おべんと あらため なんとなく?備忘録 -2ページ目

おべんと あらため なんとなく?備忘録

過去記事は下の娘の高校時代のお弁当。
最近は思ったことつれづれと。

その後も少しずつ父宅の片づけをすすめ、

捨てた袋は100を超えた。

 

そして父宅庭のツツジ・サツキは、6月に剪定しなくてはならないので、

平日の仕事前に1時間半だけ、脚立に乗って、枝切りバサミやのこぎりで

枝を切り落として袋詰めを時間を切ってやっている。

 

涼しいけれど、丁度、蚊も活動する温度帯なので、

長袖・長ズボン・網をかけた麦わら帽子・首にはタオルの完全防備でやっているのだけど、

やっぱり暑いよね。

 

6月初めは一重のクチナシが

 

そのあとからムクゲ

 

八重のクチナシ

 

と、咲き出した。

クチナシも花が落ちたら、剪定時期。

夏までにもうひと頑張り必要。

 

と、今朝も庭仕事をしていたら、近所の方から

「お駄賃」

と、これはアマリリス?

とても綺麗なのを頂いたので、自宅に持ち帰った。

 

一人で片づけているのを見てくれている方もおられて、

少し報われた気がした。

 

我が家の玄関先のブルーベリーは少ないけれど、収穫終了。

ヨーグルトにでも入れようかな・・。

父宅。ドクダミも咲きだした。

 

と、いうか、一昨年くらいから、

父は大好きだった庭の手入れもしなくなり、

結局、私が時間がある時にしかやらないがために

今年のドクダミは居場所をさらに広げ・・。

 

いやちょっとそれは困る。

 

そして去年か一昨年、同じくずっと父宅にあったグミの花も初めて見つけたが、

新たに見つけたのが柘植(つげ)の花。

そやった。濃紺の実はいつも見てたのに、

実があるということは当然花もあるということやわね。

小さい小さい5mmもあるかどうかというような小さい白い花。

知らなかった。

これからも、まだまだ発見があるかな。

 

自宅では鉢植えの小梅が、かれこれ9年かけて、

ようやく本当にちゃんと育って収穫できるようになった。

と、いっても、100g

ジップロックで梅シロップを作ってみている。

ちょっとずつ氷砂糖が溶けてきて、らしくなってきている。

 

さて、建って半世紀以上経つ実家は木造。

 

人の出入りが無いと、朽ちていくのも早いだろうと、

毎朝、雨戸をあけに行き、晴れの日はあちこち薄く窓を開け、空気を入れ替え

雨の日は室内で扇風機をかけ、夕方には雨戸を締めに行きつつ、

朝夕で少しずつ不要物を処分している。

 

この1か月でかれこれ60袋以上、処分したかな。

 

父が働き、ボランティア活動をしていた長い長い期間は

個人情報保護法も始まっていない時代もあったので、

職員名簿が毎年冊子で配られていたし、

シュレッダーの無い時代の仕事場で破棄出来ないマル秘書類は

全部持って帰ってきて、押し入れにしまっているし。

 

というか、昭和30年代のものから書類があるし・・。

 

かといって、処分する判断力も、もうずっと無かったのだろう。

自宅に居たときから、「書類、ほかそうか?」と言うと、

「大事やから触らんといて!」って怒られるし、何もかもがそのままやったのを、

ここんところ、1つ1つ、確認しながら、

そのまま燃えるゴミで出せるか、古紙回収か、シュレッダーかを分けて捨てている。

 

父、几帳面やったので、本来ならそのまま捨てられるものも、

書類・冊子の全ての表・裏表紙に自分の判子を押している。

めずらしい苗字なので、そのままゴミに出すと、ヘタすると身バレするから、

捨てるのも一手間かかる。

 

絶対に開けんといて。と、言われた押し入れにはいくつかの空箱だったり。

母の名前と遺品と書かれた小さな箱。

開けたら、中学・高校の生徒手帳とか、折り紙の切れ端大量とか。

 

折り紙て・・。

 

他には洋裁をやっていたので、その端切れが数枚とか。

50年以上前の服が数着とか。

それが大きな段ボールにちょこっと入っていたり。

 

どう考えても、誰も着ないよ。

 

これらの為に、この押し入れは10年ほど前、

開き戸を折れ戸に替える工事を、ぼったくり金額でやってもらっていた領収書も出てきた。

きっともう何が何やら分からんようになり始めていたのかもしれない。

 

