帰国して一ヶ月。
学校が始まって3週間経ちました。
来週はついに教育実習一回目。といっても20分の授業で、先週リハーサルしたのですが、なかなか難しいです。
前に立つのは慣れているので、既に先生っぽいとは言われますが、課題さえどうにか伝えればなんとかなる美術とは訳が違います。

習い始めたばかりの生徒に簡単な英語だけで教えるので絵や図の準備があり、こんな所でこんなに絵かいたり画用紙切ったりすると思いませんでした。
こういうのは苦じゃないので、ラッキーです

そして
休みの日は、友達やお世話になった人に挨拶&お土産配布めぐり。

関東の友達はけっこう会えました。

前職の理事たちにもけっこう会えました。



仕事上いろんなプレーパークと繋がっていましたが、特に関係の深かった2カ所にも遊びにいきました。

まだまだ小さいと感じていた子ども達が高校生になってたり、大学生になっていたり。
シングルマザーで子ども産んでいたり、学校行きながら仕事してたり。

「ゆーこじゃん!」と声をかけてくれる子もたくさんいました。
みんな元気でした。

日本が抱える子ども環境の問題もまだまだたくさんあるなと思い、
自分が何をすべきか、また頭悩まされました。
恵まれた環境でぬくぬくと育ってきた私には、彼らが抱える気持ちを全部理解することは到底できません。
それでもああやって遊び場に集まって、色んな人が関わることで、少しずつみんなを癒している。
やっぱり魅力のある場だなと思いました。


でも、あの仕事には戻るつもりはありません。
すでにたくさんの仲間が力を注いでます。
私は、もっと自分の特技を活かして関われる子ども達がいるはず。

この、どこの国でも行けてしまう健康な身体と環境、美術、ポルトガル語、英語、日本語教師を使って。

ブラジルにいる日系人もそうですが
日本語教師養成学校の授業の中で教えてもらった在日ブラジル人の児童が抱える問題も気になります。

どれもお金にならないんですけどね…(笑)

とりあえず、日本語教師になれるように秋まで頑張ります。












iPhoneからの投稿
無事、6月24日に帰国しました。

夜に着いたのに、ネオンガンガンで明るく、人がいっぱいで、分かってたはずなのに何か抵抗がありました。

それでも日本人だし、東京は住んでいた場所なので、すぐに馴染めちゃうんだけど
でもどこかでモザンビークの景色を頭に浮かべてました。

早くこの国を出たい。と逆カルチャーショックを受けていた私は思いましたが、

家族や友達に会っているうちに、そして便利な日本にいるのはやっぱり楽だと感じるのでした。

今は船橋にいて日本語教師養成学校3ヶ月コースに通ってます。
生徒は10人もいませんが仲良くやってます。

帰国して約2週間ですが、もはやモザンビークでの日々がずっと昔のような、夢だったような、変な感じです。

大好きな人がたくさんいる日本は好きだけど、でもやっぱり今は南米いきたいな。


帰ってきてから自分が変わったと感じた事。

・駅とかの狭い階段降りるのが恐くなった。(向こうでは殆どなかったから)
・髪質が変わった。剛毛だったのが随分マシになったそうです。(髪質には正確が出るらしいw)
・物があふれすぎてて逆に何を買ったらいいか分からなくて、本当に必要な物しか買わなくなった。

これぐらいかな…もっとありそうだけど、根本はやっぱり変わってない


アフリカ行って何が変わった?向こうで何を感じた?
って聞かれたり、講演してほしいってよく言われるけど

正直、自分が何を感じたか、みんなに何を話していいのか、整理できておりません。

このブログ読み返したら見えてくるのかな

とにかく、頭の中はポカーンとしております。
土曜日の学校での送別会、日曜日の引っ越し、火曜日の最終報告のプレゼンをなんとか無事に終えました。外務省や大使館への表敬訪問も終え、任務終了です。

