ども、カーチャンです。

 

今日の内容はちょっとシリアスめです。

 

気分よくお茶を飲んだりご飯を食べていた人は、後ほどお読みください。

 

こほん(咳)…

 

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

 

保護犬の情報を時々SNS等で見る時に、飼い主の放棄、飼い主の持ち込みなどの状況で保護された犬の姿が紹介されることがあります。

 

可哀そうです。もちろん、胸も痛む。

 

そのしょぼんとした背中、あるいは逆に人を信じ切っているようなくりくりした目、それらを目にした読者さんやユーザーさんは、こんなコメントを寄せることがあります:

 

「信じられない」

「飼う資格なし」

「もう二度と飼うな」

「飼えないなら最初から飼うな」

「こんな飼い主のところに戻るなら新しい里親を見つけた方が幸せだ」

「こんなに可愛いのになんで捨てられるの」?

などなど…

 

ごもっともです。

 

本当にその通りなんです。

 

 

でもね。

 

人間社会の皆さん、どうでしょう。

 

絶対に離婚はしないと断言できるか。

絶対に自分の会社は倒産しないと断言できるか。

絶対に自分はいつまでも健康であると信じられるか。

絶対に自分は友達が沢山いて、お互いのペットぐらいは面倒見ようと「ちゃんと」約束してくれているか。

絶対に常に数百万円はあって、いざ飼えなくても次の世話をする人に託せる余裕があるか。

絶対に自分の子供は動物嫌いには育たないか。

絶対に天災はやってこないのか。

絶対に転地しない人生を送れるのか。

絶対にペットより先には死なないと決めているのか。

絶対に親の介護と犬の介護は両立可能であるか。

絶対に…

絶対に…

 

 

ね。

ほとんどは、答えられない問いですよね。

 

カーチャンも答えられません。。。

 

うちのHanaは飼育放棄犬ですが、愛されなくて捨てられたかは分からないと考えるようにしています。こんなに可愛い子だし、何か事情があったというストーリーも「なくはない」と、考えています。

 

動物に優しくできる人なら、人にも本当は優しくできる人なんですよね。

「ったくもう」とぶつぶつ言いながら、人の情をこれからも信じていきませんか。

 

保護された犬たちの写真や動画を見るだけで、その犬たちへの溢れるような愛情や同情を感じる人はちゃんと不条理を感じてる。わかる人はもう、わかっている。それだけでも、素晴らしいと思うんです。そういう方たちがいるから、犬たちはまたやり直せていけるのですね。

 

人生には辛いこともめっちゃ多いし、もういろいろ経験済みだよ、という人もいると思うんです。

 

「絶対」という終生飼育を誰も100%は保証できないのなら、私たちは、自ら社会や政治、経済についても勉強して、動物保護や動物福祉のシステムを改良していける発言力・行動力を少しずつでも身に着けて、他力や組織を使った柔らかなネットの構築を目指していくべきではないかと思うのです。

具体的な行動こそ「愛」だと思うのです。

 

その点ではカーチャンはまだまだ全然勉強不足でほんと愛が足りてません。

今は、政党のマニフェストをチェックしたり、情報拡散のお手伝いをしたり、保護活動経験者の方の話を聞いたり、自治体の方針に目を通したり、そんなことしかできていません。

 

一世帯で一匹をとことん愛して世話する。本当はもうそれで十分。その世帯が、みな、保護犬を引き取るという選択をするだけで、あっという間に保護犬の収容に関わる問題は解決していくと言われています。

 

なんとか、出来そうな、なんとか、やり遂げていきたい気がしてきますよね。

みんなで頑張りましょう照れ