今日の夕刻、母親から電話が鳴り響いた。息子が出てこいと言うので私に一緒に行ってほしいという電話だった。この相談相手は先頃様々な相談センターに行って助けてもらうために行ったが、どこに行っても役に立たなかったという両親からだった。最後通告のような母親のせっぱ詰まった電話口の懇願だった。仕事を片付けてから行くけどそれまで待てますか?というといつでも結構です待っていますという。事務所で仕事すませたのが午後8時過ぎ○○市の簡素な住宅地まで車で約40分。何時から待っていたのだろうかアパートの外で両親が立って待っていた。父親の車で子どもが独りで住むという○○市は車で20分。到着し、家の前まで行くとものすごい悪臭が辺り一面に漂っていた。玄関口はガラスが全て破損していて中は足の踏み場もないくらいありとあらゆる物を積み上げている。家の中を覗くと人が入れないくらい荒らされている。これは人の住む家ではない言葉表現すると差別用語になるかもしれないがホームレスの住む家よりも汚いのだ。22才の子どもが住む家はそんな家の隣にプレハブを建ててそこに住んでいた。父親が顔を出すと悪たれの連続、こんな言葉があるのかという言葉が行き交う。父親も言葉がきつい。母親は、あなたを殺したい。と息子の前で大きな声でののしる始末。私の姿を見て何で知らない人を呼んできたのかよと騒いでいる。私が話すからと、両親を遠くに行ってもらい息子と二人だけで話をした。物心ついたときから父親は何でも言えば買ってくれた。断られたことはなかったという。仲間の家に行くと父親が子ども叱っている姿を見て、何故、私の家は自分を叱らないのか?叱ってほしかったとも言う。小学校の入学前に現在34才の長女に母親が厳しい態度で接しているのを見て怖くなった。毎日々怒らている長女を見ていてますます両親が分からなくなった。あれほど起こっているのに自分にはただの一度も怒らない。あるときから急に買ってくれなくなった。本人が言うには、騒げば必ず親がおれて買ってくれることを覚えたと。車の免許も何度か落ちたり、教習所を途中で辞めたりしても追加費用を払ってくれた。今度は免許証を取ったら車を買えといって暴れると買ってくれた。すべて金で解決しようとするから嫌だともいう。今は、両親が一番嫌いだという。俺をこのような形にしたのは親だという。約2時間以上も二人で話した。お前は何故自分自身戦おうとしないのか、それほど両親が嫌いなら家を出て一人で生活して逆に両親を超えてみろそれもできないお前は負け犬だ。結局甘えの世界ではないか。誰がなんと言おうと身内の絆は切れないよ一生ね、だったらお前に何ができるかを模索しろ。何時までも金を持ってこいはないだろう。音楽が好きで一人前になりたいと言う。これの気持ちはすごく強いという。私が、その気持ちがあれば今一時音楽を忘れて「仕事」をし、落ち着いてからいつでも音楽は始められる。それまではまず働け。と厳しく言った。お前がこのままいい加減だったら今日限りお前の所にはこない。言葉だけ大人で、やることが子どものお前を誰が面倒見るか。と言うと下を向いて言う考えてみると。今日の所はこれで帰るが気持ちが変わったらいつでも来るからと言って握手をして別れた。いい顔に戻っていた。彼は、厳しいことを言われてホットしているかもしれない。そんな気がした。
が、これほどまでひどくなるまで行政は家を覗こうといもしないことが信じられない。いったい何のためにあるのか信じられない。私が子どもの所を訪ねてわずか2時間で握手するまでになったのに、もっとベテランがいるであろう行政に問いたい。多くの困っている家庭を一人でもいいから抱きしめてやってくれ。で、なければ必ず事件が起きるし起きてしまってからでは遅すぎる。その責任は誰が取るのか?