学校の送別会は、tofoから友達が来てくれてうちに泊まって色々手伝ってくれました。
前夜から抹茶ケーキやお寿司を作り
当日もお好み焼きやら焼きそばやらおにぎりやら頑張って作りましたが
始まる時間が相変わらず遅れ、冷めてしまっておいしくなかった。
残念ながら余りまくりました。
tofoメンバーが終わった後うちに来て温めて直して食べてくれました。

送別会自体は、開始時間が2時間遅れ、朝からの会議に疲れた先生達はご飯を食べたらさっさと帰る先生も多くてちょっと残念でした。
最後に相変わらず文句を言う同僚にイライラして、きれいにお別れできなかった。
空港に見送りに来てくれる先生も多いので、空港ではちゃんとお別れしたいです。


次の日の引っ越し作業は、広い部屋に住まわせてもらっていたのもあって、予想以上に時間がかかりました。友達が手伝ってくれましたが結局夜までかかりました。
大家さんの車が荷物でいっぱいになりました。


どうにか引っ越し作業を終え、
月曜日は日帰りでマニサへ。ショクエで一番仲良くなった学校の校長先生のお家に呼ばれて行って来ました。
正直ドタバタで行くのも悩んだんですが、私の太鼓を学校に寄付したいのもあって行って来ました。
足早に帰ってきましたが、会えてよかった。


そして最終報告会。事務所スタッフだけでなく各活動先からも校長やカウンターパートが参加することになっているため、ポル語で発表。

ドタバタの日々を過ごしていた私は前日に準備開始。。

夜中にパワポを作り終え、話す文章を作るところまで行かず、結局使いそうな単語だけ調べて、ぶっつけ本番で話しました。

通常授業、ビーズ講座、美術部、先生向けのExcel講座、日本祭、ショクエの被災地支援について。

学校からは校長とエルシリアが参加してくれました。
あまりの準備不足にヒヤヒヤしてましたが、どうにかなりました。。
校長やエルシリアや他の参加者から温かいお言葉を頂きました。

今日は隊員のみんなが私たち3人の帰国隊員のために送別会をしてくれます。
明日荷物をまとめきって、明後日には帰国です。

ついに二年ぶりの日本。
楽しみなような、日本の生活に戻るのが恐いような、複雑な気持ちです。

そしてモザンビークで出会った友達や同僚、生徒ともお別れ。
色んな人とお別れをしましたが、帰る実感が湧いていませんでした。
実感湧くのは、空港についた時?離陸する時?それとも日本に到着した時でしょうか。

無事に到着しますように。
バタバタしていてブログ書いてませんが、
気づけば活動も残り2日となりました。

が、感慨にふけってる暇もなく、
提出書類の作成
学校でやる送別会の準備
成績つけ
部屋の片付け
お土産準備
に追われております。

今日は、やろうやろうと思いながらやれていなかったExcelの印刷の仕方の授業を、水曜日のホームルームの時間を使ってやることに。

午前中の先生にはポロロが教え、午後はグアンベが教えることにして、
ポロロには昨日授業内容を伝授し、事務所にプロジェクターも借りに行ったのですが
どちらも先生達がやる気をみせなかったので、やりませんでした。

通常授業はというと、マンガの授業とテストを終え今週はデッサン。
自分の靴を書かせています。

机に置いて描かせてるのですが、多くの生徒が、靴の形をトレースしようとします。
みごとにどのクラスも。
見たまま描くということが理解できない。

去年描いておいたデッサンを見せ、靴のデッサンも少し描いてみせて
ちょっと分かったかな、集中してきたな、と思ったところで終了してます。
鉛筆の灰色の力を少しは知ってもらえたかな



私が持っている7クラスの来週からの担当はまだ決まっていません。
学校は教育委員会に年始から要請していますが、中学の美術の先生を見つけるのは大変なようです。

エルシリアが他の12クラスと合わせて掛け持ちでやるかもしれませんが、分かりません。
ということで、とりあえず2学期の成績をつけるべく、授業ノート(スケッチブック)の採点と、先週4コママンガを描かせたので、その採点をしています。

