「カニ族」と「うたごえ運動」
知床旅情ものがたり~1~では、愛唱曲「知床旅情」の元歌
「さらばラウスよ」が生まれたお話をご紹介。
知床旅情ものがたり~2~では、「さらばラウスよ」を森繁氏が
作り、ギター弾語りで伝承するきっかけとなった、ロケ撮影を
行った映画「地の涯に生きるもの」の主題歌「オホーツクの船歌」
について、ご紹介しました。
~3~では、「さらばラウスよ」が、1960年7月に、羅臼町で伝承
されてから、どのように、歌い継がれていったのか?について、
ご紹介致します。
当時は栄屋旅館、現在はホテル栄屋さんにて、森繁氏が伝承し
た「さらばラウスよ」は、地元の方々に歌い継がれ、知床に広が
り、愛唱されました。
同時期、「リュック族」と呼ばれる、幅が80センチ程ある大きな
横長のリュックを担いで、長期&安価な旅行を楽しむ人々が増加。
そんな大きなリュックを背負ったままでは、列車の通路や出入口
を前向きに歩くことができず、カニのような横歩きしないと、動けず
又、リュックを背負った後ろ姿がカニのように見えるという事から、
「カニ族」と呼ばれるように。1967年8月7日付けの朝日新聞で
「カニ族」と紹介され、以後「カニ族」という呼び名が定着したそう。
本日(2022年令和4年2月17日)、私が講師を務めさせて頂い
ている「歌声ゆう子の会🎵平塚」で、参加された方々に、名曲
「知床旅情」に関する想い出を、会話形式でお尋ねしたところ、
皆様思い出深く、青春真っ盛りだったご様子で、話が盛り上がり
大興奮😊 そんな中、出てきたワードがこの「カニ族」と「列車」
と「ユースホステル」でした。
お金が無い「カニ族」の皆様に人気を得たのが当時の鉄道の
「周遊券」。北海道や九州などを往復でき、行先では、広範囲で
乗り降り自由で、しかも、急行の自由席も追加料金無し、更に
学制割引、往復割引で3割引きで利用できたそうです。
1970年代には夜行急行列車とも連結していた為、カニ族の
皆様に大人気。どこで乗ってどこで降りても問題なし!の為、
その時の気分で旅先を自由きままに決めて旅行を楽しめた。
羨ましいかぎりでございます。
・・・で、カニ族の皆様に特に人気だったのが、北海道で、
しかも、札幌などの大都市や有名観光地・温泉地より好まれた
旅先は、利尻島他の離島や、知床や襟裳岬等、不便な半島
・・・つまり、「最果て」を目指す傾向があったそう。なるほど☆
それで、昭和歌謡や演歌などには、「俺は旅に出る」「何処へ
いくやら」「最果て」などのワードが多いのね。ずっと、「旅に
出る」・・・って「どこ行くねん?!」・・・って、不思議でした💦
話を戻して・・・。
移動手段は「周遊券」「夜行急行列車」をフル活用し、宿泊先
として大活躍したのが「ユースホステル」。何と!本日のお話
では、当時、1泊2日夕朝食付き&入湯付きで1人\550( ゚Д゚)
えぇぇぇぇぇ??安過ぎる。ちなみに、あんぱんは10円、ラーメン
は5円か50円か。「あれから50年!価格高騰が止まらん😢」
ついでに、ユースホステルを企画し、実現させたのは、元ヨーロッ
パの王国「プロイセン」のリヒャルド・シルマンというドイツの小学
校教師。1909年に思いつき、創設に奮闘するが、第1次世界大戦
・ナチスに追放され・第2次世界大戦&敗戦などで何度も却下され
ても、再起再起再起と大奮闘。「青少年少女の為に安全かつ安価
な宿泊場所を提供しようという主旨で始めた運動とその宿泊場所」。
今では世界80か国に創設され、日本でも1951年10月16日に
発足。・・・凄い偶然ですが、映画「地の涯に生きるもの」公開日も
1960年10月16日✨
1955年日本のユースホステル直営店第1号が誕生。それが
北海道千歳市の「支笏湖ユースホステル」。残念ながら、コロナ
感染拡大の影響を受け、2020年度の利用者は1500人のみ。
建物の老朽化もあり、昨年2021年3月31日に閉館し、建物は
解体されたそうです。とても残念です。本日皆様と会話しなければ
知らずにいたことでしょう。コロナ・・・本当に早く終息して欲しい😢
お話が脱線しているけれど、どうせならと思い、とある北海道の
