前のブログの続きになります。

 

 

3人で家を出て、数日後あとを付けられて居場所がバレてしまったものの

平和な日々を送っていました。

 

それから、音信不通。

3年が経ち、私は結婚することになりました。

 

結婚を機に親への感謝の気持ちも芽生え、父に連絡を取りました。

この時、これまで育ててくれた事への感謝の気持ちはありましたが、

家を出たことに対する罪悪感はありませんでした。

 

それどころか、3年ぶりに父と会い話をしましたが、口を開くなり私や母や兄への否定的な言葉ばかりでやっぱり離れて良かったと思わされる時間となりました。

 

その後も、父vs母、兄、私という1対3の形は変わらず時が過ぎました。

 

私は父のことが大嫌いで憎んでいたので、時々来るメールも物凄く嫌悪感を覚えていました。

 

それでも、自分を育ててくれた親だからと完全に見捨てることはできず、主人に間に入ってもらって会う機会を何度か作りました。

 

会っても、話すのは主人と父。

私はほとんど会話に入りません。

 

父はいつものように私の悪いところばかり突くような話をするのですが、主人が間に入って優しく父の言い方を直させたり、うまく冗談に受け取って流したりしてくれました。

 

帰りの車の中でも、父と私の関係がうまくいかない点を主人が分かりやすく解説してくれました。

 

そんな、優しい主人でしたが、大喧嘩をしてしまうことが何度かありました。

その度に離婚騒動に。2回ほど別居もしました。

 

ある日、喧嘩の余韻が残る中、突然主人がこんなことを言いました。

 

「冗談半分で発達障害の検査を受けてみない?」

 

と。

 

私はすぐに

 

「やだ」

 

と答えました。

 

自分は人とは違う。何かおかしい。というのは感じていました。

でも、発達障害と分かったところで何になるのだと思ったのです。

 

しかし、主人は穏やかに

 

「生きるのが楽になるかもよ?」

 

と言ってくれました。

 

そして、主人が私が発達障害ではないかと思ったというYouTubeを見せられ、

ネットでできる簡単な検査で、自分に発達障害があることを確信しました。

 

「生きるのが楽になるかもよ?」

 

この一言で私の心は動きました。

 

小さい頃から生きづらさと感じて生きてきて、高校、短大に進むにつれて自殺願望も

強くなり本当に辛い人生を送ってきました。

自己啓発本もたくさん読みました。でも何も改善されませんでした。

 

だから、

ちゃんと診断してもらおう。解決策があるなら教えてもらおうと強く思ったのです。

 

そして、主人と一緒に初めて心療内科を受診しました。

 

続く