そして戦前生まれの人、あるあるだろうが、

とにかく捨てるのを嫌がった。

 

趣味はそれほど種類は無かったけど、

それに対する量が、それぞれかなりのもの。

そやわね。60年以上かけて残してきたものやものね。

 

私としては早くあらかたのものを処分し終わりたい。

 

まずは、父がグループホームに入る前日に壊れた薄型テレビと

いつか高く売れるかもしれへんからと、どうしても手放さなかった

ブラウン管テレビを処分したい。

 

そしてテレビ台も処分したら、手が届かなかった、動かせなかった

埃まみれの床を掃除したい。

掃除機が入れられないコンセントの差込口も

埃がたまって、火事にならないだろうかとずっとひやひやしている。

 

そのテレビの処分も、下弟が知り合いのテレビ引き受け業者さんまで

「来週持って行くわ」と、言ってかれこれ1か月。

 

埃による火事が怖くて、早く片づけたい。掃除したい私。

急ぐことと違うと思い、掃除にあまり興味がない下弟。

 

テレビ2台は、どこに持って行こうが、リサイクル料金は決まっているので、

もう父が懇意にしていた電気屋さんに持って帰ってもらうことにした。

 

そして父が大切にしていたアップライトピアノ。

これも、ずっとピアノの後ろ側のドアを閉めたままだったので、

少しカビが出始めている様子。

 

慌てて下弟の了解を得、引き取り業者さんに相見積もりを出した。

これ以上、劣化させるのはピアノも可哀そう。

 

あ、ピアノの引き取りは、

絶対に相見積もりをしたほうが良いと思いました。

引き取り金額がピンキリです。

製品番号の調べ方はネットで載っています。

 

あとはオーディオセットをどうするか。

リビングに置いてあったスピーカーは、

つないでみたらちゃんと鳴った。

 

今は無き山水電気のスピーカー。

どうやら1970年代のものらしい。

古いオーディオ引き取り専門業者さんもおられるらしい。

 

と、知り合いに言われる。

「そんなに片づけて、処分してやけど、

 盆暮れ正月とか、お父さんは自宅に戻ってきてお泊りしないん?」

 

いやもう、正直、グループホームさんから

「睡眠薬飲んでも、二日に一回は夜中、寝られなくて起きてはります」

と、言われて、下弟も

「コロナがおさまったら、正月とか1日だけ俺の家に連れてきて、

 ご飯食べるとかの外出はいいんやろ?

 体調とか状況によったら俺の家にお泊りとかも考えるかもしれへんけど。

 まぁ、そんときは俺の家族みんな居て、みんなで見れるときやけど・・」

って言っていたし、私も父と二人で時々外食や近所に車でお出かけ出来たらいいな。

とは思っていたけれど、父宅へ連れ帰って、食事して寝てもらって。

と、言うのは自己中心的かもしれないけれど、全く想定していなかった。

 

と、いう話しをすると、

「それは可哀そうやわ。お父さん、自分のおうち大好きなんやろ?

 そん時だけは身内で寝ずの番で見てあげないと」

 

うーん。かなり年上の方なので、そういう考えなのかもしれない。

親戚一同が集まって、みんなで父のような症状の、

その方のお婆さんの面倒を見ていた。と言っておられたが、

うちでそれが出来るのは、私と下弟の二人のみ。

 

私達姉弟3人で集まることも無いので、

当然、3家族みんな揃って父を囲んだことも無い。

そういう家族の状況もその人とは全く違う。

 

でも、それを言われて、急にテレビもオーディオも処分していいのかどうか

不安になってきた。

言われるとね。ゆらゆらするのは私の悪いところ。

 

ネットで「施設入居 実家片づけ」でググってみると

何らかの理由で退去して自宅へ戻り、本人が大切だと思っているものが

処分されて、ショックを受ける場合も・・と、あり、そりゃそうやわな。とも思う。

 

で、何らかの理由ってどんな理由?と、考えたら、

例えばグループホームで、暴力沙汰・暴言沙汰を起こしての強制退去が

想定されたけど、いや、あの父に限って、それは無いと思う。

家族で一番上品でおぼっちゃまっぽいのが父やったのやもの。

 

今もグループホームのそれぞれ別々の3人の施設の方々から口々に

「お父さん、穏やかな方ですね・・」

と、言ってもらえてるし、どうかそのまま穏やかでいて・・。

 

そして火事を起こさない家にするために、ごめんなさいやけど、

お父さんの大好きなものを、

必要としてる人、欲しいと思っている人のところに

動かせるものは動かさせてください。

 

認知症とはいえ、勝手に処分して、ほんまにごめんなさい・・。

で、いいんよね?

