いつもアルコール依存症の肝硬変の旦那さんの話ばかりしていますが
今日は私の事を書いてみようかなと思います
私は今、55歳の主婦
旦那さん56歳、長男28歳(独身同居)、それと今年6月に結婚した長女27歳がいます
今は、特養老人施設で介護補助のパートをしています。週2〜4日のパートで、主婦業や趣味を楽しめるくらいに仕事しています
47歳の時、今からもう8年も前になるのか…
以前、私は電力会社の契約社員で…住宅ローンと子供の教育資金のために必死で働いていました。そんな中、会社の健康診断で乳がんが見つかりました
粘液癌という少し珍しい癌です。3年くらい健康診断で毎年引っかかるものの、再検査では嚢胞なので様子見で良いという診断でした
でもその年、いつもと別の病院で再検査したところ、詳しく調べましょうということになり生検といって太い針を刺して細胞を取り出す検査の結果、粘液乳がんと診断されました
体調に気になるところはなく元気なのにと、その時のショックは大変なものだったと記憶していますが
あまり苦しくて辛すぎて…最近、どんどんその時の事を自分が記憶から消していってる感じです
入院中、こちらのブログを沢山検索して自分の状況を理解しようと必死だったような…
癌になったこと
それに対しては、当時も仕方ないと受けとめる事が出来ていたと思う。手術もそれほど怖くなかったような記憶
右胸、温存手術とはいえ下半分なくなった。
それだって、大丈夫大丈夫って、自分を励まして意外と大丈夫だったような…
でも、手術2ヶ月後に始まった30日間の放射線治療で私の精神が不安定になり、あんなに苦しめられる事になるとは
放射線を当てるための印を、胸にマジックで書かれる。胸をさらけ出して、男の放射線技師さん達に囲まれながら、30日、毎日毎日放射線を浴び続ける…
すぐに戻れると思っていた会社にも
戻れなくなった…
胸をえぐられ、会社にも戻れず、10年後の生存率の事ばかり考える私くらいのステージでも、確実に10年後に10人中2人はいない…とか。
放射線4日目あたりから、ずっと涙が止まらなくなった。診察では、定期的にお腹に注射をうたれるのだが…それが痛くて痛くて…
ホルモン治療というものだが、生理が止まるため、急に更年期の症状が出てきてホットフラッシュや動悸、24時間耳鳴り…
人と会話するだけで、子供のように泣きじゃくる…感情のコントロールが効かなくなり
心配した看護師さんの勧めで、緩和ケアのカウンセリングを受けながら
なんとか30日休まず、放射線治療が続けられたが…
手術入院から半年、会社を休職させてもらったけど、結局、私は会社に戻ることが出来なかった
12年勤めた会社を、まさかの退職
定年まで勤めるつもりだった
正社員なら1年休職できたんだけど、私は契約社員だったので、半年しか休職期間できない規定だったのです…
うつ病と診断され…
特に、24時間耳鳴りの症状は、私を苦しめました。頭がおかしくなりそうで、死にたいとは思わないけど、死んでもいいなとばかり考えて
現実を生きている感じが全然しなくて、いつも頭がフワフワしていて
近所のスーパーに買い物に行くくらいの外出しか出来なくなって
いつも歩く風景が昭和のドラマを見ているようなセピア色に見えていました
↑
今、思うとかなりやばかったかもです
もしかしたら、もう死んでいて
これは別の世界にいるのかも…
とか、考えてたような…
その後、なんとか短期のバイトを2つして
休み休み、社会復帰しようと頑張った
…そのうちにコロナ禍の社会になって
私だけ孤独にいるんじゃないと思ったら
少しずつだけど、元気を取り戻せた
私は、そういう意味ではコロナ禍に少し救われた事になるのかな…
コロナが少し落ちついてきた2年半前に
今の職場に採用され、
沢山の人の中にまぎれ、私は働いてる
人の集まりの中にいる幸せを感じている
やっと、鬱から解放されたのかも…
もう周りがセピア色に見えないし、笑えるし、嬉しい、悲しい、ムカつく
普通の感情が持てるようになった
時間がたいていの事は解決してくれる
だから、今、本当に苦しくて
泣いてばかりで明日が見えなくても
なんとかなるものだと思います
これを読んでくださった
今、つらい日々を過ごしている方にも
心が元気になる日がきますように🍀
〜読んでくださりありがとうございます〜
私の乳がんは今のとこ再発なし。薬副作用で、子宮内膜と卵巣に少し異常がでて手術を繰り返していますが、なんとか大丈夫です耳鳴りは一生の付き合いになりそうですが