読書とは…(奥井智之『社会学の歴史』より) | 吉田裕子(塾講師)の国語エッセー | 古典(古文・漢文)・近現代文学・歌舞伎・狂言

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”国語を学ぶことで、感受性と対話力を磨いたら、人生はもっと楽しい。”という思いのもと、ブログや書籍で情報を発信する他、定期的に「大人向け古典講座」を開催しています。予備校・高校・カルチャースクールの講師、ライター。




『社会学の歴史』(奥井 智之)



こちらの本の冒頭に、




 読書は、書き手あるいは作り手と読み手の間の
 一つのコミュニケーションの過程である。

 その際、書き手あるいは作り手が故人であることは、
 このコミュニケーションの回路を遮断するものではない。

 それは書物が、知識ないしは情報の記憶装置であるからである。

 あとは読み手が、それをどう生かすかということにかかっている。





という言葉がありました。


ひとことで言えば、読解力ということになるのでしょうが、
本を読みこなし、メッセージを受け取る力を身に着ければ、
実際に話せないような人達とも対話ができる訳で、
それって、本当に自分の可能性を広げてくれることだと思うんですよね。


論理的に読み解くチカラと、
豊かに感じ取るチカラ
その両方を伸ばしてあげられるような、
国語の先生になりたいと思います!