「住専借金王」末野興産グループ〝資産隠し〟の超豪華パチンコ店『FRIDAY』

http://www.tsr-net.co.jp/news/detail/worst20/

「返せるもんは返してます。隠している金なんて一銭もありません」

「末野興産」の末野謙一社長(52・写真上)は、昨年末、本誌の取材にこう明言していたハズである。だが、やはり「資産隠し」はあった。それが、写真左の超豪華パチンコ店である。

住専5社から2365億円(95年6月末)もの融資を引き出した「末野興産」グループを巡っては、破綻前日の「木津信組」から引き出された預金約370億円などの「資産隠し」疑惑が指摘されていた。しかし末野社長は、

「あの預金は、私のものじゃない」

と答え、これまで実態は把握できなかった。ところが今回、ついに「資産隠し」の動かぬ証拠を発見したのである。

JR新大阪駅から徒歩で約5分、新御堂筋沿いの一等地に、ピンクの外装も色華やかな大型パチンコ店「P・Pocket」がある。スロットマシンを含めパチンコ台は350台以上。1階には喫茶室、3~4階には100台収容可能な駐車場を備えた超豪華店である。

実はこのパチンコ店の経営母体が、「末野興産」グループなのである。この店の営業許可が出たのは、95年10月17日のこと。つまり、住専処理案を巡って大蔵省で大論争をしている真っ最中に堂々とオープンしたことになる。

この店を営業しているのは、末野グループの「日新観光」。

「日新観光の代表者は、他のグループ会社の代表も兼ねる末野社長の側近の1人。末野社長が北新地で飲むときには、『カバン持ち』のような役目で、必ず同席しています」(末野興産の取引関係者)

さらに、「日新観光」には、末野社長の長男も役員に就任している。

「開店当日には、末野さんと親しい梅宮辰夫夫妻もかけつけています。末野さんは、『年内にもう2店舗オープンさせる。資金は1500億円あるんや。駅前にいい物件がないか探しといてくれ』と豪語していました」(前出・取引関係者)

しかし、この時期にパチンコ店を開業するとは、いったい、そんな金がどこに残っていたのだろうか。ましてや1500億円もの巨額資産があるとは・・・。 調べてみると、パチンコ店の建物には、開業時に「関西興銀」が、極度額20億円の担保設定(仮登記)をしている。

普通なら、巨額負債に喘ぐ末野グループへの新規融資など非常識極まりないことだ。しかし「関西興銀」は、末野グループが「木津信組」から引き出した預金の一部を預け替えたと言われる金融機関。つまり、「隠し預金」を背景に「関西興銀」から融資が行われた可能性が極めて高いのだ。

しかも、「隠し預金」の存在が囁かれだした今年1月、この20億円の債権者が、「関西興銀」から末野グループの「ドリーム」に移っている。「ドリーム」は、資本金わずか900万円で設立約1年の会社。とても20億円もの資産があるとは思えない。この不可解な債権者移動、「隠し預金」を知られたくないという意図がミエミエではないのか。

本誌は、こうした疑問をぶつけるべく、再三「末野興産」に連絡をし、末野社長宛てに質問書も渡したが、何の回答も得られなかった。

「私は逃げ隠れもしません」

こう言った末野社長の言葉はウソだったのか。住専処理に税金が投入される以上、借り手側の「資産隠し」は、絶対に許されない。

(初出:『FRIDAY』1996年2月23日号)
(貼り付け記事)http://kikuchi-blogger.blogspot.jp/2008/07/friday.html



元末野興産社長襲われけが 兵庫・西宮市の自宅近く

 2006年12月15日午前1時5分ごろ、兵庫県西宮市松ケ丘町の市道で、近くに住む元末野興産社長で無職末野謙一さん(63)が、バットのようなものを持った2人組に足などを殴られ紙袋を奪われそうになった。末野さんは左脚の骨を折る重傷。西宮署は強盗致傷事件として2人組の行方を追っている。  調べでは、末野さんが自宅近くで知人の車の助手席から降りた直後、目出し帽のようなもので顔を隠した2人組に足などを5回前後殴られた。末野さんはすぐに車に戻り、知人とともに現場近くの芦屋署に駆け込んだ。  末野さんは、住宅金融専門会社(住専)の大口貸付先、末野興産グループの資産隠し事件で、強制執行妨害などの罪に問われ、有罪判決を受けている。  現場は阪急苦楽園口駅の西約900メートルの住宅街。

