「下地窓=塗り残し窓」
・・・もはや歌の世界から相当遠のいていますが💦良い勉強😊
下記は藤村先生が書斎にされていた、茶室風に造られた4畳半
の小座敷の東側。柱時計も今や貴重ですが、「明月」の書も、
後に解説しますが、とても重要なもの💖 今回の解説はその下、
格子状の窓に関して、ご案内申し上げます😊
下記の通り、窓と言っても、ガラスなどは無く、格子状に作られた
木の枝のみの枠となっています。
外側から見た「下地窓=塗り残し窓」
旧島崎藤村邸の建物の全体は、「萩の枝とアケビのつる」
で格子状に組み上げた「小舞(木舞)」が張り巡らされているそう。
これは、昔から日本の家屋を作る庶民の知恵の1つだったそうです。
アケビのつるは、最初はとても柔らかいのですが、すぐに硬くなる為、
柔らかいうちに格子状に固定させると、「キュウっ!!」と硬くなり、
強固になるそうです。旧藤村邸は「萩」の枝を利用して作られています
が、日本全国で多く利用されたのは「竹」だったようです。
この小舞(木舞=こまい)と呼ばれる壁の下地に、泥を塗って覆う
事で、丈夫な壁となります。・・・が、全て塗りつぶしてしまうと、通風や
採光が出来なくなる為、一部「塗り残した」のです。
この一部塗り残した部分(窓)のことを、「下地窓(したじまど)」
又は「塗残窓(ぬりのこしまど)」と呼び、旧藤村邸にも採用。
「千利休が下地窓の手法を昇華させた☆」
日本古来の建築文化の1つである「下地窓」の手法は、後に、
草案茶室の創始者である「千利休」が、民衆の建築に思いを馳せ、
草案茶室の美に対する、新たな意匠として昇華させたそうです。
其の為、以降、下地窓が採用されている茶室が多く生まれ、現在も
その名残が感じられる茶室があるようです。粋ですよね。
・・・雨や台風の時は、どうされていたのか気になります💦次回、
取材時に質問してみたいと存じます。よく見ると、外側の枠の4隅に
フックのようなものが見えるので、ここに、雨除けを貼ったのでは?
・・・と思われますが、どうでしょう? お伺いしてみたいと存じます。
次回は、「明月」の書に関するお話をご紹介させて頂きたいと存じます。
お楽しみに~😊
・・・旧藤村邸のツツジ、もう満開を迎えているかしら???雨ばかり
が続いているので、どうかしら??近々、4度目の取材に伺います。
3回目のワクチン副反応、だいぶ落ち着いたのですが、5日経過した
本日でも、まだ腕の痛みが残っています。いやぁん💦きっと、強烈な
抗体ができたってことよね。うん、プラスに考えよ😃
ではでは・・・。