わたしのストーリー vo.2 学生時代 | ガミガミママは卒業できる!NY発 ママが輝く魔法のレッスン
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vo.2は 学生時代 です。

解放されたのは小学4年生の秋だったと思います。
ちょうど引越しもあり、新しい学校に慣れるのに必死な時でした。

お稽古と言えば、4歳の誕生日をきっかけにピアノを習い始め…

転校先でお友達に認められたのは、ピアノが弾けるわたし。

その後、高校まで合唱コンクールの際は伴奏者を担当しました。

唯一口出しされなかったのが、母が弾けなかったピアノだったんです。


さぁ、劇団を辞めて自由になったわたし。
次の試練は中学受験泣。

地元の中学が荒れてる?
親のエゴ?


塾に通いましたが、
5年生の途中で転塾したんです。

ここが、また地獄の始まり。

成績が悪ければ 親にガミガミ怒鳴られ、怒られ、どんどん ヤル気は無くなっていくのに


この塾…超スパルタです‼︎
点数が悪ければ、ケツバット。


漢字は30問中27点が合格。
26点なら1バット。
点数が悪いだけ叩かれる!7点だっら20発‼︎

黒板のチョーク受けの所に手を掛けて、お尻をプラスチックのバットで叩かれる。
(6年生になるとバットの持ち手の硬いところで叩かれる)

算数は居残り。
問題が解けるまで帰してくれない。
オマケに間違えると角材で叩かれる。
(余りの痛さに星がチラつくことも)


はい!おかげで勉強は嫌いになり、サボることを身につけました笑。


今でこそ このような塾は問題ですが、当時は何故母がこの塾を選んだのか…

イジメ…
嫌がらせ…
にしか思いませんでした。



中学に入学してからは
部活等 楽しい時間が待っていると思いましたが…

友人と一緒に入ろうと話していたバスケ部
突き指するから 絶対ダメ と母の許しをもらえず

 家庭科部

これも入部して数ヶ月後  料理をして片付けをしたら帰宅が遅くなり。
で、怒られ退部。

何をしても 私が選んだことは許してもらえず…

結果訊くことを諦め 高校も帰宅部。


友達関係も全てコントロールされ、反抗はモチロンMAXです!

でも、母の方が強かった。


わたしは諦めることで生き延びてきたんです。


短大に通っても
どこか 空虚感 があったと思います。


お母様と仲悪い?

と、思われるかもしれませんが、そんなこと無いんです。

だって、母の言った通りにすれば怒られないんだし、生きていくためには仕方が無いことと ずーっと 思っていたので。

ここに何も違和感は感じませんでした。


ここで整理しましょう!

親が出来ないお稽古は 余計な口出しがナイ
            ↓
 本人が好きになれば 続く

塾を実績で選ぶ
            ↓
  我が子に合うかどうか見極めなければ 結果は     伴わない。
塾が合格させてくれてるのでは無く、本人のヤル気。
基本、塾は何処を選んでも差は殆どナイと思います。

思春期の子供に対してコントロール
           ↓
親に反抗して 口もきかない。
何を考えているか わからない。

         or

反抗することを諦めた場合、親の都合の良い子になるが 考えて行動する能力が失われる。
指示待ちさんになる。

★★★★★

親だからと言って 子どもをコントロール していませんか?

子どもの気持ち 心の叫びを受け止めていますか?