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今回は、先月の祝日に訪れました、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)でのちょっと不思議で有難い参拝体験のお話となります
この参拝記録をお読み頂くと、神社参拝でのご利益とは?恩恵とは何か?
と、疑問に感じていらっしゃる皆様にも、一見ありふれた参拝記録の一コマに、もしかすると神様からの様々な歓迎の合図や、大切なお知らせが隠されていることを感じて頂けるかも知れません
私のブログでは度々、見過ごしてしまいそうな何気ない日常の中に垣間見える神様からのお知らせの数々も綴っております。
偶然の一致が必然である事、視点を点から天へ変えて見てみる事で、この世界は神様からのお知らせだらけである事も、少しずつ感じて頂けるかも?知れません
私のブログを普段よりご覧頂いていらっしゃる奇特な皆様の中には、その事を私よりもよくご存じの方々も多くいらっしゃることとお見受け致しますが、このエピソードも一人の人間のひとつの感じ方の一例として楽しんで頂けると幸いです
以上、少しでもご興味ございましたら是非、私達夫婦と一緒に参りましょう &
前回のあらすじ
神社巡りを休日の楽しみのひとつとしているアラフィフ夫婦。
長年大切に乗り続けた愛車も走行距離は15万キロを目前に、そろそろ買い替えの時期です。
新しい車の納車日も決まった2月23日の祝日に、最後のドライブに選んだ先は、妻の個人的な思い入れのある丹生都比売神社です。
15万キロピッタリで神社に到着したことに、偶然とは思えない愛車からのメッセージを感じ取り、ちょっと不思議な感覚と嬉しい気持ちを胸に、いざ参拝へ向かいます
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神社に到着と同時に愛車のインジゲーターが示した150000に、興奮冷めやらぬ私達は記念撮影をしたり、気温0℃に凍てつく鏡池を覗いたりと、しばしその余韻を味わっておりました
神社隣接の駐車場につくと、鏡池に架かる太鼓橋の風景が目の前に広がります。
新緑の美しかった前回参拝時とは真逆の風景です
池の水面が凍っていますが、鯉たちはどうしているのかと覗いてみると・・・
水面が例え氷に覆われたとしても、まったく関係ない
というような顔をして、悠々と泳ぐその姿がありました
ではでは、参りましょ
外鳥居から、太鼓橋が見えます
橋に霜が降りて滑る為、冬季は渡れないみたいですが、温かくなったらまた来ましょ
続いて、禊橋手前から中鳥居越しに見る拝殿
この厳かな中にも朱塗りで彩られた華やかさが、木々の緑と相まって、なんとも素敵な風景を作り出しているんですよね
ここからの写真撮影は是非、押さえておきたいところ・・・
おや
宮司さんと禰宜さんの御姿が
手水を済まされて拝殿へ向かわれるようです
まぁ、なんとラッキーな事でしょう
この風景の中に、美しい装束姿のお二人を拝見出来て感激です
どうやら神事が始まるようですよ
しかし、祝日だというのに、他に参拝者の御姿もありませんので、どこか異空間に迷い込んだような不思議な感じが致します
ドン、ドン、ドン、ドンドンドンドン・・・
私達は、神事が始まる合図の太鼓の音が鳴り響く中、ちょっぴりどきどきしながら拝殿の前までその歩みを進めました
そして、太鼓の音が鳴り止むタイミングで、拝殿の前へ到着し、そのまま禰宜さんの祓詞(はらえことば)が始まりました
※祓詞(はらえことば)とは、神事の前に行われるお祓いの再に唱えられる祝詞の一種です。
(丹生都比売神社の拝殿は、上の写真の茅葺屋根の楼門の下にあり、外の参拝者からも神事の様子を伺い見る事が出来ます。)
私達は、この絶妙なタイミングで拝殿へ辿り着いた事に、あたかも今から始まる神事に参加させて頂いたかのような気持ちになりました
そして、お賽銭箱の付近を避けた位置で禰宜さんの祓詞に合わせて手を併せ、そのまま神事を見届ける事に致しました。
私は、先程の愛車の一件から、ピタリピタリと当てはまる絶妙なタイミングの良さの連続に、目に見えない神々のお力をひしひしと感じて、胸が一杯で、もう既に目頭も熱くなって来ています
そして、宮司さんの祝詞が始まり、内容を聞いていると、天皇陛下のお誕生日をお祝いするお言葉が聞き取れました。
そう、2月23日(祝)のこの日は‟天皇誕生日”だったのです
なるほど、、私達が偶然居合わせたこの神事は、どうやら‟天皇誕生日をお祝いする神事”のようです