その採点をしていると、土曜日に開催する私の送別会の話にもなり
もう頭パンパン。
送別会は私がホストとなって準備せねばなりません。
お金も少しずつお金を集めてやることもできますが、同僚の意見を聞いたら反対され、他の帰国隊員もそうしてましたが、各自飲み物だけ持参してもらって、後のご飯やDJは私の自腹です。

当初同僚の家でワイワイやるつもりでしたが、アクセスが悪いため、結局学校でやることに。
しかもその日は午前中会議があるらしく、会議の後そのまま残る先生が多そうなので
40人は来るのではないかと予想してます。

私が作る日本食0(おにぎり、お寿司、カレー、焼きそば、お好み焼き、麻婆茄子、抹茶ケーキ)
と更に
サラダ、豚肉と鶏肉の炭焼き、シマ(ウガリ)、大量のフライドポテトを作ってもらう予定。

週末南アに行ったので
炭焼き用の豚肉10キロ、鶏肉10キロ
玉葱2袋
ジャガイモ8キロ
を買ってきました

が、まだ足りず
油やらなんやらかんやら
モザン人40人が食べる量なんて私の頭では想像つかないので、
いろんな人に助けてもらってます。

そして送別会の次の日は引っ越し作業です。
てんてこ舞い。。
今週の授業は、先週に引き続きましてコミュニケーションデザイン。

生徒達は教科書を殆ど持っていないため、説明を書き取らせます。全クラス内容を合わせるためエルシリアが作った説明をそのまま私の教室でも使ってるのですが、今週の説明の量がいつもの3倍ぐらい。
ほとんど書き取りで2時間終わってしまいます。

が、今週はそれと同時に各クラスの1学期の成績表の確認。

先々週、グアンベとポロロと3人で各教科の先生がつけた採点データを、パソコンで成績表にコピペしまくりましたが

それと別に各担任は出席簿に全教科の点数を手書きで書いているので
パソコンデータと出席簿の点数に違いがないか、読み上げて確認するという作業をポロロと2人でやりました。

月曜日からやっていたものの、各先生が空いた時間に私をつかまえてパソコンに向かうので
なかなか進まず。
が、土曜日には保護者会があって親に成績データを手渡さねばなりません。
結局昨日今日で殆ど終わらせました。
授業もありましたが、教頭にそれよりもこっちをやってくれと言われ、生徒に書き取らせる説明文書を渡して書き取りを頼んで。

期限前日になって慌て、私に頼んでくる相変わらずのこの状況…
私いなくなった後どうするんだろ

この2日間、パソコン画面とひたすらにらめっこ。
最後5クラスは担任が来ずポロロが全部やりました。

日本と比べ、疲れたら休むし、気分で仕事することも多いですが
その分しっかりどこかにしわ寄せがいってることは同じ。
もうぐったりです。

やっと終わったころ、更に今日は事務所から所長がやってきました。
来週、日本から副理事長が私の学校に訪問しにいらっしゃるとのことで、校長に挨拶&下見。

滞在時間は30分程度の予定ですが、私の授業も少し見学されるとのことです。
時間的には終わる寸前の時間なのですが
その前の大臣に会う予定がなくなれば、もっと早く学校に到着されると。

所長が直々に下見に来るというこの状況に、
若干焦っている私です。
去年始めた美術部。ここにも日記を書いてきました。

今年も隔週で続けたかったのですが、先生向けのExcel講座を先生達の要望により毎週連続でしたいと言われ、全土曜日はExcel講座で埋まり、できずにいました。

1学期にExcelの授業終わるから2学期になったらやろう!と生徒達と約束していたにも関わらず、帰国前で色々誘われたり友達の手伝いで予定がどんどん埋まってしまい、やろうと思ってた日も会議が入り、一回もできずに終わりそうでした。

まぁ生徒達も忘れてるだろう と思ってたら
金曜日に「明日やる?」と聞いて来た生徒がいて
覚えててくれたんだーーーー!なのに予定が埋まってしまった…と心が痛みました。

