久しぶりに屋根部屋の皇太子を見たら | I treasure you わたしのたからもの

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こんにちは^ ^


一年を振り返りするのが

いいかなぁと思いつつ先にこれ書く^ ^

また今年のうちに書くかもしれません。





この間、久しぶりに

Amazon prime videoで

屋根部屋のプリンスを観たんです。

DVDと日本語訳変わってましたよね?

セリフが違って

イメージが変わるぅ💦と焦ってました。

セリフ大事だから〜〜




このドラマで

ユチョンのファンになったから

何度も観たんですが



改めて見直したら

ユチョンではなくて

(まあでも好き💕結局は一気見した🤣)



今回なぜかストーリー中の

ひとつの言葉が

気になったんですよね。


今日のブログはその話。

すごく抽象的なこと書きますよ^ ^あは



あれです。

世子とプヨンが最後にした謎かけ。






生きていても死に

死んでも生きるものは?






プヨンは、芙蓉、蓮の花、輪廻転生と

答えていました。



"芙蓉は泥に埋まって死んでこそ

再び花を咲かせます。

花が枯れて初めて種が落ちるので

生きていても死ぬ"



なるほど。




ドラマでは

プヨンの想いは時空を超えて

後世の自分であるパッカと

自分に会いにきた世子に伝わった。




そして今度は世子の想いが時空を超えて

後世の自分であるテヨンと

自分に会いにきたパッカに伝わった。



蓮の花になぞらえた人の輪廻転生。




翻って、現実の話。

私がドラマから連想したこと。




場所も時間も本当は

エネルギーという、どっとした

ひとつのまとまりで存在しているとしたら。




ある場所に焦点を当てた時に発生する座標点

つまり

今の私という現象を

ただ生きて滅ぶのが身体。



現象だから身体が無くなっても

ひとつのまとまりという縁はあるまま。



身体に直接結びついた記憶がなくなっても

組み替えられた情報は必ず

空間のどこかに存在して

焦点をあてると何かの形で集まってくる。



ドラマでは、過去と現在それぞれで

嫉妬と愛、同じテーマに焦点があたって

彼らの時空越えという現象を引き起こした。





生きていても死に

死んでも生きるものは?





今回この質問を聞いた時に思ったこと。

ドラマではなく実感として自然に。




魂でしょう?




まるで存在しないみたいに

思い込みと日常に紛れてる。

でも極限状態には姿を現す。



あまりのバリアの強さに驚く。

しかも守られているものは

触れると

私の存在の膜が破れて中身が流れそうな

鋭い尖り具合のもの。



全力でどこかへ行ってしまいたい。



でもどうしても

分厚いバリアをかき分けた

奥にあるものが

小さな光を放って私を待ってる気がして



心の底から怖い場所だけど

怖くて泣きながらバリアを剥がして

さらに破れにいくのだと思いながら

一歩ずつ進む。





でもなんとなくだけど

棘にあたった瞬間に

破れて出るのは私の血じゃなくて




無限に広がって

世界中をお祝いするような喜びで



その喜びが

待ってた小さな光を

一緒に連れていくんだって予感もする。






生きていても死に

死んでも生きるものは?




だからそれは

魂で、愛で

命の持ってるエネルギーかなって

思います。



それは一時期、形を変えても

結局、続いていくというお話。



輪廻転生を何も覚えていなくても

何も不思議なことが起きなくても

続かせようとする意思が導いていく。



私たちの縁はそうやって作られていく。

そこを一生懸命見ようとすることに

私たちの生はある。

私たちは進化するために生きてる。



今、周りの人たちとの縁って

どう構築してますか?

知り合った人たちは

どんな縁のある人なんだろう。


ここ数年、

本当にそう思う出会いや別れが多くて。


縁という考え方を持つと別れですら

ほんとは別れてないんだよね。



屋根部屋って、もしやベースは深い?

ドラマの俳優さんたち

そこまで解釈してないかもだけどね。


ではでは^ ^も少し書けるといいです🍀