<「明月」の書~藤村先生の愛~>
藤村先生は、静子夫人と再婚。独り身の私にとっては出逢いが
気になるわ💦どうやって出逢ったのですかぁぁぁぁぁぁぁ???
それは、藤村先生が1922(大正11)年50歳の時、「藤村全集」
全12巻刊行を開始。同時に、婦人雑誌「処女地」を創刊。その
編集者が加藤静子さん。そう、後の静子夫人だったのです。
藤村先生には、憧れていた事がありました。それは、あの、
石川丈山氏が、書を額に入れて飾っていた事。
まさか、こんなに年月が経過してから、石川丈山さんのお名前が
繋がってくるとはびっくり💖ご存じないお方もいらっしゃるかも
しれませんが、石川丈山氏は、あの!詩吟の代表作「富士山」
の作者様でございます。
「仙閣~来たり遊ぶ~雲外の~おぉぉぉぉ~いただきぃ~
神龍~住みおゆぅぅ~どうちゅうのぉぉぉぉぉ~ふちぃ~」
懐かしすぎる✨ 実は、私、日本國誠流國舟会の初代会長の
弟子の1人でした。弟子といえど、可愛がって育てて頂いただけ
ですが、そう、詩吟をたしなんでおりました。お名前も頂戴し、
「山形晶誠」と申します。師匠が、名前を贈って下さった際(中学時代)に、
「山形さん、この名前の意味が分かりますか?日が3つあります。
日は1つだと太陽、日が2つだと月ですね。日が3つだと、星に
なります。山形さん、そうです。あなたはスターになるのです!!」
・・・感動致しました。そんな素晴らしい師匠が他界されてしまい、
それっきり詩吟からは遠ざかってしまいましたが、大会や、初吟会
などで必ずうたった「富士山 石川丈山作」は、一生忘れません。
個人的には、「桂林総雑詠書生に示す 広瀬たんそう作」💦
何せ子供だったので、字は分からなかったので覚えておりません。
・・・が、一番好きです。今でも一番記憶している詩吟です。
かなり話は脱線致しましたが・・・😨💦
そんな石川丈山先生の様に、書を額に入れて飾る・・・事に憧れて
いた藤村先生は、ある時、静子さんに、「明月」の二文字を書く
ように依頼。言われたまま、素直に書いた書を、額に入れて飾った
藤村先生。その書について、下記の様に記述されています。
「巧みもなく気取りもない筆の跡は、これでも字を書いたと言へる
だろうかと顔を紅めて居るようなところがあって、その謙虚な拙さ
が私の心を飽きさせない」
字に現れる静子さんのお人柄に魅かれたのでしょうか?その後
婚約されます。婚約時、記念にと再度「明月」の書を書いて、
静子夫人は藤村先生にプレゼントされたそうです。そして、
1928(昭和3)年56歳の時に結婚されます💖
大好きだった静子夫人の「明月」の書の額は、書斎に飾られた。
いつも眺めていらっしゃったそうです。本当に愛されていたので
すね。そして書に癒されていたのでしょう。だから、一番お気に
入りの書斎に飾られていたのでしょう。
素敵💖