2006/12/15 04:44


住専5社から1800億円 最大の借り手 末野興産社長を直撃『FRIDAY』
「確かに会社全体で3500億円ほど借金はあります。けど、ウチは大阪や東京、九州の一等土地に物件を持っとるまっとうな貸しビル業者であって、谷底や山林を担保に金を借りたようなムチャクチャな業者とは一緒にせんで下さい」

8兆円もの不良債権を抱え、公的資金の導入による一括清算が決定的になった住宅金融専門会社(住専)。写真の人物は、この住専5社から、実に約1800億円以上の最大の融資を引き出した「末野興産」(大阪市西区)の社長、末野謙一氏(52歳)である。

末野氏は、吹田市内の千里ニュータウンに3階建て総床面積約400平米の豪邸を構え、運転手付きのベンツ600に乗り込んで毎日出勤している。その姿からは、とても、グループ全体で約3500億円もの借金を抱えた会社のオーナーとは思えない。

出勤前に直撃すると、末野氏は、意外なほど鷹揚に取材に応じてくれた。

「僕が堂々としてられるのは、人からガタガタ言われるような悪いことは一切してないからです。会社設立前に建てた個人財産の自宅まで、会社の借金の担保に出して頑張っとるぐらいですよ」

末野興産グループは、関西にバブルが訪れる88年頃から急成長を遂げた。住専を筆頭にノンバンクや信金・信組からの融資を背景として、御堂筋沿いやミナミ、北新地などに、次々と貸しビルを建設した。もっともバブル崩壊と同時に、今度は借金返済に追い回される結果に陥ってしまったのは、冒頭の発言の通りだ。

ところが、末野グループの債務返済状況について、大阪市内のある金融業者がこう証言するのだ。

「家賃などの現金収入があるわりには、金利の支払いが充分じゃないという話を耳にします。それに、いまだに会社の幹部は、北新地の高級クラブで派手に遊んどるし、その場に俳優の梅宮辰夫や吉本興業のタレントが一緒の時もあるぐらいやから、まだまだ金回りはいいんとちゃいますやろか。住専が強引に取り立てられんのは、バックに暴力団が控えとるからと言われとるほどです」

もちろん遊ぶのは自由だ。しかし、税金を使って清算する住専最大の融資先がこの状態では、納税者は釈然としないだろう。しかも末野グループは、関西で破綻した金融機関、兵庫銀行系のノンバンクや大阪信用組合からも融資を受けており、中でも木津信用組合からは、業務停止命令の前日に、末野グループや親族名義の預金約380億円が引き出されていたともいわれているのだ。

後日、再び取材に応じた末野氏は、これらの疑問に対してこう語った。

「毎月の返済計画は狂ってますが、代物弁済でもう2500億円ほど借金を減らして、返せるもんは返しとります。住専が最後まで残ってしまったのは、融資を受けた額が100億単位なので物件の買い手がおらんからです。隠してる金なんて一銭もありません。木津信用の預金に関しては、本当はウチの金やないとしか今は言えません」

さらに暴力団との関わりについても、

「一切関係がありません。ヤクザが地上げした土地を買うてウチの看板でビルを建てたことがあるんで、『ヤクザと関係しとる』とか言われるんでしょう」

と全否定するのだ。

住専処理案のタイムリミットは、12月20日に迫っている。しかし、公的資金の導入が決まっても、融資先や金融機関の経営者に対する責任は、全く問われないのだろうか。

(初出:『FRIDAY』1995年12月29日号)
(貼り付け記事)http://kikuchi-blogger.blogspot.jp/2008/07/51800-friday.html


住専とは:

住宅金融専門会社(じゅうたくきんゆうせんもんがいしゃ)は、本来、個人向けの住宅ローン を主に取り扱う貸金業ノンバンク の一業態である。住専(じゅうせん)と略される。



かつては以下の8社が存在していた。

母体企業がJCB のため三和 系だが当初は創業者・庭山慶一郎 のオーナー色。三和ほか都銀に交じって信託東洋三井 )・地銀 各2行(横浜千葉 )が出資、破綻処理時の融資額が8社中最大であった。
第一勧銀富士三菱住友さくら東海あさひ が5%ずつ出資
興銀日債銀 を母体として設立。末期には国内証券会社(大和日興山一 ほか)のほか、(当時の)両行融資先企業も複数社出資していた。
現在の野村ホールディングス 各社と日本長期信用銀行 (子会社である日本ランディック)の合弁
日本生命保険 を筆頭に、生命保険会社 各社と横浜銀行 ら一部の地銀が出資
東京相和銀行 など第二地方銀行 各行が出資
農林中金JAバンク (信連)の出資

(wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%AE%85%E9%87%91%E8%9E%8D%E5%B0%82%E9%96%80%E4%BC%9A%E7%A4%BE



末野社長の保釈証拠金は、旧住宅金融専門会社(住専)を巡る資産隠し事件で強制執行妨害罪などに問われた元末野興産社長(61)(実刑確定)らの15億円。


2008年記事

末野興産元社長の末野謙一は「借金王」である。今は破産者だが、何故か〝華麗なる日々〟を送っている。大阪の北や南で豪遊、暴力団共生者の取り巻きを引き連れて。そして、末野の家族は今でも資産家である。例えば、西宮市松ケ町にある鉄筋3階建の豪邸は、末野のファミリー企業「株式会社花」の名義である。土地は平成19年11月29日付で末野綾美に移転されている。これは序の口に過ぎない。

末野は借金を踏み倒し、財産を隠匿し、優雅に暮らしているのだ。末野興産の最大の債権者は、住宅金融専門会社(住専)である。1996年には、「特定住宅金融会社の債権債務の処理の促進に関する特別措置法」まで成立し、住専の不良債権処理のために6850億円の公的資金が投入された。すなわち血税で贖われた。末野に対する真の債権者は、納税者である国民である。経済恐慌に突入した昨今、国民は、生活苦に喘いでいる。末野が隠蔽した金を国庫に戻させる事は、正義を実現することだ。公権力の不作為を嘆く。

末野は鹿児島出身で、小学3年の時に大阪市の四貫島に来ている。高校中退後、大阪中央市場の岡本商店に就職。その後、空白期がある。実はここに末野の原風景があるのだ。末野はこの空白期に山口組の枝の「末野組組長」をやっていた

176 66年7月4日付の読売新聞夕刊(=左写真)には『「事故車弁償しろ」暴力飯場組長逮捕 雇った運転手脅かす』との見出しが躍った。当時23歳だった末野謙一の顔写真付きの記事は次のように伝えていた。
「大阪此花署は4日朝、交通事故を起こした運転手に『傷つけた車を弁償しろ』とおどしたり、タコ部屋同然の飯場の待遇に不満をもらす労務者をなぐるなど制裁を加えていた暴力飯場の組長を暴行、恐かつの疑いで逮捕した。此花区西島町5の61、暴力団山口組系末野組組長、土砂運搬業末野謙一(23)で、(中略)先月21日、飯場事務所で『からだの調子が悪いからやめさせてくれ』と申し出た住み込み運転手をなぐったり、けったりして自動車免許証を取り上げたうえ、賃金も支払わず、追い出した。(中略)末野におどされて、給料ももらわずに逃げ出した運転手が4人もいる。飯場はザコ寝で、末野や組の幹部が監視しており、まるでタコ部屋。同署では給料ももらえずに泣き寝入りの運転手がいるとみて、届けてほしいといっている」

この記事から弱者に対する末野の無慈悲な人間性が読み取れる(以下次号、敬称略)。

(貼り付け記事)http://outlaws.air-nifty.com/news/2008/11/post-90b7.html


末野興産、社長末野謙一は、バブル期には東京銀座などで毎晩200万円(気分がいい時には、ホステスさん全員に10万円づつ配ったり、高いお酒をキープし毎晩飲み歩いたと言うことです。)を使い、ニュースにもなっていました。



わたしの地元博多中洲の最後の地上げと言われた、末野興産ビル開発中、15坪の寿司屋さん地上げに応じず(寿司屋店主希望価格は3,200万円)、結局一坪2,800万円で折り合い、その1,2カ月後の末野興産が資金に行き詰まり、 ... 結局、博多中洲地上げで行き詰った寿司屋があった場所はビルは建たずに一時の間、駐車場になっていました。

現在は、開発がおこなわれビルが建っています。


末野興産のやり口は、悪質極まりない住専の焦げ付きで、結局わたし達国民の税金で負債である借入金の焦げ付きの対応がなされました。

結局、大金が隠されたまま住専の負債部分を税金で賄っているところが、問題なのです。