自分が書いた1~10を大切な事が抜けてないか何度も読み返すうちに月日が経っていました。

誰の得でも誰の為にもならないかもしれませんが、最後まで書きたいと思います。

 

 結果論ではありますが、中学受験において夫婦で勉強を教えたという事はただの一度もありませんでした。全て塾に任せ、コピーや送迎などをする事はありましたが助言をする事も伴走する事もありませんでした。

これが結果的によかったのだと思います。

伴走すればクオリティが高いのは当然、それをしなかった事を当初後悔したりもしましたが、仮に親が手を加えたとして、それはしっかり自分事になっているのか?親が手を加えた合格と不合格。後者になった場合、公立中学の選択は皆無な気がします(私立受験に限り)せっかく私が3年間子供に付き添い頑張ってきたのだからどこかに入学して欲しい。そんな声をよく耳にします。

一体誰の受験なのか?

そして公立中学を選択しても受験経験者というプライドだけが残り中1の始めこそはいいものの、油断してしまい中2.3と悲惨な状態が目に浮かんでしまいます。

少し辛辣な文章になってしまいましたが。。

 

私の周りにも今年受験に失敗して全てにおいて投げやりになり、良くない友達に引っ張られつつある子がいます、私は頑張ったのに合格もらえなかった。どうしてなのか?と母を責める。

答えは一つ、

努力が合格した人より足りなかった。

だけどこれが子供になかなか言えないらしいのです。受験して下さいと親から子供に頼んだのか?

とつい口から出そうになってしまいます。

 

中受に失敗したからと言って何も悲観することもなければ、それをバネにこの先の長い人生の糧になってよかったなと思えるくらい自分の事にする事ができれば、親や誰かのせいにする事もないはずだと思います。

 負け犬の遠吠えと言われればそれまでですが。

 

中学受験が彼女の人生においてターニングポイントだったのには変わりありませんし、できれば成功体験で終わらせたかった。

では一体何をもって成功というのでしょうか?

 

 

合格しては得られなかった経験をこの1年半で沢山してきました。

不合格とうい挫折は勿論、思いもよらない新生活、新しい仲間との出会いや新しい天才との出会い、矛盾だらけの先生や部活の先輩。英語という苦手科目との出会い。

もしも合格していたら、こんな思いはしなかったかもしれない、出会わなかったかもしれない。でもこの選択をしたのは私なんだ!!と自分に言い聞かせてきた1年半。

 

きっと頑張った自分をしっかりと振り返る事なく新生活をスタートしていたら、堕落していたかも、不貞腐れていたかも、よくない風潮に引っ張られていたかも。

 

実際、早稲アカの先生からは中学受験経験者の高校受験は難しいと言われていました。

しかし中2の1学期を終えた今、姉は成功しているといっていいと思います。堕落することも不貞腐れる事もなく次なる目標に向けて勉強も部活も遊びも趣味も必死に頑張っています。

そんな彼女を私達家族は誇りに思うし尊敬しています。

そして挫折を味わった彼女は最強だろうなとさえ思います。

 

姉は最強になり

私は理想と現実にもがく事をやめ、我が子だけを見るようになりました。

今、ものすごく楽に生活できています!

夫は、娘があんなに頑張っているのだから自分も頑張らねばと思い

弟は、あんなに頑張ったのに合格しないなら俺は絶対に中学受験しない!と言い切りました。

しかし、あれだけの努力を自分もいつかはしなければならない事をよく分かっているはずです。

その時をゆっくり待ちたいと今は思えます。

 

 

私は常々自分の事ならばこんなに苦しい思いはしないはずだ、と思っています。

自分の事ではないのに自分の事のように苦しくもどかしく歯がゆい。

安全な道に手を引いてあげたい。とついつい思いがちですが。

 

しかしこれからを生きていくのは子供であり自分ではないのです。

この先この間で立ち止まりもがくのでしょうが、この経験が家族を一つ上にあげてくれる事と願い終わりにします。