本日(R01.06.14)の千葉日報朝刊に私の記事が掲載されましたのでお読みいただければ幸いです。若者を取り巻く環境は大変厳しい状況ですがかかわるという本来の気持ちを多くの人が分かち合えばきっと素晴らしい社会になると信じています。
川崎事件や元官僚の殺害事件が社会を震撼させている
誰に育てられてもいいが
若者だけを浮き彫りにするだけでは問題を解決できない
同じような若者を沢山相談を受けているが
若者にかかる前にまず両親であったり育ての親なのだ
今までの育ちの環境から現在まで
しっかり把握してから若者に対応しなければいけない
事件を起こした若者を責めればいいのでは救われない
父親あるいは親戚が育てても
定年を間近に控えこれからの生活を考えたときに
初めて
自分を含め引きこもりの若者とどう生活設計をしたいいのかを
そこから初めて相談に来るのが多い
田舎であれば近所に分からないように願う
面談も家から車で30分も離れたところを指定される始末
両親や育ての身内を恨みから始まる
両親が病気がちや年齢がかさんでくるとやがて社会を恨むようになる
こうした若者に一番必要なことは
寄り添いながら他人が一緒に心配し、かわっているということを分かってもらえるような形を作ることだ
事件を恨むことは当然だが、こうした事件を二度と起こさないということをどうしたらいいのかを話さなければ
コメンテーターの身勝手な意見が気になって仕方ない
キャリア官僚の事件も
生まれながら俺は悪くなるなどと考えていない
育ちの中できっと何かあったはず
幼いときのいじめ事件など今回の件とは関係ない
子どもが常にストレルを受けるとどうなるか
子どもは子どもで人格があってプライドもある
かかわることで解決できることは多い
元政治家がいっていた
親の相談を受ける専門家が日本には皆無だと
知ったふりをしないでほしい
今までより長文になるが今回だけは勘弁して
4月23日の某新聞朝刊に「免許定年制の検討が必要だ」という記事が載っていた。
私が一番好きな新聞だがこの記事だけは納得がいかない。
誰が考えても悲惨な事件が起きると憤りを感じるのは私も同じだ。
こうした事件と高齢者の事故を一緒にしがちだが
少し方向を考えてみよう
私は今年で71歳だが年間約2万キロを楽に走っている
そこで気づくのが
公道を時速30キロでバックミラーもフェンダーミラーも視ないで
我が道のごとく走っているのをよく見かける
土日はなるべく運転しないようにしている
その理由は
土日しか運転しない高齢者が非常に多いのが怖いからだ
方向指示器も出さないでいきなり曲がる
注意しても何食わぬ顔をして正面を見て運転している
高速道路もそうだ
追い越し車線をゆっくり走っているその車の後ろへ
追いついてぴったりくっついて走行する車がいる
それでも道を譲らないで我が道のごとく走っている
車を運転するには
相手のことや、前後の車を注意しながら走行する
相手側に迷惑をかけるとすれば直ちに道を譲る
私の高速道路の走り方は
大型トラックの上手な運転手を見つけ
その後ろについて走行することにしている
上手な運転手の後ろについて走行しているとストレスをまったく感じない
勿論 車間距離を十分取ってだが
常に平均速度で走るこうしたドライバーはプロフェッショナルだ
事故を起こさないのは 運転マナーは勿論技術も併せて必要なのだ
様々な事件をみると
身勝手な事件があまりにも多すぎる
運転に自信がなければ返納した方がいいに決まっている
しかし 全ての高齢者に同じような定年制などと
しっかり真面目に運転している高齢者もいるということを
知ってもらいたい
一番大事なのは
社会のルール作りである
欧州のある国の高速道路を走っていて
片側一車線の工事中カ所を走っていると
絶対に割り込み運転を許さないのだ
割り込みをすると廻りのドライバーが車から降りて注意する
日本では
割り込んでも誰も注意しない
ダメなものはダメだという正義感も失せているのだ
こうした問題は
もっと原点から見直さなければ解決しないのだ