最初は17,24日にしようと思ってましたが、
17は職員会議(しかも会議後にグアンベと全先生向けに印刷講座をする予定)
24は保護者を集めた会議(1学期の成績を渡す日)と言われ
断念していたのでした。

が、たまたま午後までいて作ったフォーマットを訂正するためにパソコンを触っていると
教頭と数人の学年担任が入って来てプチ会議が始まりました。

教頭「さっきメールがきて明日、各学校から5人フレリモ党の会議に出なきゃならない」

やはり与党の力は強い…と思ってると

「明日の会議は来週に延期だ」

おおおっと!部活できるじゃん!!!

ということで、急遽いつものメンバーに言ってまわることに。

急だけど明日、会議がなくなったから最後の授業をしようと思うの。

そういうと、「うん。行くよ」と言ってくれました。

私を母だと慕ってくれてりるJは、
「え、最後?今年最後?」
「うん、だって私来月日本に帰るから」
というと、目に涙を浮かべていました。

その時一緒にいたGによるとその後教室で泣いていたとか…
もらい泣きしそうになりました。

課題は、
以前、J達が段ボールを見て家を作ろうとしたけどボンドのつけ方が下手ですぐ壊れていたので、段ボールを使ったものにしようと、ビー玉ころがしにしました。
でも、最後なので何でもやっていいよと言いました。

さて土曜日。行ってみると参加者は5人でした。
伝えられなかった子もいるし、予定が入ってた子もいた。気分が乗らない子もいたでしょう。

でも、久々に彼らとゆっくり過ごせました。

絵の具で自由に描いてる子、ビー玉ころがしに挑戦している子、ビー玉ころがしをした後に色塗りをしている子
去年やったジュースの箱でつくる財布をもう一度やりたがる子もいたので、時間の許す限りやらせました。

エルシリアも寝坊しながらも来てくれました。

Gは私の似顔絵を描いてくれました。
想っていたよりも観察力も描く力もあると知り、嬉しくなりました。



皆勤賞のLとJにプレゼントをあげようと想っていたのですが、
他の子たちにもあげることにしました。

Gには色鉛筆セットをあげたい。
LとJには折り紙の本
他の子には小さな絵の具セット。

それらは日本から頂いたものだったり、私が個人的に持ってたものですが、授業で使えず保管したままだったのでプレゼントしたいと想います。彼らならきっと活用してくれるでしょう。







学期末テストも終わり、
今週は先生達みんな採点に追われて授業はありません。

私はエルシリアと採点を一緒にし、7クラスだけというのと今回は8人1組で作品を作らせたので採点はすぐに終わりました。

良い作品は展示用に保管して
他は返却してまわってます。

画用紙代の1人5mtも同時に取り立て中。
採点結果の点数を知り、でも5mt払わないとこれが0点になっちゃうよ

と言えば、けっこう払ってくれます(笑)

ただ、残り12クラス分をエルシリアがあまり取り立ててないので、お金を余らせて画材を買うという計画は難しそうです。


と同時に成績処理の準備中。

Excelでフォーマットを作ったので、そこに点数いれさえすれば、結果も統計も出るようにしました。

これまでの流れだと
1、先生達はまず、自分の教科の、自分が担当しているクラスの採点をして成績表に打ち込みます。
2、各担任の先生にデータを渡します。
3、各担任は自分のクラス生徒の全教科の点数を出席簿の本に書き込みます。
4、他の先生と一緒に読み上げ、書き込んだ内容が間違っていないか確認します。
5、各担任は全員の平均点を電卓で計算し、成績結果を出します。と同時に統計も手計算でだします。


2番目まではいいのですが、いつも問題は3番からです。
手計算のため、間違ってることもある。
そのために成績結果が変わってしまう。

ということで先生達の仕事を減らすためにも正誤性を図るためにもExcelで管理することになりました。

データをそのままコピペするので4の作業はいらなくなるし、手計算は一切しなくてもよくなるので先生達は随分楽になるはず。生徒達も間違った結果のせいで1年を無駄にしないはず。

