新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)/角川学芸出版
自分個人の思いや気づきをよむ近代の「短歌」。
一方、「和歌」と呼ばれる、
江戸時代までの歌については、
それ以外にも様々なことが作歌に絡んできます。
例えば、
- 過去の有名な歌で使われたキーワード>
- よく詠まれる地名(歌枕)
などを引用することで、
五・七・五・七・七の三十一文字を越えた、
深い表現を狙うことがあります。
(なお、二句以上の長さを引いている場合には、「本歌取り」と言われます。)
特に後世の範とされている和歌集は、
最初の勅撰和歌集『古今和歌集』ですが…
その東歌・陸奥歌の中に、
このような歌があります。
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(1093)
(もし万が一、君を差しおいて他の人への浮気心を私が持つならば、
あの、波が越えるはずもない末の松山を、
波が越えてしまうでしょう。
それほどに、私は絶対に浮気をするつもりはありません。)
この歌をきっかけに、
「末の松山」は観念的な歌枕となって、
多くの歌に詠み込まれるようになります。
後拾遺和歌集 (日本古典文学大系 8)/岩波書店
『後拾遺和歌集』から二首。
越えにける波をば知らで末の松千代までとのみ頼みけるかな(巻二、藤原能通)
(末の松山を越えてしまった波(あなたの浮気)を知らないで、
常緑の松のみどりのように、
千年の先まで一途な愛が続くとばかり
信じていたものだなあ…。)
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波をこさじとは(巻四、清原元輔)
(約束したよね、お互いに涙に濡れた袖をしぼりしぼりしながら。
末の松山を波がこさないのと同じように、
絶対、一途に想い合い続けよう、と…。)
下の歌は、百人一首にも入っているものですね
さて、末の松山は、物語の中の歌にも出てきます。
『源氏物語』の「浮舟」で、
薫が、匂宮に浮気をしている浮舟を責める歌。
波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな
(浮気をしたとも知らないで、末の松山の「まつ」ではないが、
あなたは私のことを一途に待っているだろうとばかり
思っていたことよ…)
源氏物語〈15〉東屋・浮舟 (古典セレクション)/小学館
こんな風に、古典和歌には、
知識がないと「???」になってしまう部分があります。。。
とっつきにくく感じる人も多いかと思うのですが、
逆に、勉強すればするほど、
色んなことに気付くことができるという楽しみもあります