私は神社の娘であるにも関わらず、節気や祝日の意味に興味を持ち出したのもつい最近の話なのです
祝日=休日、わーい という、お気楽思考の持ち主でして、、ホント、お恥ずかしい話です
この神事に偶然参列させて頂けた、その間、約15分位だったと思います。
不思議な事に、その時間、他に参拝者も無く、御祭神と宮司さんと禰宜さん、私達夫婦だけの空間でした。
境内のどこからか、雅楽か、お神楽のお稽古中なのでしょうか、なんともみやびな歌と音楽がずっと聞こえて来ていました
そして、宮司さんの祝詞奏上も、玉串奉奠(たまぐしほうてん)も、拝殿外から宮司さんの所作に合わせて一緒に拝礼することが出来、ここへ居合わせた事に感謝して、お賽銭箱の前で通常通りの参拝しようとしていると、、、
「どうぞ、お入りください」
なんと宮司さんが、拝殿の中へ私達夫婦を案内して下さいました
恐縮する私達を、拝殿の内部へ招き入れ、大幣(おおぬさ)でのお祓いをして下さいました。
さらには、玉串奉奠(たまぐしほうてん)までさせて頂けるようです
玉串奉奠を促されると、隣にいる夫くんの緊張が私に伝わります、、、
何故かというと夫くんは玉串奉奠の際、その作法をちゃんと行えるかどうかで頭がいっぱいになってしまう性分のようでして、、、
確かに神社には様々な参拝の作法もございますが、、、、
私は玉串奉奠とは、‟神々への敬意と、自らの神々への意思に寄り添う気持ちを表すもの”として、そのように捉えております
ですから、形式やその経緯よりも、敬意を大切に行えば、多少作法が違っていたとしても、神様も微笑ましく感じて下さると思います
(何事も気持ちが大切よね、夫くん)
そして(無事?)玉串奉奠が終わると、宮司さんがこの日の神事の意味を次のように説明して下さいました。
本日2月23日は、天皇陛下のお誕生日です。
この神事は、天照大御神の子孫として、先祖代々国民の平和を願って来られた天皇陛下のお誕生日をお祝いする神事であります。
また、天皇陛下のお誕生日をお祝いすると共に、全国各地の神社でも、平和を願い、祈願する神事でもあります。
と、偶然居合わせた無知なアラフィフ夫婦にも、この神事の意味を分かりやすく解説して下さいました
(一般参列も出来たようなのですが、他に参拝者がいらっしゃらなかったのが不思議です。
後でHPを拝見すると、神事のご案内は有りましたが、時間は記載されていませんでした)
後から調べて見たところ、この天皇陛下の誕生日と国の平和を祈る神事は、‟天長祭”といわれており、全国の神社でこの日の2月23日に朝10時より、伊勢神宮などの主要な神社において執り行われていたようです。
(ちなみに実家の神社でも、この日は宮司である父も神殿で天長祭の祝詞を奏上していたそうです)
ということは、私達は偶然その‟天長祭”に居合わせ、全国の神社で平和への祈りが捧げられている時間に、一緒に参拝させて頂けたという事なのです
そして更に、去り際には神様の御下がりである撤饌(てっせん)まで授かりました
神前にお供えされた食べ物には、神様のお力が宿っていると説明して下さいました
私達はその後、神事の余韻に浸りながら境内の散策をし、御朱印も頂きました
丹生都比売大神は、高野山に所縁の深い神様なのです
2月の限定御朱印は、弘法大使を高野山へ導いたとされる白と黒の犬の絵が入っていました
夫くんの御朱印帳は、去年の初夏に訪れた際に授かった、この丹生都比売神社の美しい社殿の刺繍の入った御朱印帳です
夫婦で神社を巡る度に増えて行く御朱印、そして、その御朱印帳もあと1ページとなっていますよ
という事は、、ここで御朱印を頂くと、最後のページが丹生都比売神社の御朱印となる
という、これもまた偶然なのでしょうか、、、
そうして、本当に、凄い凄い偶然がピタリピタリと重なった丹生都比売神社参拝でした
私達は、普段ならそのまま周辺の神社も立ち寄ってみたりするのですが、この日はこの有難いエネルギーをこのまま持ち帰りたい気持ちになり、他の神社へは立ち寄らずに帰る事にしました
あ、そうそう、帰りに美味しいラーメンは頂いて帰りましたよ
魚介系御出汁が味わい深い「よなきやさん」
ごちそうさまでした
そして私は、ここ数日不眠気味であった事や、この日の出来事に興奮しすぎてしまったのか、ちょっとぐったりしてしまい、帰ってからしばらくベッドで眠ったのでした
そして、、その3日後、待ちに待った新しい車とのご対面の日がやって参りました
これまでの愛車は、ディーラーさんが引き取ってくださいます