ユースホステルの現在の宿泊料金を調べたら、1泊2日夕朝食付
でお1人様\5,630-で、入湯税が\150-でした。素泊まりも可能な
ようです。
話を戻して・・・💦
「カニ族」の皆様に人気の旅先であった、北海道では、夏になると、
ジーンズにリュックスタイルのカニ族が随所に見られたそう。
先に紹介した通り、特に人気だったのが北海道の最果ての半島。
その中に「知床」もエントリーされていたのでございます。
本日のお客様の内何人も同じ経験をされていて、「カニ族」として
又は「お仕事のついでに」、北海道を訪れた際に、地元の方や
「ユースホステル」に宿泊した際、同泊した方々と交流する中で
「さらばラウスよ」の歌を聞き(知り)、覚えて大合唱したそうです。
この時は既に、題名は「しれとこ旅情」として聞いているはず。
~2~でご紹介した通り、1962年にNHK紅白歌合戦で、
森繁氏ご本人が「しれとこ旅情」と題して歌唱。1963年6月
にレコード発売。そして、お客様が実際に「カニ族」や「お仕事」
で聞いた(知った)頃は、1970年代のようなので、加藤登紀子
さんがカヴァーし発売された「知床旅情」が大ヒットしていた頃
と重なるようです。
素敵なエピソードとして、Nさんがお仕事で札幌を訪れた際、夜
の会食(宴会)で、地元の歌の上手な方が歌って聞かせてくれて
そこで覚えたそう。その後、せっかくだからと知床行きの列車に
乗った時、一緒に行った仲間と、覚えたてのその歌を歌い始
めたら、徐々に隣の車両に乗車していた人達にもその合唱が
広まり、いつしか、全車両で大合唱となったという経験をされた
そうなのです。なんて素敵な思い出話でしょう✨。
歌って本当に素敵ですね。心を1つにし、共感・共有・共鳴できる🎵
Nさんは80代。歌を歌っているから見た目は20歳若く見える感じ。
貴重なお話を伺えて、本当に良かったです。感激致しました🎵
Nさんのエピソードや、実際「カニ族」として「ユースホステル」で、
「知床旅情」を大合唱した皆様のお話は、大切に語り継いでいき
ながら、名曲「しれとこ旅情」を継承していけたらと願います。
別途、詳細を調べてご紹介させて頂きますが、加藤登紀子さんが
この「しれとこ旅情」と出逢ったのは、後にご主人となる恋人が
「うたごえ運動」に参加されていたそうで、デート後のさよならの際
その彼が歌ってくれて初めて聞き、感動された事がきっかけで
レコード化に繋がったようです。ここの部分については、今研究中
なので、詳細が分かり次第、更新させて頂きます。
「しれとこ旅情」は、基本、知床半島の地元の方々から歌い継がれ、
どんどん人を介して歌い継がれていく中で、歌詞が元歌の歌詞と
異なる歌詞で伝わっていった為、森繁氏ご本人の歌詞と、大ヒット
し愛されている加藤登紀子さんの「知床旅情」の歌詞とが異なって
いる理由の様でございます。
こうして、「カニ族」「ユースホステル」「北海道の皆様」との交流で
伝承されていくと同時に、1950年代~1960年代最盛期を迎えて
いた「うたごえ運動」によっても、歌い継がれ、全国に伝承されて
いったのでございます。
う~ん、許されるなら、「かあさんの歌」の作詩作曲者:窪田聡先生
に、この頃の「うたごえ運動」での「知床旅情」のお話を伺えたら
更に幸いなのですが・・・。今も交流中なので、焦らず地道にコツコツ😊
森繁氏が他界された際、テレビで加藤登紀子さんがインタビューを
受けてお話されていた中で、「森繁氏に、1つだけ頼むよ!・・・と、
言われた箇所がある。3番の歌詞の最後、白いカモメ『を』と歌って
欲しいと」。そう、「白いカモメ『よ』」・・・と加藤登紀子さんは歌唱され
ていたのですが、そこだけは『よ』ではなく、『を』と歌って欲しいと、
森繁氏がロケ地でご迷惑をお掛けし、大変お世話になった皆様への
感謝の気持ちと、大切な想いを込められている箇所だからこそだと
推察されます。
うわぁぁぁぁぁぁぁ長くなってしまいました😨💦でも、今日の素晴らしい
お話を忘れない内に記録を残すべく、奮闘致しました😊
知床旅情ものがたりはまだまだ続きます。お楽しみに~✨