昨日、現在大ヒットしている映画「鬼滅の刃~無限列車編」を
観てきました。
最後の方は泣いてしまいました。
皆さんご存知の通り、鬼と人間の戦いの物語ですが
鬼は、もともと人間でした。
不幸な身の上、愛されない寂しさ、満たされない想い、そこから
人をうらやんだり、憎んだりする負の心にスルっと入ってきます。
鬼から血を分けてもらうと鬼になれる
鬼になると永遠の命と強さを得られる。
鬼になって強さを得ることで、復習することができる。
なぜ、負の心を持つようになってしまうのか。
ヨガて哲学の中の八支則の第1第2段階ヤマ〔禁戒〕ニヤマ〔勧戒〕
「ヤマ」は人生でやるべきではないこと、
「ニヤマ」は人生においてやった方が良いことです。
ヤマの中に「正直(サティヤ)」という言葉があります
他人にも、自分にも嘘をつかないこと。
その為には、今の自分を受け入れる必要があります。
誰でも、自分の思いが満たされない悔しさ、寂しさ、悲しさを
心のうちに持っています。それを認めたくなくて、外に理由を
求めている時、それは自分を認めて受け入れていない状態です。
鬼滅の刃的に言うと、人に強い恨むを抱いている状態まさに
鬼に入られる隙を与えてしまいます。
現実には鬼になることは無いけれど、自分を認めずに周囲を
言葉、行動、態度で攻撃ばかりしていると、
自分の周りには誰もいなくなってしまします。
残念なことに自分で自分を不幸にしてしまいます。
自分自身に正直になって、自分の対する嘘や虚勢を止め
自分の弱さ、負の部分も認めると心を開くと生きるのが
楽しいものに変わっていきます。
そして今の自分を受け入れ、今自分が持っているものに
感謝することができるようになること、それがニヤマに出てくる
「知足(サントーシャ)」です。
ヨーガ・スートラには、
「知足(サントーシャ)によって、無上の喜びが得られる」と書かれています。
”足ると知ること”の結果として、無上の喜びを得る。
知足は満足とは違います。外に幸せにを求めていくのではなく、自分がここに
ただあるがままであるということです。
起こった出来事に好い、悪いはなく、あるがままに受け止める。
鬼滅の刃的に言うと、鬼はいつも自分の心とからだを満たすために人を攻撃します。
そこから満足を得ようとしているのです。でも一つ手に入れてもまた次が欲しくなる
前よりもっと多くの者が欲しくなる、その繰り返しでいつも満たされない何かを抱えています。
でも、主人公の炭次郎は、家族を鬼に殺されて妹を鬼にされても、その妹を救いたい一心で
出会った人たちに感謝し、精進し、鬼滅隊の一員になります。
そこには、今自分がここにあることに感謝をする心と、
自分の中にしっかりした軸を持ち、色々なものに惑わされない心があります。
物質的に持っているものは少なくても、穏やかで豊かな心を持っています。
そういう心を持っていることは、無上の喜びということではないでしょうか。
そう私は解釈しています。
ヨガ哲学は人生を豊かに生きるヒントを与えてくれます。
事あるごとに読み返し、解釈を深めて行くことで、自分の軸が強化されていくように
私は感じています。