と、ゆらゆらしている。

父宅のグミの実も少しずつ赤くなってきた。

小さい頃は酸っぱい実だから苦手・・と、思っていたけど、

それは取るのが早すぎて、去年、熟しに熟したのを食べたら

まぁ甘いこと。

 

今年も甘くなるまで待とう。

 

母の日には娘たちからそれぞれプレゼントが届いた。

 

上の子はいろんな味ワッフル。

下の子はいろんな味天然だし。

ありがたく頂きます♪

 

そしてこのGWは、数日に分けて、

年に3回草引きしていた家の周りの砂利の下に

防草シートを敷く作業を主人と二人で奮闘。

 

五十肩も痛いし、業者さんに丸投げしようかと

見積もりをお願いしたら、目が飛び出て遠くへ飛んでいきそうな金額。

 

即答で「自分たちで頑張ります」

 

ネットで性能・お値段・レビューを確認し、

届いたものを埋めたいサイズに合わせて線を引き

ハサミで切る。

 

と、ここで活躍したのが、小学校の家庭科で購入した

裁縫箱セットに入っていたチャコペン。

もう40年以上経ってるのに、まだ入っていた。

そして大活躍だった!

 

どうかこれで、大変な草引きから解放されますように・・。

 

そんな人間を横目に猫ズたちはのんびり。

脱ぎ散らかした主人のモコモコ靴下の上で、鼻と鼻をくっつけて

真剣に寝ている。

そう寝ている。

 

変わった子たちww

 

もひとつ楽しみが増えたのは、裏の森にフクロウ類の声。

夜になると時折、ホウ。ホウ。と鳴き声が聞こえる。

ああ、その姿を見てみたいな。

 

これを書いている最中も主人が

「聞こえたっ!!!」

と。

私も窓によってみると、やっぱりホウ。ホウ。と聞こえる。

 

いつか出会えますように・・・。

 

4月頭に花が咲いたブルーベリーは実をつけだした。

もうすぐネットを張らないと、鳥さんたちに食べられてしまう。

 

そして、ポンカンも花が咲き、

 

レモンも少しだけだけれど、蕾をつけだした。

 

話しは少しさかのぼるのだけれど、

2月に要介護1から区分変更申請をし、

3月に役所から調査員の方が来られた。

 

2年前、初めて介護認定の申請をしたとき、

どんな仕組みなのか、どんな手続きなのか

全く分からず、一番、調査の場で困ったのが、

事前準備をしていなかった父の普段の生活で困ったことのリストだった。

 

その頃から毎日、父への連絡帳 兼 介護ノートを書き、

今回は、日々変化していった父の出来なくなったことリストを事前準備し、

意見書を書いてくださる主治医の先生と、調査員の方それぞれにお渡しした。

 

結果、要介護1から3へのステップは難しいかもしれない。と、

言われていたけれど、3月に要介護3の認定が下りた。

これで、特養への申し込みも出来る。

 

そして毎日書き続けた介護ノートもグループホームに入居ということで

6冊目で終了となった。

 

色ごとに父宅へ来る時間を、都度都度書き込むのだけれど、

やっぱり分からず、何度も電話をかけてきて、

朝なのか昼なのか、ごはんを食べたすぐあとでもおなかが空いたと。

 

ほんの1か月前までこれが普通の生活だったのに、

もうなんだかずっと昔のようだ。

 

そして入居してから、全く父には会えていないけれど、

施設さんとLINE交換をしたので、父の動画を送ってもらった。

 

持ち込んだポータブルピアノで、アメリカ民謡のアニーローリーを

詰まりながらも伴奏つきで弾いていた。

 

すごい。そこは記憶が残ってたんや。

 

そして父宅の片づけも少しずつ進めながら、

NHKの受診料とNTTのキャッチホンの解約もした。

 

NTTはすごいね。

ネットから申し込みをし、NTTからの折り返しメールに

代理申し込みの私の免許証画像の添付をすれば、解約できるというね。

 

さて、GWに引き続き、この土日も折を見て父宅のお片付け。

ステイホーム守ってます♪

 

怒涛の1か月が終わろうとしている。

何事も時間が経てば、それなりに落ち着き、

また別の新しいことでバタバタが始まる循環なんだろう。

 

