インタビュー:伝えたかったことを正確にわかっていてくれている人たちがいると喜びを感じる。 | I treasure you わたしのたからもの

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Kstyle Interview 10asia 2012.06.16 vol.2
分けました。その1です。

エンディングに関して、その役を演じる立場からはどんな風に考えたのか?
エンディングでの彼は100%ヨン・テヨンだった。そのため、イ・ガクの記憶は持っていないと思った。ただ、イ・ガクとテヨンが完全に別人だと思って演じたら、パク・ハに残されたこの世があまりにも残酷過ぎるので、転生の雰囲気を少し残しておいた。コーヒーショップでテヨンがパク・ハに出会う時も、台本のト書きには“パク・ハのことに全く気づかない”と書いてあったが、監督と話し合ってその状況を少し変えたりもした。そのため、最後にイ・ガクの姿になるエンディングシーンにでも、その状況はファンタジーだけど、伝えようとした感情だけは極めて現実的なものだと解釈した。愛する人を手放したらもう2度とその人に会えることができず、そのため“転生”という言葉を胸に刻むほどの恋しさ、痛み、悲しみがそこにあるのである。テヨンとして演じる時は泣かなかったけど、イ・ガクとして演じる時は涙を流したのもそういう理由からだった。

ドラマの中盤以後は3人の人物を演じなければならなかったが、それぞれが持つ温度感が微妙に異なるように思えた。
そういう部分をどんな風に作ろうかと考えたら、意識し過ぎるかもしれないと思って、むしろ僕はイ・ガクにより近づこうとした。本物のイ・ガクになってしまえばイ・ガクが演じるテヨンが自然に出てくると思ったから。しかし完璧なテヨンを演じる時は時間が足りなかったし、ずっとイ・ガクに夢中になっていたから現代語のテンポに追いつくことが結構大変だった。たとえば、前のシーンでイ・ガクを演じた後、テヨンとしてテムと会話をするシーンをぎこちなく感じた。そのため、その解決策としてメガネをかけて2人の人物を演じ分けることにした。しかし、そうやって区別することによりパク・ハに会う時の流れがギクシャクした時もあったけど、それでもメガネをかけたらテヨン、外したらイ・ガクと分けて演じた。そんな中、テヨンのふりをするイ・ガクとしての鋭さを表現できる部分が見えたりもしたけど、思ったよりもうまく演じることができず、その残念さが心の中に残っている。メガネを押し上げる仕草も考えたけどそれをやる前にすでに「名探偵コナン」に僕の顔を合成した写真が出てしまった。何だかそれを真似しているような気がして、その仕草は諦めた(笑) 

恋愛に関しては自身が意図したとおりに披露してくれたと思う。
そういう意味で、今回の作品を通して自由に演じる楽しさを本当にたくさん感じることができた。ト書きが書いていない台詞の場合、僕の解釈どおりやってみたいと欲が出たりもしたけど、監督さんが僕を信じてくれて、僕の思うように演じることができるようにしてくれた。そのため、演技の楽しさを改めて感じることができ、枠にとらわれないから、心も更に余裕を持つことができた。実際、台本では終わったシーンなのに、放送ではその次が作られて放送される部分も多いけど、それはアドリブが本当に多かったからだ。特に、僕と腹心3人組が出演するシーンでは、アドリブが溢れ出した。

そういう自由さは俳優としても新たな経験だろうが、歌手としては感じることのできなかった部分だと思う。
…他の分野ではあるけど、その時の渇きを解消することができて嬉しかった。そしてそんな自由を発揮するためには、結局その先にその人の経験が必要であることにも気づいた。俳優が演技や自分の役に夢中になりそれと自分の経験との間に繋がりができた時、自由に引き出して披露することのできる表現が生まれると思う。貯水池でパク・ハを抱きしめて泣き叫ぶシーンも、実際に僕が経験したことであるからそんな風に演じることができた。色んな面で僕が持つ感情を活用できる演技を見せられる部分が多い作品だった。そういう点は幸いだと思ったし、俳優として恵まれたとも思った。

自由に演じるためには相手役との相性が必要だがそのために特に努力したことはあるか?
目的を持って努力はしなかった。撮影に復帰して感じた責任感や仕事に対する愛着があったので、自然に行動に出たのはあると思う。一週間に7、80シーンを撮る立場の僕が主演を手放すことはできなかったし、手放してはいけないと思っていたため、雰囲気やお互いの親しさについてより気を遣ったと思う。そして、他の俳優さんたちが僕を配慮してくれたり信じてくれた部分も非常に大きかったため、互いに助け合えたと思う。特に、ジミンさんは僕がリハーサルの時と違う演技をアドリブで演じても、それをすべて信じて受け取ってくれる人だったから、僕が自然に演じることができた。台本について意見交換するときも、パク・ハのキャラクターだけの話にイ・ガクに関する部分まで役を引き出してくれたときもあったし、演技の土台を築いてくれたことが多い。

そのように信頼が重なり、本当に共感できた瞬間があったと思うが。
19話エンディングシーンを撮った時だった。その時、僕はリハーサルを行う前まで特に何も感じなかった。しかし、リハーサルが始まりジミンさんは感情が一気に込み上がってきた。僕は元々、悲しい映画を見ても泣かないほど感情が薄い方だけど、すぐにでも泣きそうなジミンさんを見た瞬間、頭の中に色んな思いが瞬間的に通り過ぎていった。父親もこんな気持ちだったんだろうかと思えてとても申し訳なく、そういう気持ちが辛くて自分自身も知らないうちに涙が出そうだった。実際そのシーンで“泣く”というト書きはなかったけど、そんな気持ちを感じたら、泣きながら撮影するしかなかった。ただ、姿が消えていく時、「大丈夫、大丈夫」という気持ちであえて笑いながら手を差し伸べたけど、放送では手ではなく身体から消えていったため見ながら慌てた(笑) 僕は手から消えると思って手の演技に集中したのに、「あれ、何だこれ!」と思った。しかし、レビューや反応を見たら、僕が伝えたかったことを正確に分かってくれている人たちがいた。そういう時、本当に大きな喜びを感じる。

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最初から意図した演技にどこまで気がつく?
インタビューをもう一度しっかり読むと、私は多分ユチョンや製作陣の意図を半分も見つけられていないですね…
自分なりのポイント、次は製作陣の意図をみつける、あと他のファンの方の注目ポイントを聞いてもう一回見る。
何度もリピートしてしまうのは、ストーリーやキャラクターや演技や音楽やたくさんの楽しみがあるからで、ユチョンの出演するドラマはファンの欲目もありますが、何度見ても幸せになりますね。