いつまでも亡き愛犬を想って泣いていると

 

「それはあなたが依存していたからではないか」とか

 

「わんちゃんが悲しんでいるよ」とか

 

言ってくる人がいるかもしれない

 

 

 

でも泣いちゃうものは仕方ない

 

泣きすぎて頭が痛くなるほどの

 

鼻が詰まって息苦しくなるほどの

 

そんな「泣き」というものは

 

これからの人生でもうないかもしれないから

 

思い切り経験してしまうのもいいと思う

 

 

 

でも

 

依存というものも

 

笑顔で送り出す必要性というものも

 

確かにあるなと心がずきりと反応したら

 

そうした発言に対して言い返すのではなくて

 

ノートとペンを取り出して

 

今の気持ちを書き出してみるといいのかもしれない

 

 

 

「依存」というのは

 

犬と一日べったり過ごす、という意味ではなくて

 

犬がそばにいてくれることによって

 

どんな状況から自分が守られてる気がしていたか

 

いや、もしかしたら、逃げていられる気がしていたか

 

そこを指しているのだと思う

 

 

 

カーチャンもめそめそ泣きながらノートに書いたことがあります

 

最初はHanaといて感じたことばかり書いていたつもりが

 

思いがけない人物の顔が浮かんできて

 

ああ、この人との関係を見直すことが先なのだと

 

気付いたりしたのです

 

 

 

 

そうすると

 

横で不思議そうにお座りしてこちらを見上げているわんこに

 

「いいの、あなたのことじゃないんだよ。

 

待ってなくていいんだよ。

 

ほらほら、お庭で遊んでおいで」って

 

そうっと声をかけてあげる時みたいに

 

優しい気持ちで少し送り出せるような気が、

 

完全じゃなくても、そんな気が、一瞬、する

 

 

 

 

 

頭で考えている間はなかなか整理できないのだけれど

 

手でちゃんと紙に書きだすことで

 

あぶり絵みたいに徐々にはっきりしてくることもある

 

 

 

こんな作業は面倒くさいよね

 

面倒くさいけど

 

暇で悲しくてカビが生えたまま朽ちてしまいそうな気分の日は

 

キッチンでもどこでもいいからテーブルについて

 

ちゃんと椅子に座って

 

10分くらい、こんな作業をすることもどうかなって

 

 

 

ちょっとだけどね

 

そう思います