3月終わり、我が家からも父宅からも徒歩圏内の施設から電話があり

「グループホームの空きが出ました。

 従いまして、一度お父様と直接面談させて頂きたいです。

 今日、26日金曜日なので週明け29日の月曜にお願いします。

 4月1日から部屋は空きます。入居は急いでもらったほうが良いです」

 

急なもんなんやな・・。

ちょうど父はいつものショートステイ先。

その旨を伝えると、そこまで面談に行って下さるとのこと。

 

月曜に面談が終わって、また電話があり

「お父様、穏やかな方なので入居で話しを進めたいと思います」

と、いうことで、今までずっとお世話になっていたケアマネさんに連絡をし、

入居の日程を決めると共に、お世話になってきたショートやデイのほうにも

契約解除の連絡をしていく段取りとなった。

 

さて、新しいケアマネさんと、いざ話しを詰めだすと、ん。んんんんん。

聞いてない話しが次から次へと出てくる

「入居の前に、まずは認知症の主治医の診断書とレントゲン撮影、C型肝炎の検査が必要です」

 

主治医は週2回しか病院に来られない。

肝炎の検査は一昨年済ませていたので必要無かったが、

レントゲンはまた別日の予約となっている。

 

この時点で4月1日入居は無理。

 

そして1週間ほど経ち、書類の準備が済もうかというときに

別の施設長さんから電話があり

「お父様のショートステイの件ですが・・」

 

え?ショートステイ?いやいやいやいや。初めて聞くよ。

グループホームの件でしょう?

と、よく聞くと、グループホームに入るには、ショートステイのお試しでOKが出たら

そのままスライドしてグループホームに入居。というシステムらしい。

 

ダメなら今まで同様、ショート・自宅・デイのパターンの生活に戻るということ。

もう、どうのこうの言っていられない。

 

グループホーム入居のNGになる項目は暴れるとか暴言吐く人らしい。

父は暴れるほうでは無いと思うので、どうかOKが出ますように。と

祈りながら、10日間のショートを終わらせ、ありがたいことにOKが出た。

 

このコロナの時代なので、父も御多分に漏れず、新しい施設での面会も外出もダメ。

なので前からお世話になっていたショートの施設へのお迎えと

新しい施設への送り出しにはお願いをして下弟と一緒に行き、

移動の間に外食で昼食を3人で食べた。

 

お店のお醤油がよほど気に入ったのか、自分の目の前に置き

「これ、持って帰るわ」

「あかんねん。お父さん、これお店のんやねん」

「持って帰ったらあかんの?なんであかんの?」

を5回くらい繰り返す。

 

まるで2~3歳児のよう。

 

ショートでもデイでも食べムラがあって、体重も減ってきてるのやけど、

ここではしっかり食べて、食後にアイスも鯛焼きも食べていた。

 

そんなこんなで新しい施設のほうでの生活も2週間ほどとなった訳だけれど、

自宅と同様、認知症のお薬の中に睡眠導入剤も入っているのに、

まったく効かないみたいで、

「お昼も割と起きてはるのに、夜中も起きて動いておられることが多いですね」

と施設の方から報告を受けた。

 

みんな静かに寝ていれば、施設の方にもご迷惑がかからないだろうに、

申し訳ない限り。

 

昔からの片づけ癖なのか、部屋にあるタンスの引き出しから衣類だの、

持ち込んだ紙パンツやペットシーツを出して広げて移動させてを、

夜中にやっている様子。

 

家でもしょっちゅうやってたから、私も自分のメンタルを保つために

「宝探し」と称して、いろんなものを家探ししては

時間が取られて仕事時間にずれ込むという悪循環だったのを思い出した。

 

でもやっぱり整理は得意なほうやったのやろうね。

下弟と相談して、とにかく少しずつでも父宅の整理を進めていくことにしていたので、

今日は不燃ごみの日ということもあり、ビデオテープを整理した。

 

半間の押し入れ上下段に目いっぱいのビデオテープ。

場所はほぼここ1か所にまとまっている。

それだけでありがたい。

 

朝7時前から袋に入れだして、2時間かかって片付いた。

合計18袋 約540本。

 

几帳面な父の字のシャワーを浴びるような感覚。

そして、番組について話したことも無いのに、私と。

いえ、私への遺伝やろね。

見てたものが似てるww

 

「伊勢谷友介」のメモ書きがあったので、

あれ?戦前生まれの父にしては・・と、思ったら

私も見ていたNHKで放送された白洲次郎だった。

 

 

いやほんとあれは格好良かった。

 

あと平井堅さんのライブとか、関口さんの列車の旅とか

国内外の旅物、クラシック物。

 

