木曾人は庭造りにこだわりあり✨

島崎藤村先生は、1872(明治5)年3/25信州馬籠村で誕生された。

信州・木曾人としての気持ちを大切にされていた方だそうです。

9歳で、長兄秀雄さんと共に上京するまで馬籠村で育ちました。

 

藤村先生は親友の菊池重三郎氏や天明愛吉氏のはからいが

きっかけで大磯町の町屋園と呼ばれていた別荘地の1棟を借り

当時の住居・東京麹町との往来生活を開始するのですが、借家

にも関わらず、当時2~3本あった槙の木を躊躇なくばっさりと

伐採してしまったそうです。理由は「あれは深山の木だからね」

とか・・・。藤村先生が借りるまでは空家だった為、荒れていた

旧藤村邸でしたが、藤村先生が住み始めてから1カ月もすると、

見違えるほど手入れの行き届いた趣のある気品と美しさを備え

た家に変わったと、藤村先生の親友の多才な菊池重三郎氏著

「靜の草屋の庭」に記述されている。

 

槙の木は、元書斎の東窓の側にあったと記述されています。

東窓とは、以前ご紹介させて頂いた「下地窓=塗残窓」側。

お庭にいくつか切株の跡が残っているのですが、どれが槙の

切株か分かりませんでした💦

 

☆藤村先生は色々手作りもします☆

旧藤村邸の管理人さんのお話では、上記石製の水溜めや、

焚火場を手作りされたそうです落葉やボツに

した原稿などをここで燃やしました。

 

旧藤村邸の東隣に建っている下記建物は

藤村先生が、膨大な本を保管する書棚と、新たな書斎を作る為

ご自身で「設計図を書きました」が建てる前に他界。その意思

を継いで、奥様の静子夫人が、廃材などを利用して建てたもの。

 

数年前まで藤村先生の姪御さんがお住まいになられていました

が、ご高齢の為、施設へ移住され、現在は空家となっています。

大磯町が、窓を開けて換気するなど、大切に保存の努力を継続

されています。

 

保存の努力は継続中!!!

弱ってしまった花や木などを、大磯町では、必死に保存させる

努力を継続されています。例えば上の都忘れなどを、景観を

損ねない事も含め、石を配置して栄養が外に流れ出ない様に

するなど、大切に大切に守られていらっしゃいます。其の為、

いつ訪問しても、本当に美しく、まさに「靜の草屋の庭」💖

時が止まったような、何とも言えない穏やかな空気が流れ、

まるで、タイムスリップして、藤村先生と一緒にお庭を愛でて

いるような、不思議な感動を得る事ができました。感謝です。

 

今年は、島崎藤村先生、生誕150周年の記念の年でした。

なんと不思議な偶然。存じ上げなかったのですが、たまたま

今年「島崎藤村先生」について独学で研究を始めました。

嬉しい偶然。

 

まだ、ご紹介していない話題がいくつかございますので、

しつこいようですが、もう少し、藤村先生に関する話題を

ご紹介させて頂きます。

 

お楽しみに~🎵