ご訪問ありがとうございます♡
私達は学校教育で頭で一生懸命考えるようにずーーっと教えてられて来ました🥺
頑張って努力して、みんなと協調するように🥺
先日、違和感を感じた事…
(というか娘が小学校に行きだしてから、違和感しかないんですけど。笑)
「帰りの会で、おしゃべりをしたり、遊びを辞められない子がいて進行がスムーズにいかなくて先生は困っている。どうしたらみんな静かに話を聞けるか一人一案考えて発表しましょう。」
っていうお題が出たと。
娘は
「一人一人違うんだから、無理じゃない?」
と。
ママもそう思うー😂
意見を求められたので、
「機械じゃないんだから無理。ましてや子どもに同じタイミングで同じ事させる事自体が不自然。そもそもそれをどうするかは生徒が考える事ではない。」笑
娘「だよねー、誰かが言った事を適当に自分の意見っぽく言っとくわー!」
↑
ナイス。
母の口癖
「学校では適当にやっとけ。」
娘「ドッジボールがやだ。人にボールぶつけるなんて何が楽しいかわからない。やりたくない。」
私「わかるー、やらなくていいでしょ。」
娘「だよね。鬼ごっこも好きじゃない。」
私「わかるー、足痛いとか言って抜ければ?」
娘「算数が難しくて嫌い。」
私「わかるー、適当にやっときな。電卓の使い方教えるけど、九九とある程度の暗算はまじで本当に日常生活で必要。」
娘「そっかーじゃ割り算はもうちょっと頑張るね。」
最近は学校で適当に上手くやる事を学びつつある娘。笑
それでいいと思う🥺
思考と規律ばかり大事にされて、みんなと一緒に同じ事をやる事、一生懸命頑張る事だけが教育みたくなってますが…
個人の感覚がどんどん失われていくように思えてなりません…
情報が錯綜する現代、何が真実かわかりません。
自分にとっての違和感…。
なんかおかしいぞ…
という
感覚

生き延びるには本能…
感覚
がとても大事だと思うのです

このように思いながら娘を学校に送り出す事に切なさを感じる事もありますが、
本人が行きたくなくて、しかも感覚失われて自己肯定感下げられるだけなら別に
学校行かなくていい‼︎
って言う究極の選択肢とその環境を整えれば…
怖くない
笑

学校以外にコミュニティもある、どうしても勉強したかったら公文とかある

仕事してるとこ見せるのも教育

自然や動物に触れるのも教育

究極の選択の前に妥協ラインとして
適当にやる
を娘に提案しています。
教育は各ご家庭のお考えがあると思いますし、うちの場合の話です。
一応…
娘は健やかに成長しております。笑
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました
