外の空気が、冷たい。
それだけで、少し現実に戻る。
(……終わった)
今度こそ、本当に。
起訴猶予。
刑務所には行かない。
助かった。
なのに――
(……空っぽ)
胸が、空いている。
あの部屋で壊されて。
少しだけ救われて。
その“少し”に、全部を持っていかれた。
「……っ」
足が止まる。
帰る場所はある。
でも、帰りたくない。
どこにも行きたくない。
ただ、ただ、あの人に会いたい。
「――優子」
名前で、呼ばれる。
優子の体が跳ねる。
ゆっくりと振り向く。
そこにいるのは――
一条将生。
優子は、言葉を失う。
「……なんで……」
声が震える。
「……ここに……」
「確認だ」
短く答える。
いつもの調子。
でも――
名前で呼んだ。
「……問題なく釈放されたかどうかの、確認」
「……はい……」
優子の目に、涙が滲む。
「……あの……」
言葉が続かない。
何を言えばいいか分からない。
将生は、ポケットに手を入れる。
そして――
小さな箱を取り出す。
優子の心臓が跳ねる。
「……これ」
箱が開かれる。
中には――
シンプルなプラチナのブレスレット。
あの日の、くすんだ銀とは違う。
新しい。
冷たい光。
「……今のお前なら、似合うと思う」
「ただしただのブレスレットじゃない。手錠の代わりだ」
淡々とした声。
言っていることを理解するのに時間がかかる。
「……え……」
「刑務所に行かない代わりに」
一歩、近づく。
「もしお前が望むなら、俺が更生を指導する」
優子の呼吸が止まる。
「……っ」
「拒否するのも自由だ」
視線が刺さる。
「一人でだって更生は可能だからな」
選択を突きつける。
でも、それは――
選ばせていない。
優子は、震える。
決まってるじゃん。
それだけが、はっきりしている。
「……私……」
声が震える。
「……お願いします……」
優子は将生の足元を見ながら続ける。
「取り調べ」
将生は黙っている。
優子は言った。
「怖かったです」
少し笑う。
「すごく」
将生は静かに言った。
「だろうな」
優子は続けた。
「でも」
目を上げる。
「救われました」
将生の目がわずかに動く。
優子は言った。
「あのとき……担当が将生くんじゃなかったら、私、自分のしたことから逃げていました」
「将生くんに取り調べしてもらえて、良かったって思います」
少し照れながら。
将生の目が、わずかに細くなる。
そして――
「手、出せ」
優子は
「はいっ」
と答えて両手首をそろえて差し出す。
短い間とはいえ、被疑者として染みついてしまった悲しい癖。
将生の胸が痛む。
「いや、、、手錠っていうの、言葉の綾だから。本気にするな。」
優子の左手首をそっととる。
あの時と同じ。
宝物を扱うような、丁寧な手つき。
カチ、と音がする。
ブレスレットが嵌められる。
「……でも放っておいて、また犯罪されても困る。」
低く、静かに。
「俺の指導は刑務所よりも厳しいぞ」
笑いながら言う。
そして真顔で告げる。
「今度はちゃんとお前の不安に向き合う」
それは将生の誓い。
優子の体が震える。
でも――
それは怖さの震えじゃない。
「……はい……」
涙が溢れる。
安心している。
「俺は」
一拍。
「優しい言葉は得意じゃない」
私は少し笑った。
「知ってます」
将生くんは小さく息を吐いた。
それから。
少し視線をそらして言った。
「だが」
低い声。
「もうお前を一人にはしない。守るって決めたから」
将生がふっと笑った。
「行こうか」
「…どこに?」
優子は将生を見上げる。
「飯」
少し照れたように、頭をかきながら将生が言う。
「…え?…」
「勘違いするなよ。更生プログラムの一環だ」
優子に背を向けて歩き始める将生。
そっと優子に向けて手を差し出す。
前を向いたまま。
ぶっきらぼうに。
そして――
優子も歩き出す。
将生の後を。
少し遅れて。
でも、確かに。
優子の手が将生のそれに触れた。
ぐいっと引き寄せる将生。
お互いに笑いあう。
「将生くん、私」
将生が振り返る。
視線が絡み合う。
「ちゃんと生きます」
将生くんの隣で。
「将生くんの隣が似合う人になりたい、です」
いや、それはむしろ俺のセリフだろう。
お前の真っすぐな気持ちを受け止められる男になりたい。
将生はつないでいる手を強く握り直した。
今度こそ、この手を離さない。