報道カメラマンを目指して
毎日カメラを肩に撮りまくっていた
私にとって懐かしい日が今日だった
最初に沖縄に行きたいと思い
鹿児島から船に乗って沖縄に向かった
アルバイトをしていた時に知り合った
沖縄の友人がいたお陰で
国道1号線を北谷に向かって一直線
クラウンの車で行ったのが昨日のように
蘇ってくる
友達の家では、お母さんが「Aサインバー」
を北谷の小さな街で経営していた
毎日毎晩アメリカ兵が押し寄せて来て
連日ジュークボックスの音で踊り狂っていた
お客が帰った深夜にトイレを掃除するのは
素手で洗ったことを今でも覚えている
MPが定期的に来る検査に不合格だと
翌日から店の営業が出来なくなるからだ
歩いてもさほど遠くない嘉手納基地にもよく行った
ベトナムから飛来してくるビルほどもあるB29の翼を
間近に見てアメリカの大きさを思い知った
初めて英語圏に接した私は
アメリカ人がPXで買ってくれたコダックのフィルム
嘉手納の小さなバーにもよく一人で行った
そこのママ(知念さん)の美しさにひかれたのもあったが
アメリカン人の一人が亡くなったと
亡くなった人の乾燥した耳をテーブルにおいて
寂しさをかみしめながら飲んだウィスキーの味
時が来たらベトナムに行きたいと思った一瞬でもあった
当時の沖縄で復帰反対の声も数多くあったことも
是非知ってほしいと願わずにはいられない
祖国復帰がそれほど怖かったという事実もあったのだ
今の豊かな経済がそのまま続くだろうかと
アメリカ兵と結婚して米国に行った人もいた
米軍反対だけが表に出ているが
歴史の中をよく見て事実を知ることも必要だ
年に数回沖縄に行くが
昔と全く同じお店を細々とやっている店主と
昔のことを思い出しながら飲む酒は格別だ
事実を知っている人だけが分かる沖縄だから