友達から久しぶりにメールが来ました。元気でいるかと尋ねる内容だったので、返信として近況報告を兼ねて、Hanaのこと、卒哭忌までひと月を切ったことを報告しました。「まだ、なんてことないふとしたタイミングで涙が出るんだよね」と書きました。

 

友達は、さらにその返信として、追加のメールを送ってくれました。そのメールで、昔飼っていた猫の話を教えてくれました。末期の病状から判断してその猫ちゃんの安楽死を選んだのだそうです。10年以上も前のことなのに、今でもその話を書いていると涙が出てくるって。100日(百箇日、卒哭忌のことね)なんて無理だって。

 

返信メールにはさらにこう書いてありました。

「5000日は泣こう」って。

 

不思議なもので、そう言われると、そこまでできるかなぁって、どこかユーモアも感じて、心が少し軽く持ち上げてもらえたように感じました。

 

なんとかしようとすると力が入る。だめだ、やめようと思うと、返って執着してしまう。自分を卑下することになるし、動きだせないことになる。

 

「まだ5000日もあるんだ」と思ったとき、たとえその間にもHanaが生まれ変わって別のペットや動物となってどこかで誰かと笑って暮らしているとしても、カーチャンの中のHanaとのストーリーはその5000日のうちにいい形で完結すれば、それでいいのよね。もちろん、できれば早い方がいいのだけれど。

 

愛するペットを送り出すプロセスは、ゆっくりでもいい。ただ、ただ、丁寧に毎日を生きて行けば、ある時にふっと「あ、自分が変わったな」って気づけるかもしれない。

 

メールのやり取りの中で、一見応援でもなさそうな一言に大きな応援を受けた気がしました。同時に、ペットとのお別れにはいろいろな形があることをあらためて意識しました。その中には不慮の事故もあるでしょう。どうしようもない事情による生き別れのままのラストもあるでしょう。

 

ヒトも動物もすべてが愛で包まれて一つの虹色の世界になっていくことを、カーチャンも祈りたいと思います。