昨日の朝は、殿と街へ出かけてきました。

行きたかった画材店をゆっくり見たり、食材をデパ地下で探したり。

きれいに並べられた洋菓子の棚をうっとりと見たり。

そんな風に数時間を過ごしました。

 

ついこの間までは、「Hana、悪い、ちょっと留守番頼むね~」と声を掛けて、カーテンの閉め具合やエアコンの温度や、飲み水の点検などをして、着ていく服に毛が付いてないか確認して、アタフタと出かけて行ったものでした。その間も、シニア犬であったHanaは、お気に入りのベッドの中で、首をちょっと持ち上げる程度の「はいよ」的な返事のしぐさをしていましたっけ。「どうせちょっとしたら帰ってくるんでしょ」という安心感をここまで持ってもらえるようになったことは、カーチャン達も良かったなぁと思っています。

 

さて、街や店を見て帰ってきて、お土産にしたお稲荷さんなどを自転車のかごに入れて自宅近くの公園に行き、咲きだしたシロツメグサなど見ながら夫婦でゆっくり遅めのランチとしていただきました。鳩やムクドリたちの動きを追いつつ、おいしいねえとか、風がなくていいねえと夫婦で語る。それから家へ戻って、それぞれ別の部屋でのんびりしようということになり、結局ふたりとも夕寝してました。

 

夕寝から覚めて、一緒に豚しゃぶの用意をして、テーブルでお鍋の湯気をはさんでいたとき、「あ、そだ」とカーチャン。

 

「今日、まだ、泣いてない」

 

殿が言う「ほう…」。

 

これには多分3つの理由があるのです。

1つめは、少しずつだけど時間が経過してきていること。

2つめは、家から出て好きなことをする時間が持てたこと。

そして3つめは、最近アニマルコミュニケーションのセッションを受けて、想像以上の優しくて奥深い愛のメッセージを受け取ることができたこと(これについては、いつか、整理して記事にしたいと思っています)。

 

先週もいただいた新しい花束と写真立ての中のHanaの笑顔に目をやったら、泣いていないことがどこか申し訳ないような、自分が冷たい人間になってしまったような、たとえようもない気持ちになってしまいました。

 

食事を終えて、お皿を洗って、お茶をいれて飲んで。

少しゆっくりした後で、カーチャンは「ちょっと泣いてくるわ」と言って、近くの2ブロックほどを一周歩いてみました。

静かな広い道。駐車場。夜空。見晴らしのよい十字路。その真ん中でHanaはよく伏せて、ただただ、のんびりとしていたものでした。

悲しくて泣くのではなくて、感謝の涙がするりとこぼれてきました。

 

 

ありがとうありがとう楽しかったよ、ありがとう

 

 

まるで、これじゃ日々の筋トレのようですが、日々泣けることがどこかで自分の心を守ってきたのだということを発見し、少し驚きました。

 

これがすべての飼い主さんにとっていいことなのかどうかは、分かりません。

 

ただ、涙の内容というか、質というか、そういったものが、Hanaを見送った当初と比べると、徐々にですが、変わってきたなと感じています。

 

浄化というものに近いかな。

 

今朝は、お線香をあげるときに、少し熱いものを目に感じました。

 

ゆっくりと進んでまいりますね。