 

そしてほぼほぼ押し入れは片付いた。

 

ビデオテープ。古いものは1995年あたり。

新しいものは2011年あたりまで。

が、そこから増えていかず。

 

そのころはもうぼちぼちビデオを録画することも

再生してみることも億劫になってきたような気がする。

 

一生懸命、父が丁寧に集めてきたものを処分する申し訳なさもある。

でも、誰も見ない。見る機械も無い。

片づけるのは私だけ。

私が一番若くて元気なのは今。

 

ということで、動くことにした。

これ、真夏や真冬も出来ないだろうし、

春と秋が勝負やろね。

 

まだまだ父が仕事に行っていたときのスーツ類や

他にも本・雑誌・レコード・CD・食器・布団・オーディオ機器も大量。

ひとつひとつ頑張らねば。

桜もあっという間に散りはじめ、

昼間は暑い?くらいの日が何日も・・。

 

父宅のぐみの花も満開を過ぎた。

小さい頃から庭にあったはずなのに、花を見るのはたぶん初めて。

どれだけいい加減に過ごしてきたことやら。

 

鉢の小梅さんも実がつきだし

 

よれよれになってきたブルーベリーもほんの少し花を咲かせ

 

4年目にして初めてのポポーの花も咲きだした

 

そんな中、父のグループホームの入居が決まりかけている。

一昨日、ショートステイから帰宅し、今日またショートに戻ったが、

4月中頃にそのままグループホームへ転居する予定。

 

父が自宅で過ごす最後の、この二日間は不思議な二日間だった。

 

下弟がいつものように泊まりに来てくれたのだけれど、

弟の布団で父のおなかのマッサージをしている間に

めずらしく父が深く眠ってしまい、夜中起きることもなく、

結局二人で一つの布団で寝たそう。

 

きっと子供の時以来。

 

そして私が朝ごはんを準備して、いつもならば傾眠しながらでも一人で食べるのに

今回はうとうとしている時間が異常に長く、

様子を見てても一口食べては寝。一口食べては寝を繰り返す。

 

そして、ふと目を覚ますたびに

「ごはんやな。いただきます」を繰り返す。

 

そのうちそれも怪しくなってきて、ポーっとしだしたので

もしかして、と思って、私が箸でご飯を父の口に持って行ったら

まるで赤ちゃんのように、口を開けてぱくっと食べた。

 

ああ、ここまで来たのやな。と、思った。

 

そしてテレビが最終日の昨日の夜、壊れた。

 

下弟が

「そういうことやな」

と言った。

 

そういうことやったんや。

最終日まで頑張ったテレビ。

ありがとうさん。

10数年前から数年前までの間、

それこそレンタルDVDだのCDとかをツタヤに借りに行くことも無く、

(今はもうそんな時代でもなくなったね)

マーケティングのために、利用状況が筒抜けになるよってことで、

Tカードは持ってなかった。

 

が、引っ越してきた近所のドラッグストアが

Tポイント対象のお店で、思うことがあって作り直した。

 

利用状況ってたって、ほぼドラッグストア。

日雑かちょっとしたお薬。

もう知られても全然構わないかなと。

 

で、そこでたまったポイントを去年から、

どこかしら困っているところへ利用することにした。

 

今年は東北の高校生進学・就職のためにのところと、

児童養護施設の子供たちのところに。

 

3.11で思い出すのは、あの時3歳くらいだった女の子。

 

お父さん、お母さんが多分津波で亡くなられて、

おばあさんも津波か避難所に逃げるときか、避難所で亡くなられて

おじいさんと二人になってしまった

髪の毛くるくるの天然パーマの女の子。

 

高齢者が多い避難所の中で一人屈託なくニコニコとしていた女の子。

何事が起ったのか、あまりに小さくて分からなかったんやろうな。

 

おじいさんはあまりのショックに言葉少なだったと記憶している。

 

元気ならば今、中学1年生か2年生くらいか。

 

どうかどうか、元気で過ごしていてほしい。

暖かい日が少しずつ増え、

今年も玄関先につくしがはえてきた。

 

一番簡単な卵とじにしよう。

 

 

父宅では木蓮の蕾が大きくなって

 

ユキヤナギが咲きはじめ

 

馬酔木が満開になった

春だなぁ。

 

さて、スマホにショートステイ先の名前が表示されるとびくびくする。

何事が起きた・・。と。

 

今日の電話は2件の内容だった。

 