私の計画では各担任に全教科の点数をExcelに打ち込むところまではやってもらうつもりでした。

ところが、グアンベ、教頭、ポロロ(私含めて中央部隊)は反対。
なぜなら、それをさせると成績結果を見て自分がかわいがってる生徒や生徒からお金をもらって点数をいじくる先生が出て来るからというもの。
手書きでも修正液を使ってやってる先生がいるのに、パソコンになればもっとやりやすくさせてしまう。

ということで、2番の各教科のデータを全員の先生からもらったら
私たち中央部隊で手分けして、その各教科のデータを各クラスの成績表に入れこむことになりました。
他の先生達は2番で終了ですので随分仕事がへりますが、
中央部隊は大変です。
全3学年合わせて42クラス。
各クラスの11教科の点数をそれぞれ入れ込まねばなりません。

木曜日が祝日なので、それを利用してグアンベも私も旅行にいきます(笑)
来週旅行から帰ってきたら大急ぎでその作業をせねばなりません。

なんてこった。
でもそれが生徒にとっては一番いいので頑張ります。



余談
随分前にエルシリアの息子に南アで小さな車の玩具を買ってあげてたのですが
いろいろあってあげるタイミングを失ってました。

それを昨日余っていた色鉛筆セットと共にあげたら大喜び。
この間、学校でいい点を取って帰ってきたのでお菓子をあげたそうですが
「こんなのいらない。車の玩具がほしい」と言っていたそうで、困っていたところだったそうです。

今日エルシリアはニコニコしながら話しかけてきました。
息子に車をあげたら、「やったーゆうこおばちゃんがくれたー!」と大騒ぎして

電話をかけてきた親戚のおばちゃんにも車のことを報告していたそうな。
昨日はその車を手にもって寝たそうです^^

シングルマザーな彼女はテレビゲームを買う事を考えています。
彼女の気持ちも分かるけど、まだ小さいのでもっと外で遊んだほうがいいし、テレビゲームづけにならないか心配してました。
色鉛筆も嬉しそうに学校に持って行ったと。せっかく絵を知ってる彼女の息子なんだから、たくさん描いてほしいと思ったのです。
しばらくは車で遊ぶことでしょう。あげてよかった。







これまで毎週土曜日に開催してきたExcel講座。

今日で6回目で、ひとまず今日で終了して、あとはExcelの印刷の仕方だけ多くの先生に知ってもらおうと来月のどこかの会議の後にやる予定でした。

一回休むともう来なくなったり、パソコンが壊れてもうやる気をなくした先生やら最初は10人ほどいましたが、どんどん少なくなっていきました。

でも、来ている先生はかなり上達。
毎回「なんと便利なんだ」と感動してくれてました。

先週の日本祭りをはさんで、本日。
1週空いたせいと、テスト期間が終わって採点してる先生が多いので、おそらく参加者は少なくなっているだろうと予想はしてたものの

念のためいつも来てる先生に昨日1人ずつ確認したら来ると言っていたのですが

8時に始まる予定でグアンベと2人で待ってました。

8時半ごろ、グアンベがこなそうだから帰りたいと言い出す。

前回もみんなだいぶ遅刻してきたからもうちょっと待とうと説得。

前回先生役を勤めたポロロに電話。
風邪ひいたからこないと。

一番仲良しのマローズに電話して、彼が来るというなら待つ事に。

早速電話してみると、今シャパ(バス)に乗るところだと。いや騒音聞こえないけど?と言うと、向かっていると言い直した。分かりやすい嘘をつくものだ。
「今benficaでシャパに乗る所だって言ってる。けど嘘だよ、でも来るって」
というとグアンベはゲラゲラ笑ってた。
そして、とりあえず来るというなら待つ事になった。

