ヘブライ語聖書(タナハ)におけるモーセの十戒
他の神々が、あなたのためにわたしの面前にあってはならない。
あなたは自分のために像を作ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にあるもののいかなる形も。
あなたはそれにひれ伏しても、それらに仕えさせられてもならない。
あなたは、あなたのヤハウェの名を、空しいことのために唱えてはならない。
安息日を覚え、これを聖別しなさい。
あなたはあなたの父と母を重んじなさい。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは 盗んではならない。
あなたはあなたの隣人に対し、偽の証言をしてはならない。
あなたはあなたの隣人の家を欲しがってはならない。
(あなたの隣人のすべてのものを欲しがってはならない。)
山上の垂訓
山上の垂訓(さんじょうのすいくん)は、
新約聖書の『マタイによる福音書』第5章から7章と
『ルカによる福音書』第6章にある、
イエスが山の上で弟子たちと群集に語った教えのこと。
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、
弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、
あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、
あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
あなたがたは、地の塩である。
もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。
もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、
人々にふみつけられるだけである。
あなたがたは、世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。
むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。
廃するためではなく、成就するためにきたのである。
よく言っておく。
天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、
ことごとく全うされるのである。
それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
またそうするように人に教えたりする者は、
天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
しかし、これをおこないまたそう教える者は、
天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
わたしは言っておく。
あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
決して天国に、はいることはできない。