した。
マーロウは、その場からアグネスに逃げるように電話し、レーガンが駆け落ちしたと噂されるエディーの妻モナの居所を聞く。男はエディの配下で、モナの用心棒カニーノで残虐な事で知られていた。
モナの隠れ家を見付けたマーロウだったが、彼女を護衛していたカニーノに見つかり捕らえられる。カニーノが出て行った隙にモナが逃がしたが、戻ってきたカニーノと争いになり、マーロウは射殺した。
スタンウッド家を庇護する検事ワイルドは怒ったが、マーロウを無罪放免せざるをえなかった。レーガン探しは触れてはならない謎なのだった。
老将軍に呼ばれたマーロウは叱られる。だが、マーロウを信じた老将軍はレーガン探しを依頼する。場所は分からなくてもいい、元気かどうかだけでいい、もし彼が金が入用というなら教えてくれ、と。
屋敷から帰ろうとするマーロウはカルメンに出会う。ジョーのアパートでカルメンから取り上げていた銃を返すと銃の撃ち方を教えてくれという。承諾したマーロウをカルメンは廃された油井に誘う。マーロウが的を用意すると、カルメンは銃を向けて撃ち始めた。弾は当たらなかった。カルメンは発作を起こし始めた。
カルメンを屋敷に連れ帰ったマーロウは姉ビビアンと話し、レーガンはカルメンが殺したのではないかと迫る。レーガンを誘って拒否されたカルメンが撃ち殺したのだった。
死の床についている父を苦しめたくない、狂気の妹も守りたいビビアンはエディに処理を頼み、さらに悩みを積み重ねていたのだった。エディはレーガンの死体を廃された原油槽に隠し、妻モナを使い駆け落ちしたように装ったのだった。
ビビアンに、IRAの元戦士レーガンは偉大な男だが死ねば(大いなる眠り)、立派な墓にしてくれだとか、そんな事は何も言わないとマーロウは話した。
カルメンをしかるべき施設に入れなければ全てを明るみに出すと言いおいてマーロウは屋敷を出て行った。