あなたのモヤモヤ言葉を浄化して
未来を変える言語化トレーナー
かでかるゆうこです。
ある晴れた気持ちの良い朝のこと。
勤務先の営業所のドアを開け
「おはようございます!」と元気に挨拶を
した裕子。
いつもなら
「おはよう!」
と大きな声で、ニコニコと挨拶をして
くれるU課長。
ところがPCに向かって、無反応。
とってもわかりやすく、無視をしたのだ。
「ヤバい。私、何かミスをしたの???」
裕子は一瞬で、察した。
U課長は面倒見の良い気さくな人物だが
いかんせん、機嫌が悪くなると
とてもわかりやすく態度に出る
気質なのだ。
5秒ほど重苦しい沈黙が
事務所に流れたあと、U課長が一言
口を開いた。
「あのさ、〇〇商事から今電話があって
昨日あんたが発送した商品が
間違ってたってよ。」
ガーン!!
よりによって、今日使うはずの商品を
間違えちゃったんだ。
うわぁどうしよう。
裕子はショックで震えた。
それと同時に、U課長に怒りも
覚えていたのだ。
「そりゃぁ間違った私が悪いですよ。
でも、挨拶を無視するこたぁ
ないだろう!!!」
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これは19年前のわたしのOL
時代のエピソードです。
挨拶を無視することで
「お前に腹が立っている」
というアピールがほんっと
嫌いなんですよね。
相手にムカついていたり
怒っていると、
言葉で伝えるよりも
存在を無視する行為で相手を傷つけようと
する。
それをあまりにも簡単にやるコトが
私は嫌なんです。
そもそも挨拶の本質ってなんだと思いますか?
「私はあなたという存在を
認めて心の中に受け入れていますよ」
という人としての存在を認めていることを
表す行為、それが挨拶だと思っています。
「おはよう」「こんにちは」
などの簡単な挨拶には
「あなたを受け入れていますよ。
あなたの心の中に入れてくださいね」
という自分の存在を相手に伝え
相手の存在も受け入れるという人間関係の
最も重要な情報が入っているのです。
これが挨拶の本質では
ないでしょうか?
挨拶を無視するまたは
挨拶をしない行為は
存在そのものを無視することと同じ。
存在を無視するという行為に
私は腹が立ちますし
人と人が争う
大きな要因となっている気がして
なりません。
人はみな
どこかで受け入れられたい
存在を認められたいと思っている。
無視をされるという行為は
とても堪えます。
そこから憎しみも生まれるでしょう。
反対に、どんなに相手が憎くても
怒っていても、
とりあえず、その人の存在は
受け入れて挨拶はする
すると
心の中に不思議と平和が訪れます。
ムカついても、挨拶を
通じて存在を
認め合っているからなんですよね。
たったひとことの
「おはよう」には
それくらいの力があるんです!
みんながお互いを認め合う
世の中になってはじめて平和が
訪れる。
その小さな一歩がお互いに
挨拶を交わし合い
存在を認め合うこと。
私、小さいころから
この人嫌だな~と感じても
挨拶だけはするというのを
ずっと続けてきたんですよね。
挨拶とは自分の周りの世界を平和にする
もっとも簡単な方法
だと
心のどこかで知っていたから
かもしれません。
大げさかもしれませんが
たとえ嫌いな相手でも
全人類が笑顔で挨拶を
交わせるくらい
互いを認め合える
世の中になれば
この世界からいじめも
戦争もなくなるのでは
と思っています。
挨拶にはそれぐらいの
パワーがある!!
明日から、
ちょっと苦手な人にも
「この人の存在を
私の心の中に迎え入れますよ。」
という気持ちを込めて
挨拶をしてみませんか?
きっとあなたの心の中に
平和な世界が広がることでしょう。
挨拶には自分と周りの心を
平和に保つ力があるのです。
ムカついたからといって
挨拶を無視することで
相手に仕返しを
している場合ではないのですよ!
ではでは
またお会いしましょう。
かでりんでした。