1つは塗り薬が足りなくなってしまったとのことで、

急いで病院に処方箋だけもらいに行き、

無事、薬を手に入れて、ショートへ届けることが出来た。

 

もう1つは、夜中、施設の方が巡回される隙間の時間に

敷シーツと防水シート全部ひっぱがし、

そのまま寝て、マットに尿失禁を何回も続けているとのことで、

家でもやっていたかということと、対策されていたか?と聞かれた。

 

無い。びちゃびちゃにしても、防水用のペットシーツの上に

ボックス型の敷カバーをかけていたのをどちらも外したことは無い。

 

これを家でされたら、ベッドマットは一つだけだし、もう救いようが無い。

あと数日で一旦帰宅予定なので、下弟と相談した。

 

結果、ひっぱがすには手間がかかるブルーシートを

ベッドマットに巻こうということで、巻いてみた。

 

2.7m×3.6m かなりの大きさだけれど、

裏側までしっかりと巻いてみると、しっくりくるサイズだった。

これの上にペットシーツ。その上にボックス型シーツをかけてみよう。

しゃりしゃり言うかもしれないが、仕方が無い。

とにかくやってみないことには・・。

 

それにしてもご迷惑をかけてしまって、

本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。

 

仕事とはいえ、夜中、シーツははがされ、マットはびしょぬれになり、

布団から着替えから一式やり直しとなると、

どれだけ手間や迷惑がかかっているのかと思うと、

いくらお仕事とはいえ、申し訳なさでいっぱい。

 

たまらなくなって、うちに聞かれたのではないかと思う。

ブルーシート。うまくいけば提案してみてもいいのかな・・。

 

 

ふと思い返すと、小さい頃から父母ともに対して

「聞いて聞いて!!」と、無理やり話しを聞いてもらった記憶があまりない。

なんというか、疎外感というか。

大人はそれぞれ自分のことや弟たちのことで精一杯というか。

 

なので、私の気持ちの落ち着く場所は本を読むことだったり、

音楽を聴くことだったりする気がする。

 

中学校に入った頃から矢野顕子さんが大好きで、

あっこちゃんの作詞に時々エントリーされる糸井重里さんの歌詞が

これまた心に染み渡るというか。ほっこりさせられるというか。

 

で、twitterで糸井さんをフォローしていたら、

いろんな人の情報が入ってくる。

 

去年の1月。

リツイートされた中で、とにかく目を引いたのが、

「日本全国の市町村を全部まわりました」

という大学生の男の子のツイート。

 

あれよあれよという間に、その彼が撮りためたすべての市町村の写真が

1冊の本になったので手元に取り寄せた。

 

 

この写真集のおかげで娘たちの暮らす街も、以前暮らした懐かしい街も、

出かけたことがある街も、すべてがぎゅっと詰まっている。

 

ここを覗いてくださっているあなたの街もです。

 

文章も優しくてね。

ふわっとした気持ちになります。

過去から今へのつながりだったり、

離れた場所で暮らす娘たちとのつながりだったり、

ほっこりさせてもらう写真集です。

 

 

父は自宅の中でも迷うようになった。

いやそんなに大きな家でも無いし、

複雑な造りでもない。

 

「歯を磨きに洗面所に行こうか?」

「それは遠いとこか?」

「ここは台所やから、この壁の向こう側」

「遠いん違うん? 行きたかったらあんた一人で行ったらいい」

 

キャッチボールが出来てるようで出来てない会話のやりとり。

 

トイレもどこか分からなくなって、手を引いて連れていくことが多くなった。

そしてトイレに着くと

「ここで何するんや?」

「お父さん、トイレに行きたいって言ったよ」

「どうやったらトイレ出来るんや?

 一回もやったことないから、やりかたが分からへん」

 

トイレに行きたいと言った直後からもう忘れている。

トイレの仕方も忘れたと言い出す。

 

どんどんいろんなことに時間がかかるようになって、

ショートの日数を増やしてもらって、

仕事への影響は随分軽減されたのだけど・・。

 

一方、それはそれで私は逃げたのじゃなかろうか?とか

もっと大変な思いをして面倒見ておられる方々が

世の中にいっぱいおられるんじゃなかろうか?とか思うと

やっぱり預ける日数を減らしたほうがいいのじゃないか?とか

 

ゆらゆらゆらゆら気持ちが揺れる。

一体誰の目を気にしているんだ私?

 

そんなことを考えている私の足元で

まったり眠るお方。

 

 

いらんことは考えんようにしよう・・。