『始まりは「さらばラウスよ」』

 

多くの方に愛唱されている名曲「知床旅情」。

この曲にも、今日に至るまで、いくつもの物語がある。

 

1960年、戸川幸夫作「オホーツクの老人」に感銘を受けた

森繁久彌(弥)氏が、「地の涯に生きるもの」と題し映画化。

*戸川氏が小説「オホーツクの老人」を完成させるまでの

 物語は、別途ご紹介致しますね。

 

主人公の「老人」を森繁氏が演じた。ロケは同年3月ウトロ

からスタートし、同年7月羅臼で終える。

 

ロケが終了し、羅臼を去る前夜、森繁氏が想いを込めて

作ったのが、後の「しれとこ旅情」の元歌

 

「さらばラウスよ」。

 

<手書きで書かれた歌詞「さらばラウスよ」>

 

一 知床の岬に ハマナスの咲く頃

    思い出しておくれ おれたちの事を

  飲んでさわいで 丘にのぼれば

    はるかクナシリに」 白夜は明ける

 

   合

二  旅のなさけか 酔ふ程にさまよい

    浜に出て見れば 月は輝る波のえ

男一人「君を今宵こそ だきしめんと

       岩かげによれば ピリカが笑ふ

 

 合

三 「別れの日は来た ラウスの村にも

     君は出て行く 峠を越えて

   忘れちゃいやだよ 気まぐれガラスさん

     私をなかすな 白いカモメを

    

手書きで書かれた「さらばラウスよ」の題名と歌詞(3番まで)

が今も地元で大切に保管されている。よく見ると、合唱を指示

していると思われる「合」の文字や、男性一人、良く見えない

のですが、「忘れちゃいやだよ・・・」の上にはうっすら「女」と

書かれているような? コロナが終息したら、実際に知床へ

行き、実物を確認し、地元の方々にお話を伺いたいと思います。

 

「さらばラウスよ」を作った翌朝早くに、森繁氏に起こされた、

地元の方々や、撮影スタッフの人々。滞在していた旅館の前に

手書きで書かれた歌詞を張り出し、その場で、小節ごとに繰り返し

丁寧にギターの弾き語りで「さらばラウスよ」を教え、最後は、

集まったみんなで大合唱したそうです。目頭が熱くなる感覚が

目に浮かぶようです。

 

こうして「さらばラウスよ」は、地元の方々に愛され、伝承されて

いきます。

*伝承されていくエピソードについても、別途ご紹介しますね。

 

今日は、ここまで💖 本当はもっと記載していたのですが、

長くなってしまったので、次回までのお楽しみ・・・という事で💦