53歳男性 膵体尾部癌末期 ステージⅣbの診断を受けたご利用者様より
平成31年2月22日より新規依頼を受け担当となる。
その時すでに、予後は3か月と、厳しい状態との説明を受ける。
奥様は、初めから
「最後は病院で看取りを行いたい。自宅では不安なことが多すぎます。」
と最後は病院での死を希望されていた。
しかし、ご本人様は、
住み慣れたご自宅で、大好きな家族や犬に見舞われて、最期を迎えたいとの意思表示有。
何度も奥様とお話を重ね、
御本人の思い通りに自宅で看ることはできないか?
と投げかけ続けた。
化学療法やカフティーポンプを使用していたので、点検やルート交換、輸血、CART施行の為、
月の半分は入院ををし、退院できる状態となれば、即退院をし、その生活を繰り返していた。
訪問看護と、福祉用具で病状の観察を続けた。
入院時は担当のMSWや退院調整看護師に、
【御本人の意思を汲み取って欲しいことや、終末期に対する、奥様への情報提供、方法を選択をしていただくよう】
再々お願いはしていた。
今は病院での看取りを希望しているかもしれないが、
いつ意向が変わるか分からないし、退院している間に万が一があった時にでも、
検死とならないように、体制を整えたい為、かかりつけ医を依頼していた。
が、いつも決まって「スイマセン。入院中にそのお話は出来ませんでした。」と返答がきた・・・・・
5月22日
ご自宅訪問をすると、病状は思わしくないのが私でも分かった。
24日には定期受診の為に病院へ行く予定にはなっていたが、
今すぐにでも受診をした方が良いのでは?と提案をした。
しかし
御本人様は「行きたくない。」と
恐らく、受診するとそのまま入院となり、帰って来られないことを感じていたのではないかと思う。
精いっぱい
ご自身の思いを奥様に表示されていた。
私も、再度どうにか御本人様の思いを汲み取れないか?
「お体も辛いやろうに、でも辛いと言わないのは、言うと病院に行って、
そのまま帰って来られないことをご自身で感じ取られているからではないでしょうか?」
と生意気ながら、奥様に代弁をした。
奥様は承諾をして下さった為、
病院に【主治医にご自宅での看取りへ切り替えたい為、情報提供を依頼】するも、
金曜日外来に来てくださいという事で、書いて下さらなかった。
その間に、何かあった場合は【検死】です。の一点張りであった。
家族は検死を避けたいという事で、
こういう状態でも受け入れてくれるかかりつけ医を必死に探した。
ようやく引き受けてくださるかかりつけ医を見付け
そこから、本人・家族・事業所との二人三脚が始まった。
1日に何度も関係者が訪問し、
色々と対処をしてきた。
そして、
26日深夜に息を引き取られました。
たった3か月の支援ではありましたが、
色々と勉強となった。
最後は病院でという思いを抱いていた奥さまに対して、未熟な私が自宅で看取りができないか?と提案をしたこと
そして、奥様ご自身の思いを曲げ、御本人さんの思いに寄り添ってくれたこと。
その思いにかかりつけ医や事業所やがさらに寄り添い、支えとなってくれていた事
これで本当に良かったのか?後悔や反省等色々複雑な思いを抱いてしまうが、
御家族から。その後に、感謝の言葉が聞かれたのが、唯一の報いではある。
声なき声を聴きたいな