猫のまつげに木星
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「きみのおばあちゃんが、幸せになるようにと願うものとは、きみの愛なの?それとも思考なの?」
「ぼくの愛だよ!そこからすべてが生まれている」
「"そこからすべてが生まれている"まったくそのとおりだよ。だからさいしょに愛して、そのつぎにきみのおばあちゃんが幸せになるように、きみの頭を使うわけだね。ベドゥリート」
「そのとおりだよ。ぼくの頭をぼくの愛のために使うんだ。まず、さいしょに、愛があるんだ」

「じゃ、愛の上には、なにがあるの?
 もし、神がたくさんの愛をもっていると証明できたとしたら、それは神のはずだろう?
 愛よりも、偉大なものってなーに? 愛の上になにがあるって話したっけ?」
「なにもないって」
「じゃ、神ってなんなのか?」
「あ! "神は愛だ"きみはなんども言っていたし、聖書にもそう書いてある。
でもぼくは、神って、たくさんの愛をもった人間のようなものを想像していたよ……」

「愛をたくさんもった人間なんかじゃない。神は愛そのものなんだ。愛が神なんだよ」

「愛は力であり、振動であり、エネルギーであって、それらの量は、たとえば
"センソ・メトロ(感覚計)"のような器械で、測定することができるって言ったの覚えているね。
光もまた、おなじように、エネルギーであり、振動なんだよ。……
X線も、赤外線も、紫外線も、そして思考も、みな異なった周波の"おなじもの"の振動なんだよ。
周波が高けりゃ高いほど、物質やエネルギーが繊細になる。石と思考は、異なった周波の
"おなじもの"が振動したものなんだよ……」




「どうしてきみのおばあちゃんに、その"クルミ"をもっていってあげたいの?」
「きっと、おばあちゃん、食べたらおいしいって言うからね」
「おばあちゃんの口に合ったら、いいと思うわけ?」
「きっと気に入って……よろこんでくれるから……」

「どうして、おばあちゃんによろこんでもらいたいの?」
「だって、おばあちゃんのこと、愛しているもん」
 とつぜん、愛の別の性格として、自分の愛しているひとの幸福を願うという気持ちがあると
いうことに気がつき、自分でもおどろいた。
「だから、"クルミ"が気に入ってくれて、よろこんでくれて、幸せに感じてくれるように?」
「うん、そのとおりだよ」
「神はなんのためにひとや風景や世界やそのほか、味覚とか臭覚とか色をつくったの?」
「ぼくたちが幸せになるように!」
といままで知らなかったことがまたひとつわかって、よろこんで言った。




「ベドゥリート、どうしても好きになれない、あせないひとがいるって言ってたね」
「うん」
「愛せないって、悪いこと?」
「うん」
「どうして?」
「だってきみが、愛は法で、それが最高のものだって言ったから」
「いま、ぼくのいったことは忘れて、たとえばぼくがきみをだましていたとか
まちがっていたとか仮定して、愛のぜんぜんない世界を想像してごらん」
 アミにそういわれて、だれもまったく愛し合わない、愛のない世界を頭の中に描きはじめた。
人々はみな、冷たく、おたがいを信じ合わず、自己中心主義だ。愛がないからエゴに対する
ブレーキもない。すべてみな、自分以外は敵であり、おたがいにボロボロになるまで傷つけあう……。
 アミの言っていた、大宇宙の大さいなんをひき起こしかねないエネルギーのことを思いだした。
傷ついたエゴの自殺願望者がやけになり、ただ復讐のために"ボタン"を押す……
宇宙が連鎖反応的に爆発してゆく……。

「もし、愛というものがまったく存在していないとしたら、宇宙はありえないかもしれない」
と推測して言った。
「じゃ、愛がすべてを創造し、反対に、愛の欠けたところには破壊しかありえないということ?」
「うん、そう思う」

「宇宙は、だれがつくったの?」
「神がつくった」
「じゃ愛が宇宙をつくり、神が宇宙をつくったのだとしたら、神に愛があると思う?」
「もちろん」