2人で、
彼らのせいで私たちは時間を無駄にした、モザンビーク人はやっぱり誠実じゃないと話していた。
私は愚痴をいいまくった。

この数日間、仕事の後に夕方まで残ってパワーポイントを作ったのに。
昨日はプロジェクターを借りに市街地まで借りにいったのに
今日はプロジェクターとパソコンを重い目してもってきたのに
だからモザン人は信用できないんだ
今日はポロロとマローズの家に帰りに行くって約束してたのに。私にはもう時間がないのに!etc

結局10時になってもこなかった。

電話してもかからない。こりゃこないな、と思った私たちは諦めて帰ることにした。
こうなったら一杯飲んでから帰ろうと言いながら

校門を出るといつものメンバー、シリンザが入って来た。
あーもう諦めて帰ることにしたんだと話してるとパウロが到着。
でももはや教室に戻って全部準備してやる気力はない。
「ゆうこはずっと、やっぱりモザンビーク人は信用できないって愚痴ってたぞ!そりゃそうだ」
とグアンベが2人に話してた。
これでグアンベがいなくて1人で待って愚痴も聞いてもらえず帰ってたらかなりブルーな日になってたところだった。
あと30分早く着いててくれたらやったのに。

とりあえず作ったパワポデータを2人に渡した。
シリンザは私たちについてきて、シリンザとグアンベと3人で飲む事に。

途中マローズに電話したけどやっぱり出ない。
今からでも家に遊びにいけないのかとグアンベがポロロに電話したら、近所の家のパーティに参加していると。ということで、風邪もやっぱり嘘だった(笑)

グアンベは、モザン人にはめずらしく信用がおける男性だ。
急に休んだり、都合が悪くなると電話でないけど、時間は守るし、相手の気持ちを考えて言動する。彼と2人でExcelの授業をやってこれてよかった。

3人でグダグダと色々はなした。
普段同僚には話さないようなことまで。

例えば、

時々なんでここにいるんだろうと思うことがあるとか。
特に仕事を押し付けられると、助けるためにきたのに、ただの便利屋だと感じるとか
それが日本にとって何のメリットになるんだろうとか これは同僚に対する愚痴も含めて。
でも、少なくても生徒達のためには働こうとは思っている。先生の間違いで落第にさせられたりしている生徒がいるのは我慢できない…などビールの力もあってベラベラ話した。

続いて、生徒達について。
グアンベは、◯クラスは、みんな分かったと言っていたのに、昨日採点してみたら50点採れてるのが10人しかいなかったと。
私に関しては生徒は私を恐がっていない上に現地語を理解できないので、生徒達は言いたい事を言って楽しんでいるのだとか。

そして、どのクラスが疲れるかという話になって分かったことだけど、私が見ている7クラスは、去年落ちた子達の集まりで、つまり話を聞かない子達が集まったクラスなのだと分かった。
そりゃ去年より疲れるわけだ。

その後、話の流れで日本語を教えることに。
アルファベットしか使わない彼らにとって、ひらがなとカタカナと漢字がある日本語は複雑。
大抵Aは日本語で書くとなんだ?と聞かれ、ひらがなを教え、その後ひらがなとカタカナの違いを教え、その後漢字の話をする。

漢字には1つ1つの字に意味があるんだよと。
「佑子の佑は助けるという意味で、子は子どもという意味だ」と言うと
シリンザが、「佑子は子どもを助けるために来たんだね」と言って来た。

(もとは画数だけで付けられた名前だけど、意味があるのかもしれない。
ちなみにこの佑という字を名前に持った人はこの30年、ほとんど会わなかったけど
モザンビーク隊員だけで3人いた。名前ってやっぱり何か関係あるのかな)

そんなこんなで、ぐだぐだと話しながらビールを4杯ずつ飲んで愚痴を吐き出し、私が奢って帰ってExcel講座週間は終了したのでした。

最後のExcel講座がこんな形で終わるのは残念だったけど、ここまで本音を話せる同僚ができてよかった。

さて、会議の時にやる印刷のやり方のパワポと、私を引き継いでフォーマットを作って行くグアンベのためにvlookupの資料だけ作ってExcel伝授は終わりたいと思います。

