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Yukoのリズム...リズム...音は全てリズムでミュージックを奏でてる!

十人十色。
我思うままに、徒然なるままに…クラッシックから邦楽まで音が奏でるものは何でも好き。雨音だってリズムを奏でてる…って感じで、様々な曲を中心にブログ投稿しています。


8月23日 油の日。



859年8月23日、九州にあった宇佐八幡宮が京都の大山崎に遷宮された。
宇佐八幡宮は、全国にある八幡宮の総本山であり、えごまの種子からをしぼる道具を発明したので油の日。


油...Oilが愛で満たす!?


2023年リリース。

Gorillszはイギリスのバーチャル覆面音楽プロジェクト。
ミュージシャンのデーモン・アルバーンが楽曲を担当し、コミックアーティストのジェイミー・ヒューレットがヴィジュアルを担当している。

Gorillazは、歌詞が奥深かったり軽かったりしながらも今の世の中にマッチしていて、なかなかイケてるのよ。


♪自分のコードをマシンに入力した
 私が見つけたのはまちがった世界
 ひとりぼっちで精神的な静寂の中
 他の凧たこを探していた
 停滞から抜け出してログを思い出せ
 初期のデータベースから君の愛の

 妖精みたいな仲間たち
 暗い数学へ飛び出す
 私たちを想像の世界へ
 まるで嘲笑のリモコンみたいだ
 連動するクラスター爆弾
 ドラム&ベースみたいだ
 毒の井戸を閉じて 愛で満たして

 そこでひとりぼっち
 道に迷って形のない状態 
 でもそこがたどり着く場所
 自分ではどうにもできない
 狂気がやってきて狂気に落ちていく

 選択の余地がないから君の目を見て
 思い出せないほど冷たくはない
 君がいなくて心が悲しくなるとは思わない

 個人個人の行動が世界を変える
 愛で満たされる

 

孤立に孤独、絶望、人工物で混乱している世界で人とのつながりを探している。
想像の世界がつくりだされているので、まちがった夢をさらにつくり出してしまう。
仲間といっても遠く離れて嘲笑しているような仲間。
自分の居場所を探してあがき、迷って孤独になる。
どん底から抜け出す方法を探し求める。
愛や仲間を求めるのは凧たこを探すようなもので、困難を極める
しかし個人個人の行動によって、井戸を愛で満たすように、何もないところでコミュニティをつくることができる。

つまり愛が、人間の、個人個人の愛が、この世界を変えられると、今の世の中をひねくりながらも、今の世の中に警戒しながらも、愛が世界を救うと表現している。

今から30年前、世の中がマルチメディア化されるなんて言われていた。
全てPCで行うようになり、1人1台PCを操作し、PCで全てを行うことができるようになると。

今やまさにその世の中となり、マルチメディアなんて言葉すら存在しているのか否か?マルチメディアが当たり前の世の中になった。

PCによって仕事は効率化し、また外出しなくても人に接しなくても生活はまかなえるようになった。

私自身が子供を産んで家にこもり、また働こうというときに、一気に世の中がPC化、マルチメディア化されていた。
そんな世代の私はやっぱり、人と人とのつながりを、直にふれあうつながりを求めている。

1人で生活している私は、近所のスーパーやコンビニで、顔見知りのスタッフさんと話すのが楽しみだったりする。
LINEや電話じゃなくて、顔を見て話したいから。
あのスーパーに行けばあのスタッフさんに会えるなんて楽しみもあったりする。

私も凧を、愛や仲間を探している。

外出も1人で。
それはそれでいいときもあるのだが、ホントはひとりぼっちはイヤだ。孤独はいやだ。
いつも凧を探している。

ある意味、自分の居場所を求めてあがき、迷って孤独になっている。
どん底から抜け出して、凧をつかもうとしている。

今に人と人のふれあいなんかなくなってしまう世の中になってしまうかもしれない。
事務的なコミュニケーションだけで、心のふれあいなんか必要なくなってしまう世の中、それが当たり前になってしまうかもしれない。
凧を探しているうちは、まだいいのかもしれない。
そのうちに凧すら探さない、凧の存在自体なくなるのかもしれない。

ここ30年で世の中は変わった。
しかし失ってしまいつつあるもの、それこそ人とのふれあい、愛、仲間。

それはそれで人間にとっては大切なものなのに、その存在すら危ぶまれている世の中。

その存在を守るには、手にするには、1人1人、個人個人が愛をもって愛を求めるしかない。
愛しか救ってくれるものはない。

愛は世の中の燃料であり、潤滑油であり、世の中を形成するために必要不可欠であり(揚げ物や炒めものなどの調理には油が必要)、世の中を光り輝かせて希望を持たせてくれるものである。

だから、私の生きるテーマは愛なのに、自分自身が凧を探している状況。
その愛を、人間愛を理解できてない、理解できないケースもあり。
知らんぷりでもいいのだと思う。
しかし、愛を忘れたくないから知らんぷりはできないという、鶏が先か卵が先かのような、堂々めぐりのような状態。
だからいつも苦しい。
それでもやっぱり凧を探し続ける。
それは人間だから。だって人間なんだもの。