~1~では、「さらばラウスよ」の誕生のご紹介を

させて頂きました。その続きです。

 

森繁氏が初めて公の場でこの曲を披露したのは1962年の

NHK第13回紅白歌合戦。「しれとこ旅情」の題で歌唱し話題に

なる。人の縁とは不思議なもので、この時(昭和37年)、レコード大賞

新人賞をその年のデビュー曲「下町の太陽」で受賞した「倍賞千恵子

さん」も出演しています。

*森繁久彌さんと倍賞千恵子さんとこの歌のお話も、別途ご紹介

  しますね。

 

NHK第13回紅白歌合戦で話題になったことで、レコード化決定。

翌1963年、東宝映画「地の涯に生きるもの」映画主題歌として、

A面:森繫久弥歌唱「オホーツクの船歌」

B面:ザ・エコーズ歌唱:「しれとこ旅情」

コロムビアレコードから1963年昭和38年6月5日発売。

*残念ながら、ザ・エコーズさんの「しれとこ旅情」音源は未だ

  見つかっておりません。其の為、この時の歌詞も不明。

  この時はまだ、3番の「ラウスの村にも」のままだったのかな?

 

A面に収録された、映画の主題歌「オホーツクの船歌」

こちらも森繁久弥氏が作詩作曲し、ご本人歌唱で収録された。

編曲は浜坂福夫氏。

 

「オホーツクの船歌」1963年昭和38年6月5日発売の歌詞

  (メロディーは「知床旅情」と基本同じです。)

 

オホーツクの海原 ただ白く凍て果て

命あるものは 暗い雪の下

春を待つ心 ペチカに燃やそ

あわれ東(ひんがし)に オーロラ哀し

さい涯ての番屋に 命の火チロチロ

トドの 鳴く夜は

いとし娘(こ)の 瞼に

誰(たれ)に語らん この淋しさ

ランプのほかげに 海鳴りばかり

 

すずらんのみどりが 雪どけに光れば

アイヌの 唄声

谷間に こだます

シレトクの 春は

潮路に あけて

舟人の腕(かいな) 海にかがやく

 

オレオレオオシコイ 沖の声舟唄

秋アジ(鮭)だ エリヤンサ

あげる網や 大漁

かすむ クナシリ

わが ふるさと

いつの日詣でむ 御親(みおや)の墓に

ねむれ静かに

 

実は、調べれば調べるほど、分からなくなることが多くて、

とうとう、「全著作 森繁久彌コレクション」1~5を全て入手。

その「3:世相」の111ページに「知床旅情」と題した森繁氏

の記述がありました。今まで調べた資料の中では3月~7月

にロケをしたとの解説しか発見できなかったのですが、記述

には、冬と夏の2度ロケを行ったことが記されていました。

純朴の方々に大迷惑をかけたところであるとも・・・。

 

早くコロナが終息し、まずはコロナ禍ずっと支えて下さっている

「福島の都路町」の皆様に会いに伺い、出来れば岡山県の

「かあさんの歌」作詞作曲された窪田聡先生、そして先生の

ゆかりの場所である長野県信州新町に訪問し、取材させて

頂きたいのですが、同時に、知床に赴き、ゆかりのある場所

全てを訪れて、出来る限り、地元の方々に取材をさせて頂き

たいと願っております。

 

著作権・肖像権などに配慮し、敬意を表しながら、素晴らしい

名曲を少しでも多くの世代に継承していけたらと願うのです。

 

独学で研究している中で、各解説書やネット情報には、違う

解説が多く、出来る限り、直接作り手ご本人に確認させて頂き、

批判・否定・批評・比較の対象にならずに、誰もが共感共鳴し

心が温かくなり、心豊かに一緒に、より深く名曲の大切さを

改めて感じて頂き、この大きな宝を日本だけでなく、世界中に

発信していけたら幸いでございます。

知床旅情ものがたり~3~をお楽しみに✨