関西のお母さんから審判の結果の知らせが届いた
中等少年院1年という結果だった
審判を翌日に控えた昨日の夕方母親と話をした
複雑な心境が手に取るようにわかる
里子という実子ではない少年の審判に出た
裁判官が子供言ったそうだ
幼いころから厳しい境遇の中に育ち
小学校のころからいじめに遭い
育った環境には同情するが、実子ではないあなたを
大学まで育て上げた結末がこうした事件だった
少年院に入って自分自身を見つめなおし
しっかり一人立ちできるように頑張ってください
と説諭されたそうだ
母親が、裁判官に言ったそうだ
どんなことが起ころうと「この子は私の宝です」と
最後に、裁判官にこんな子供に育てた私を許してくださいと云ったそうだ
それを聞いた、裁判官が「あなたは素晴らしいことをした」と
自宅に帰って私に電話があった
ほっとしたような気持ちになって話す声が落ち着いていた
ときどきむせぶような嗚咽が私の涙を誘う
私の人に対する厳しさと優しさは母親から頂いたものです。
あなたのような優しさを持った人と出会えた私は幸せですと
母親がいう「亡くなったお父さんがあなたを導いたかもしれません」
自分の父親は同じように「浮浪児」等の子どもたちに食事を与えたりして
いたのを見ていたそうです。私も両親から優しをさ学びましたという
父親は関西で一つの会社を大企業に育て上げた一人だそうだ
その父親は、今回の事件のことは知らない
きっと、褒めてくれるだろうと、言うのが精いっぱいだった
これから先、永い付き合いが始まる。心の病と乳がんという病を克服するまで
人と人との巡り合いはこうして始まる
こうした日本人が最近少なくなったと感じるのは私だけだろうか?