「依存」と「独立」
みんな幼い頃の満たされなかった欲求をココロの奥に抱えていて
人によって現れ方が違ってくる。
自分がどちらのタイプなのか?を考えたとき、
事柄や相手、時期によってかわってくるけど基本的にあたしは依存タイプ。
恋愛初期や親友など親しい人に対してはとくに依存してしまう。
そして甘えベタ。甘ったれるのは得意だけどね(笑)
依存タイプなので「自分を弱く見せたがる」あたし。
たぶん幼い頃に「できない方が愛される」という間違った思い込みを持ってしまっていて。
無意識に、でもときには意識的に「できない自分」を演じてしまう。
そうすることで相手の興味・注目を集めようとしていた。
今は少しづつ変わってきていて、あんまり思わなくなったけど、
「自分は弱い、何もできない」
「自分以外の人はみんな強い、できる」
という思い込みがとても強かった。信念ともいえるくらいに。
何年か前、親友との間でこの思いが顕著だった。
親友に相談してアドバイスを受けても
「それは○○○だからできる(でもあたしにはできない)」
「○○○はスゴイ(でもあたしはダメ)」
「○○○は強いから(あたしは弱い)」
と思っていたから、ちゃんと聞くことが、・・・聞いてはいたけど「理解し、行動する」ことができなかった。
『あたしは強いわけでも、最初からできていたわけでもないよ。
今までたくさん努力してがんばってきたから今があるんだよ。
ユーコはできないんじゃない。できないと思い込んでやらないだけ。』
といつも親友に言われてたなぁ。
今も以前と同じように親友のことを尊敬しているし、スゴイなって思うけど
今の彼女があるのは努力を重ねてきたからで、最初からできていたわけでもなく、
強かったわけではないことがやっと「理解」できて特別視することもなくなった。
あたしはずっと「自分は弱い」って思い込んできたけど、本当はそうじゃなかった。
弱い人のふりをして誰かに守ってもらいたかった。優しくされたかった。
ただ、さみしかっただけ。愛されたかっただけ。
世の中にはあたしとは違って本当に「ココロの弱い人」がたくさんいるみたい。
でもあたしは「死にたい」という人や「自殺未遂を何度も繰り返す人」が許せない。
『どうせ本気じゃないくせに!』と思ってしまう。
『そうやって言うと(すると)優しくされるからそうしてるんでしょ!』と思ってしまう。
死ぬくらいの勇気があれば何でもできる気がして。
少なくともあたしは死ぬことの方がコワイ。
だからそういう話を聞くとモヤモヤする。
コレも投影なのかな。
こないだ、そんな風に思う出来事があってそう思った。
世の中には口先だけじゃなく本当に本気でそう思ってる人がいるってことを
認めなさいってことなのかなぁ。
まだまだ「自分が弱い」って思っていたいんだなぁ~って思った。
そしてまた自分の物差しでしか物事をみれてない自分に気づく。
根深いね。
今の依存的な自分(特に彼との関係ね)から抜け出して「自立」した関係になりたいけど。
ちょっとコワイ。
「何かを与えてもらうことで確認する」
その方法を止めてしまったらなにで相手の気持ちをはかればいいんだろう?
・・・ってそういう考え方自体が依存なんだよなぁ。
べつに依存をやめたからといって、愛されなくなるわけでも、何かが終わってしまうわけでもない。
「頭では」わかるんだけどね。
でも長年してきた、いいことではないけど、でも慣れ親しんだ行動を変えていくのはとても勇気がいる。
今の彼が本当に大切でずっと一緒にいたいと思うからこそ、恐れも大きくて。
でも依存を続けていくということは彼からエネルギーを奪いつづけていくということで。
エネルギーの奪い合いをしていてもいい関係は築けない。
いつか尽きて、終わってしまう日を、毎日恐れながら待つよりも。
勇気を出して依存をやめるのがあたしの今の課題。
本当は一人で立てること、ちゃんと「理解」したいな。
う~ん。。。長くなったけど結局なにが言いたかったんだろ?( ̄~ ̄;)