シンガポールで後輩とCDショップに入ったら、セールをやっていた。
なんと、どれでもアルバム3枚で3500円!
買おうかどうか迷っていたアルバムを一気に購入しようと張り切る私。
店内でCDを持ってウロウロしていると、店員さんが「これもイイよ」とCDを持ってきてくれたり、「全部試聴できるから聞きたいのあったら声かけてね」って過剰なくらいのサービスで驚いた。
買い物をするときはワリと放っておいて欲しい私は試聴もせずにササッと買って、後輩を残して先に帰ったんだけど、後輩は大量に試聴していた。
1時間後。
夕食の待ち合わせ。
その後輩が、「聞いてくださいよ」と寄ってきた。
(関西弁の後輩)
「あそこの店員が、『これもエエで』『こっちも聞いてみ』っていろいろCD持ってきてくれて、10枚以上試聴したんですけど結局1枚しか買わなかったんですよ。来月また来るからって言ったんですけど、そしたら店員が、『ほんまにまた来てな、ほんまやで、ほんまやで』ってめっちゃしつこいんですよ!」
私は店員さんは、「また来てね、絶対だよ」と言ったのではないかと思う。
関西弁を話す人は、英語まで関西弁に聞こえるんだ、と軽くカルチャーショックな私。
そして関西弁を話すと思うと、なんだか身近に感じる外国人。
そんなことから、なんで海外の本って全部標準語に訳されるんだろうと考えた。
たぶん関西弁で訳したら、もっと文学が近くなると思う。
「生きるか死ぬかどないしよ。これ問題やろ」
とっつきにくい日本文学も関西弁で近くなるんじゃないかと思う。
「うちネコやねん。名前はまだないねんけどな」
なんちて。
似非関西弁ですみません。