来週は担当クラスの採点をやって成績表をつくって、
グアンベと共に全教員が作った成績表データをまとめて統計だしたら1学期は終わりです。




私の活動先で化学の先生として働いているエゼキエルは、去年の欧州剣道大会で35カ国から集まった選手達の中から4人に選ばれたこの国が誇るべき剣道選手。
黒人は彼1人だけでした。おそらくアフリカで一番強い。

しかし、国内では校内でさえ知る人は殆どいません。

彼はモザンビーク剣道居合道協会(AKIMO)設立当初からのメンバーで、その前にやっていた柔道もナショナルメンバー!日本人よりよっぽど武道を知っている。

彼をこの3年間見て来たシニアボランティアのSさんが帰国される前に、彼がその技を披露し、教える機会が作りたいと思い、彼に話を持ちかけ一緒に日本祭を開催する事になりました。

事務所への業務費申請が不可能だったため私達のポケットマネーで、できり範囲でやることに。

彼が武道とステレオの準備をし、私がその他の準備をしました。

すると彼は柔道仲間に頼んで畳を手配し、AKIMOのメンバーにも協力を要請して
柔道、剣道、弓道、居合道まで披露することができました.

私のほうも16人もの隊員と剣玉チャンピオンのフラビオさんが駆けつけてくれ、
国歌歌って、島人ぬ宝歌って(三線ひきました。奄美好きが高じました)
ブースごとに別れて剣玉、着付け、輪投げ、お箸、書道、スライドでの日本紹介をして、

閉会式では剣玉と箸と剣道の選手権をして景品をあげ(オレにもTシャツくれくれコールが大変でした)

最後に盆踊り(炭坑節)をしました。(大きな円になって踊っていたのに、みんな真ん中で踊っていた日本人に近寄っていくためどんどん円が小さくなってできなくなりそのまま終了)

そして最後にきな粉パンを配布。これまた大混乱。渡す前に予想していたので、エルシリアと警備員に協力を要請して、私には到底できないですが彼らは生徒達を一列に並ばすということをやってのけたのでした。

大抵日本人が全てやるはめになると聞きますが、今回はうまく恊働できてよかった。

イースターであまり来ないかと心配していましたが、参加者は最後までいた人が400人いたのでおそらく総勢約500人。

予想以上に大きな会になりました。

今回の私の企画に賛同してくれた事務所の広報のMさんがプレスリリースを出してくれたおかげで、テレビとラジオも来てくれました!
どちらもなんと10分強も流されていたそうです。
テレビはネットでちょっとだけ見れます→こちら

彼はこのTVインタビューで、「剣道教室を作って子ども達に教えていきたい」「武道は喧嘩でなく平和のためのものだ。人を助けるためのものだ。それを彼らに伝えていきたい」と言っています。

私はというと、焦って「彼はとっても強いのに誰にも知られてないから彼の技を見せたかったんだ!」としか言えませんでした。
検挙な上に検挙な精神を貫く彼は自分では自分の強さを言わないので、私がもっと彼の強さを言えばよかったんだけど…焦って「強い」としか言えませんでした。

こんなところに誇るべき選手がいるともっと知らしめたかった。

さて学校では、
たくさんの生徒達から「土曜日楽しかったよ!次いつやるの?」と聞かれました。
アリガトウとサヨナラを言って来る生徒が増えました。

そして閉会式の剣道選手権で勝った3人の生徒がエゼキエルに「剣道習いたい」と言って来たそうです(:_:)

学校の近くに教室を開きたいと思いながら資金集めに苦労している彼ですが、きっと励みになったはず。

やってよかった。

Tシャツがもらえるとマイクでデマを流した若者がいて混乱が起こったり
着付けでも盆踊りでもきな粉パン配布でも相変わらず生徒達の勢いはすごかったですが
隊員のみなさんと同僚のおかげでなんとかなりました。


さて、今日で帰国までちょうど2ヶ月です。



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