夏の代表曲「夏の思い出」についてのお話
「夏の思い出」は、1949(昭和24)年6/13㈪~6/18㈯までの
1週間、NHK「ラジオ歌謡」で放送された曲。
唱歌だと勘違いしておりました💦
・・・でも、音楽科の教科書にも掲載される「歌曲」とされている
ので、「ラジオ歌謡」として誕生したこの曲は、「歌曲」として、
紹介されております。
作詩:江間章子先生 作曲:中田喜直先生
<夏の思い出の生みの親は「Kさん」>
既に放送が開始されていた、NHKの「ラジオ歌謡」の担当者から、
「夢と希望のある歌」の詩を依頼された江間章子先生が、
作詩し、当時25歳の新人だった中田喜直先生が、同じくNHKの
「ラジオ歌謡」担当者から依頼され作曲し、誕生しました。
作詩を依頼された江間章子先生は、終戦間近の1944(昭和19)年
5月、6月頃、食料の買い出しに出掛けた、群馬県片品村、尾瀬の
麓にて、一面に咲き誇る「ミズバショウ」の花を目にし、その美しさに
感動。後にその時の気持ちを「夢心地」と表現されています。
江間章子先生が2歳から12歳頃まで育った、岩手山近くの
岩手県平舘村には、雪解け頃から「ミズバショウ」が咲き、
5,6月半ば頃まで長く咲き続けていたので、江間先生が
幼い頃から親しんでいた(知っていた)お花でした。
ちなみに、地元では「ベコの舌」と呼んでいたそうな。なる程💦
NHKの担当者から「夢と希望のある歌」の詩を!・・・との依頼を
受けた時、「幼い頃から記憶にあるミズバショウ(ベコの舌)を
素材に、つい最近目にした「尾瀬の湿原」を舞台に、詩を書き
ました。
ところが・・・😨💦
「夏の思い出」が世の中に発表(放送)され、人気を得るまでは、
一般の人々には「尾瀬」という土地は、無名の見知らぬ土地
だった為、詩を依頼したNHKの担当者「Kさん」は、「尾瀬」という
詩に苦悩された様子が、下記著書に記述されています。
「水芭蕉の他に何か・・・?何しろ聞いた事が無い地名ですので」
・・・などなど、実際に地図で場所を確認されたりもしました。
もし、この時点で曲の採用の実権を持つ「Kさん」が、
「尾瀬っていっても一般的でないから、やめておきましょう。
みんなが知っている処がいい」
・・・と却下していたら、名曲「夏の思い出」は世の中に出ず、
闇の中に消えていたのです。
そういう意味で、採用された「夏の思い出」はしあわせな誕生
だったし、生みの親は「Kさん」なのです。・・・と江間先生は記述
されていて、同時に、作曲された中田喜直先生も、「Kさんは、
仲人だと仰有る。曲の作詞作曲を依頼した人なのでそう思われる
だろうけれど、私にとってはやはり「Kさん」は生みの親だと思う」と
江間先生と同意見。
「Kさん」、却下せず、世に生み出して下さり感謝申し上げます!!
ちなみに、同じようなお話で、布施明さんの「摩周湖の夜」も、
実は、曲がヒットするまでは「摩周湖」は誰も知らない場所だった
そうで、周りのスタッフは大反対したそうですが、当時所属して
いた事務所の社長が「誰も知らないからこそ夢があっていい、
出しなさい」・・・と発売が決定し、大ヒット、観光地化したのです。
「ルビーの指環」も、「こんな曲売れるわけがない」と、不評だった
ところ、唯一事務所代表の「石原裕次郎さん」が、曲の良さを認め、
「いいよ、かっこいいじゃないか!出しなよ」・・・実際のセリフは
不明ですが、裕次郎さんのツルの一声で発売が決定し、発売した
所、物凄い記録を打ち出す大ヒット曲となったのです。
先見の明・・・というのでしょうか。凄いですね。
さぁ、今日はここまで。続きの第2弾は次回に・・・。お楽しみに🎵