月曜日は気が重い。
やっとこさ1日が済んで、次の休みまであとまだ4日もある。
土曜日仕事したので、昨日1日では心身がリフレッシュしきらない。
なんとか理由つけて仕事を休みたいところだけど
今週は予定がてんこもりでそれも無理。
できる限り、楽しいことを考えよう・・・ということで。
ゆうゆの次は、うしろゆびの相棒、まみまみです。
言わずと知れた、秋元先生の嫁ですね。
♪わたしの実家は福井県 四人姉妹の自転車屋
どなたか養子に 来てください(「会員番号の唄」)
長いストレートの髪、大きくてキラキラの瞳、純朴で清楚な笑顔。
まみまみは、おニャン子の中では美形の代表選手でした。
そう見えて案外大ボケなところがあったり
話すとちょっと標準語っぽくないところがあったりするところが
さらに、よかったりして。
1985年10月、ゆうゆとのユニット、うしろゆびさされ組として
「うしろゆびさされ組」でデビュー。
歌声や外見がアニメの主題歌にぴったりハマってたと思います。
その後、「バナナの涙」「象さんのすきゃんてぃ」と続くわけですが・・
♪昼下がりの真っ青な空 小さな雲が
ソーダ水の炭酸みたい
あなたの腕そっと組んだら まわり気にしながら
赤くなって無理にほどいた アララララ
そんな大きな体で 何をあなたは照れているの
今の男女交際 それくらいは当たり前よ かわゆい
あー象さんのすきゃんてぃは ちっちゃいけれど
あなたに 象さんのすきゃんてぃは ほらね お似合い
(「象さんのすきゃんてぃ」)
前半はともかく、最後の2行は意味が分かんない。
かわいい感じのメロディで、2人の歌う姿も素敵なんだけど
秋元先生、いったい2人をどうしたかったんだか。。。
このレコードは、さすがに買いに行くのもちょっと気が引けて
うちの近くのいつもの店じゃなく、遠征したのを思い出します。
まみまみは、翌86年6月、「シンデレラへの伝言」でソロデビュー。
おニャン子在籍中に、ユニットとソロ両方で
シングルを出したのは、まみまみだけ。(注)
さすが、将来の嫁、破格の扱いです。(たまたまかもしれませんが)
(注)正確には、ゆうゆも1か月ほど重なってますが
ゆうゆのソロデビュー時には
まみまみのおニャン子卒業&うしろゆびのエンドが
すでに決まってたはずなので。
ソロで歌うまみまみは、なんかいつも危なっかしかった。
感情がまったく入ってない、いわば棒読みのような歌い方。
「うしろゆび」のときもたぶんそうだったんだろうけど
楽曲の内容が内容だったのであまり気にならなかった。
(感情を込めるような詞じゃなかったしね、秋元センセ。)
まみまみは、おニャン子卒業後も含め
ソロで6~7枚シングルを出したはずですが
意外なことに、おニャン子在籍中からシングルの楽曲はすべて
秋元先生の作詞にあらず。
これってなんか不自然な感じがするんですけど、そう思うのはボクだけでしょうか。
まみまみは、87年3月、おニャン子を卒業。
このとき、国生さゆり、樹原亜紀、内海和子、立見里歌といった草創期メンバーも
いっしょに卒業してしまい、おニャン子は一挙にその勢いを失うことになります。
(それより、前年9月、恵利ちゃんや福永恵規ちゃんが抜けたのが大きかったかも)
そして、半年後の9月末、おニャン子クラブが解散。
夕ニャンの放送開始から解散まで、活動はわずか2年半。
まみまみも、翌87年、秋元先生と電撃結婚、芸能界を引退します。
ここで取り上げた、恵利ちゃん、ゆうゆ、まみまみの3人は、
おニャン子あってこそのアイドルだったと思います。
もし、おニャン子がなかったら、彼女たちが世に出ることもたぶんなかったでしょう。
芸能人オーラなんてまったく無縁。
歌とかダンスとかMCも、とてもプロの水準にはなく、
かといって、向上心みたいなものも伝わってこない。
つとめて、ふつうで自然体。
当時、世の中はバブルに向かってアゲアゲ状態の真っただ中。
そんな時代背景だったからこそ、彼女たちが逆に受けたのかもしれません。