という事は、同時に愛車ともお別れをする日が来たという事なのです
私達は納車のその日、塩で清めた愛車の中へ乗り込み、そのまま大祓詞を読み上げて、愛車に長年の感謝の気持ちを伝えました
これは、私たちなりのお別れの儀式でした。
心を込めてありがとうを伝える事で、私達自身の気持ちもどこかスッキリするように感じておりましたので、夫婦で話し合ってそうする事に決めていたのです。
私は、お別れした愛車のナンバープレートの一連指定番号を決める当時、ゲン担ぎのような語呂合わせで指定しておりました。
その番号の指定は出来るのですが、ひらがなの部分が偶然私の名前の頭文字だったことは、一層愛着が湧いた一因でもあります。
ひらがなの部分はランダムなので50分の1の確率でのめぐりあわせですから、そのような巡りあわせも嬉しく感じていたものでした
新しい車のナンバープレートにも同じくゲン担ぎの番号指定をしておりましたが、ひらがな部分はどうなるかと、流石に私の頭文字が続くことはないであろうと、夫くんとよく話題にしておりました
そして、いよいよ新しい車とご対面の時がやって参りました
このディーラーさんで、選定に決めかねていた時、ふと手にした車の雑誌に熊野本宮の大鳥居とこの車の写真を見た時から、スサノオさんのお導きのように感じて選んだ車です
色は、お別れする愛車と同じ赤い色です
そして、いざ、ご対面してびっくり
ナンバープレートのひらがなが
またもや私の名前の頭文字
住む場所が変わったので、地域名は変わりましたが、分類番号まで同じです
私は、度重なる偶然に見えない世界のお導きを感じざるを得ない心境になり、有難い嬉しい気持ちの中に神々のお力とは、こういうものかと、畏怖の気持ちも抱かざるを得ない、言葉に言い表すことが難しい、ある種の確信のような感覚が襲って来ました。
この時の私の気持ちは、何気なく感じたことや、自分で選び、歩んで来た道も、こうして心の目を凝らしてみると、全てはなるようにしかならないというある種、‟腹を括る”というようなまたは‟観念する”ような気持ちです。
‟神様の御意志に逆らわずに生きる事”
(これは私が感じる解釈なのですが)大祓詞に書かれている言葉から感じるその意味、その通りだと思いました。
前の愛車はお前の分身、新しい車に見合うようにこれから成長しなさい
というスサノオさんの粋な計らいであり、温かいメッセージを頂けたと、有難く受け止める事に致しました
こうして、愛車との最後のお別れをし、新しい車でそのまま実家へ向かい、宮司である父に新しい車の交通安全祈願を執り行って貰いました
車の扉を全て開けて父がお祓いをすると、車の中に荒々しい風が吹き込むのを有難く感じました
そして、まだ乗り慣れない新しい愛車と共に、色んな経験をしながら歳を重ねて行きたいと思います
このように、‟古い車を新しい車へと乗り換えた”というどこにでもあるエピソードなのですが、見えない導きの力へ心の目を向けてみると、身の回りのあらゆる事象の見え方が変わり、そして‟お導きの方へ抗うことなく進む事が出来る感覚”も身に着ける事が出来るようになるのだと、そのように感じる様になりました。
これは決して、私が特別な人間だという事ではないのです。
リンゴがリンゴでない可能性や、リンゴとリンゴ以外の事象に境界を無くすような、そのような事象の捉え方、、、捉え方次第で見えているものが変わってくると感じています。(何言っているか分かりませんね)
私は、見えるもの、聞こえるもの、実態のある物、科学的な立証に基づいた物、、、
だけでない見えない世界の事象とも、人類は共存して行く時代がそろそろ来ていると、私だけでなく、感じていらっしゃる方も多くなってきていると思います。
どれが正解か不正解か、何が善で何が悪なのか、、その答えはそこにはありません。
皆が、色んな感性や感覚を披露し合い、認め合う事が、神仏のご加護やお導きも受け入れることの出来る感性を更に育て合って行く事に繋がるのではないかと思い、私もこのような偶然の体験や不思議な体験を掲載させて頂いております。
「勝手な妄想の為せる業だ」とお感じの方ももちろんいらっしゃる事と存じますが、それでも私は構いません。
私のブログの片隅のご縁のある方しかおそらく辿り着けないこの場の発言にて、どうかご容赦下さいませ。
スミマセン、、熱く語っちゃうのは本来、性に合わないのですが
ブログも、しばらくは神社巡りの参拝記録が続きそうです
次回もどうぞ、引き続き宜しくお付き合い下さいませ
今回も、最後までお付き合い頂きありがとうございます
丹生都比売神社 HP